三宅雪子さんの葬儀/フジテレビ女性記者・福祉を志し政治の世界へ

公開日 : 2020/7/22

更新日 : 2020/9/10

三宅雪子さんの葬儀/フジテレビ女性記者・福祉を志し政治の世界へのサムネイル画像

2020年1月2日東京湾で元衆議院議員の三宅雪子さんの遺体が発見されました。フジテレビを退社後の2009年、衆院選に出馬し復活当選を果たし「小沢ガールズ」としても話題を集めた三宅雪子さんの葬儀は家族と近しい人だけで行われました。三宅雪子さんの人生と葬儀について紹介します。

公開日 : 2020/7/22

更新日 : 2020/9/10

目次

三宅雪子さんのプロフィール

三宅雪子さん死亡、というニュースが今年1月6日のまだお正月気分が冷めやらぬ時期に、全国を駆け抜けました。享年54歳という若すぎる死は、その死因の真相についてさまざまな憶測を呼ぶことになりました。

 

「小沢ガールズ」や「車椅子事件」など国会を派手に賑わせた、三宅雪子という女性議員とはいったいどんな人物なのでしょうか。まずはプロフィールから探っていくことにしましょう。

三宅雪子さんはお嬢さま

三宅雪子さんの父親である三宅和助さんは外交官で、その赴任先であったアメリカ合衆国ワシントンD.C.で1965年3月5日に雪子さんは誕生しました。

 

祖父は、元官房長官の石田博英氏といった、エリート一家に育った三宅雪子さんは、桐朋女子高等学校、玉川学園短期大学、共立女子大学を卒業し、1988年にフジテレビに入社し、お嬢さま人生を歩んできました。

三宅雪子さんのフジテレビ時代

1988年にフジテレビに入社した三宅雪子さんは、営業局、報道局、国際局、GSR推進室などを歴任し、報道局にいた頃は経済部の記者として為替などを担当し、活躍していました。

 

2009年に、当時、民主党代表代行をしていた小沢一郎氏からの要請を受けて、第45回衆議院議員総選挙に立候補することを決意しました。この頃、フジテレビの社員であった森安氏と結婚をしていましたが、三宅和助氏の知名度を優先させて、旧姓で出馬しています。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

三宅雪子さんの初当選は比例復活

フジテレビの休職し、選挙活動を行っていた三宅雪子さんですが、福田康夫氏の地盤とする群馬4区では、91904票集めた三宅雪子さんでしたが、結局、福田氏が得票数103,852票を集め、およそ1万2千票の差をもって当選することはできませんでした。

 

その後、比例北関東ブロックから、復活当選を果たすことができ、これが三宅雪子さんの政治家として初当選となりました。

三宅雪子さんの人生に影響を及ぼした騒動

三宅雪子さんは当時、44歳でしたが、外見はとても幼く少女のようにかわいらしい女性で、元祖・小沢ガールズとして、一躍脚光を浴びることになりました。

 

その後、衆院内閣委員会の採決でもみ合った際に、議員に突き飛ばされたとして派手に転んで、松葉杖や車椅子で登場するという有名な事件がありましたが、この騒動が三宅雪子さんのその後の人生に、まったく影響を及ぼしてはいないとは言い切れないでしょう。

三宅雪子さんは不死身?

この騒動のあった同じ年の11月、酔っぱらった三宅雪子さんが、自宅のマンションの4階から転落するという事故がありました。この事故で三宅雪子さんは、腰椎を複雑骨折して、7時間もの大手術を受けることになりました。そして見事、生還。

 

マンションの4階から落ちて、大怪我をしたとはいえ、命を落としていてもおかしくない状況での生還は奇跡ともいえ、三宅雪子さんの生命力の強さは不死身ではないかと思わせるほどでした。

 

当時は、本人も自分は神様に生きなさいと言われている気がする、とSNSでつぶやいていました。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

三宅雪子さんの遺体は東京湾で発見

その後、政治活動を続けながら、何度も選挙に出馬しながらも落選し続けた三宅雪子さん。ネットなどのひどい誹謗中傷などによる大きな精神負担や、転落事故の後遺症でしょうか、激しい腰痛も患っていたと言います。

 

2019年12月30日未明から行方不明となりました。家族が捜索願を出して、行方を探していましたが、2020年1月2日に、東京湾の大田区城南島の海岸で遺体として発見されました。

 

まだ54歳でした。自ら死を決意したことをほのめかすメモや、また自宅から遺書が見つかっており、入水自殺と見られています。

三宅雪子さんが目指した政治家活動とは

小沢氏からの出馬要請を受けたことが、三宅雪子さんが政治家の世界に飛び込むきっかけになったとはいえ、家族に障害者がいるということで、福祉を志して政治家になる決意をしました。

 

「世の中を変えるために声をあげよう」と国民に問いかける、力強い三宅雪子さんの生の声を、Twitterやブログなどを通して多くの人々に届け続けていました。そこには、政治家三宅雪子さんの真実の姿が存在していました。

三宅雪子さんの著書「福祉と私」

三宅雪子さんの著書「福祉と私」にもあるように、三宅雪子さんの福祉に対する思いは熱いものがありました。選挙に落選しても、政治家の道を突き進んでいたのは、志に迷いがなかったからともいえます。

 

Twitterで、日本理化学工業の障害者雇用率は日本一として賞賛し、会社の碑に刻まれた言葉、「人間の究極の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること」に感銘を受けたことをつぶやいています。

 

人は福祉施設で過保護に守られているばかりではなく、社会で人と人が交ざりあいながら、役に立つことで生きがいを見つけ出すことができるのだという考えに共感し、政治家として支援していくことを目指していました。

三宅雪子さんは落選し続けても決して諦めない

2012年三宅雪子さんは消費増税をめぐり、野田内閣の閣議決定に抗議し辞表を提出し、4月23日に党役員会で受理されました。また衆議院本会議の消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反対し、7月2日に離党届を提出。

 

しかし民主党は、三宅雪子さんの離党届を受理せずに除籍処分としました。そしてその後、同月11日、国民の生活が第一の結党に参加しています。

 

その年の12月に第46回衆議院議員総選挙に立候補しますが、野田佳彦氏に大差をつけられ落選し、比例復活にも届きませんでした。

 

2013年7月には、生活の党の公認候補として、第23回参議院議員通常選挙で比例区からの立候補をしましたが、議席が獲得できずに落選となりました。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

肩書を政治家からルポライターへ

2015年には、党の支持者を名乗る人物からの悪質な嫌がらせを受け、またその対応に党への不満を感じて、生活の党を離党することになりました。

 

落選後も政治活動を続けていた三宅雪子さんですが、2019年7月に日刊ゲンダイに「高齢者はなぜネトウヨにはまるのか」が連載されたことをきっかけとして、肩書きを政治家からルポライターに変えています。

三宅雪子さんの死因

報道では、三宅雪子さんの死因は入水による溺死であると伝えられています。三宅雪子さんは、2019年12月30日から行方が分からなくなり、家族が捜索願を出して探していたのですが、翌2020年1月2日に、東京湾で遺体となって発見されました。

 

三宅雪子さんは、さまざまな体調の不調を自身のTwitterなどでつぶやいており、それらが原因で自ら命を絶ったのではないかという憶測もされています。

体調不良続きだった三宅雪子さん

三宅雪子さんはTwitterやnoteなどのSNSを利用して、こまめに自身の生の言葉を発信し続けていました。その中には、最近の体調の不調についても、度々つぶやいており、そういったものが原因となって、自らの命をと経つ選択につながったと考える人もいます。

 

以前、マンションの4階から転落して、腰の骨を折る大事故の後遺症か、腰痛を訴えていたこともありました。この腰痛は酷く、耐え難い痛みであることを、友人にこぼしていたこともしばしばあります。

 

また行方不明になる3日前のTwitterでは、網膜剝離の治療に病院通いを告白している投稿もされていました。それらがきっかけになったかどうかは定かではありませんが、精神的にも大きなストレスになっていたことは間違いありません。

以前も自殺を思わせる事故

度重なる心痛についても、精神的な負担となって、体調への影響を思わせるような、発言もいくつかありました。仲の良い、周囲の人たちには、心当たりがいくつかあるのも確かですが、本当は芯の強い人物であることを信じていたために、ショックは大きいのでしょう。

 

以前、4階から誤って転落した事故の時に、「さようなら」といった内容のSNSの投稿があり、騒動となりました。

 

またその後、「神様から生きなさいと言われているような気がした」と、発言しており、あれは事故ではなかったのでないのかも知れないという憶測も飛び交っています。

 

結局、自身で「不死身」をアピールし、何が起こっても乗り越えていく、エネルギッシュな女性像を見せてくれていました。

三宅雪子さんの葬儀

2019年12月30日から行方不明になっていた三宅雪子さんの遺体が発見されたのは2020年1月2日のことでした。遺書や自殺をほのめかすメモなどが見つかったということから、自殺だったのだろうということですが、その真相は定かではありません。

 

三宅雪子さんは、自分の意思を貫く力強さがありました。しかしその一方でその力強さが仇となり、悪目立ちしてしまうところもありました。派手なパフォーマンスが反感を買うこともあり、三宅雪子さんの意識とは裏腹に、ネットではさまざまな誹謗中傷が増えていきました。

 

小沢ガールズとして、中身のないイメージだけの存在として扱われることもしばしばあり、それらに対する心的負担は大きなものであったに違いないでしょう。

 

お嬢さま育ちでまっすぐな性格は、時には自分に厳しすぎるところもあり、自分自身で創り出した幻想的なイメージに、耐えうることができなくなったと考えられなくもありません。

 

フジテレビを退社して、高い志をもって駆け抜けた政治家人生を必死で歩み続けた三宅雪子さんの冥福を、大勢の人が祈りました。

 

三宅雪子さんの葬儀は、親族と近しい友人だけのこぢんまりとした家族葬でした。参列した友人が、自身のTwitterで、生前と変わらぬ美しくて安らかなお顔だったと報告しています。

三宅雪子さんの駆け抜けた人生

元衆議院議員三宅雪子さんの突然の訃報に、多くの人が衝撃を受けました。自宅から遺書が見つかりましたがその真相は誰にもわかりません。

 

政治家として戦い続けた三宅雪子さんは、波乱万丈な人生を駆け抜けました。家族と友人に見送られた三宅雪子さんにご冥福をお祈りいたします。