萩原健一さんの葬儀|永遠の不良少年が火葬・葬儀を急いだ理由とは?

公開日 : 2020/5/14

更新日 : 2020/9/9

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「ショーケン」の愛称で親しまれた歌手であり俳優の萩原健一さんは、2019年3月26日消化管間質腫瘍のため68歳という若さで亡くなられました。生前は、様々なスキャンダルが絶えなかった萩原健一さんの葬儀はどのような形で営まれたのかを詳しくお伝えしていきます。

公開日 : 2020/5/14

更新日 : 2020/9/9

目次

萩原健一さんのプロフィール

萩原健一さんは、言わずと知れた名優です。破天荒な人生を歩んだショーケンさんがどのような最期を選んだのかをご存知ない方もたくさんおられるでしょう。まずは、歌手・俳優としてショーケンこと萩原健一さんは生前どんな人生を歩まれたのかを詳しくご紹介していきます。

17歳で歌手デビュー

萩原健一さんの本名は、萩原敬三(はぎわらけいぞう)さんといいます。1950年7月26日に埼玉県北足立郡与野町(現在のさいたま市中央区)の鮮魚店に生まれました。 東京都荒川区の聖橋高校在学中に埼玉県大宮市でスカウトされ、「ザ・スパイダーズ」の弟分のバンド「ザ・テンプターズ」のヴォーカリストとして歌手デビューをし、「エメラルドの伝説」や「神様お願い!」などヒット曲を連発しました。

22歳で俳優デビュー

「ザ・テンプターズ」は萩原健一さんが20歳の時に解散。その後は音楽活動より映画監督を目指すようになりました。 22歳の時。サード助監督として参加していた「約束」という映画の主演俳優の中山仁さんが降板したため、萩原健一さんが代役に抜擢されました。この映画での演技が高い評価をうけ、俳優としての道を本格的に歩み始めました。

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「太陽にほえろ」で一躍スターに!

萩原健一さんといえば、石原裕次郎さんが主演のドラマ「太陽にほえろ」の新人刑事マカロニ役を演じたことで「俳優・萩原健一」の名を世間に広めるきっかっけとなりました。 実は、萩原健一さんは最初この役のオファーが来た時一度は断ったものの、「萩原健一さんが全て好きなようにやる」ということでマカロニ刑事役を引き受けたというエピソードがあります。 さらに、超有名な「太陽にほえろ」のオープニング曲も萩原健一さんの提案で知人に作成してもらった楽曲です。伝説のドラマは萩原健一さんがいたからこそ生まれた作品だと言っても過言ではありません。

4度の逮捕歴があった

歌手そして俳優としても成功をおさめ順風満帆だった萩原健一さんですが、1983年の大麻不法所持で逮捕された事件を皮切りに1984年には飲酒運転・2004年に車を運転中にバイクと衝突事故・2005年に主演映画の出演料を巡りプロデューサーへの恐喝と人生で4度も逮捕され、型破りなイメージが定着しました。

闘病生活を隠しながら精力的に芸能活動

「消化管間室腫瘍」という悪性腫瘍で亡くなった萩原健一さんですが、この病気は非常に珍しい病気で発症の割合は10万人に1~2人で、治療法も確立されていないため「長く苦しい闘病生活」を強いられたということになります。 実は2011年から闘病をしていましたが、本人の強い希望で亡くなる2019年まで病名の公表を控え芸能活動を続けていて、テレビドラマなどにも出演し、病気であることを感じさせない活躍を見せていた萩原さんの死に、萩原健一さんの訃報に驚かれた方もたくさんいるここと思います。最期まで自身の病気と向き合い、病気だと気づかれないように芸能活動を続けた萩原健一さんの強さが伺えます。

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68歳の時にレコードレーベルを設立

61歳の時から病気と向き合ってきた萩原健一さんは、芸能生活50周年を迎えた2018年(68歳)の時に自信のレーベルである「Sholem Record」を設立し、自身の生涯で最後のシングル曲となった「Time Flies」を発表しライブを行いました。 萩原健一さんは俳優というイメージが強くありますが「俳優が7割で、歌手は3割ほど」と生前語っていた萩原健一さん。しかし「私には欠くことのできないもの」と歌もとても大事にしていたようです。

晩年は東洋思想や仏教の研究に取り組んだ

萩原兼父さんは、若い頃にはベトナム反戦のデモに加わり機動隊に捕まったという経歴があったり、右翼団体の方にほれ込んで映画化を実現したと逸話もありました。 テレビドラマ「傷だらけの天使」で共演をした女優の岸田今日子さんは、「そのうちカルト教団にでも入るのではないか」と本当に心配してくれたほど、様々な思想に興味があったと言います。 病気を発症頃からは、東洋思想や仏教の研究に取り組んだ萩原健一さん。晩年は、自らの人生を振り返り、じっくりと自分自身を見つめなおした期間だったのかもしれません。

萩原健一さんをむしばんだ病気とは?

萩原健一さんの死因はGIST(消化管間質腫瘍)というほとんど聞いたことのない病気です。この病気は、胃や小腸などの消化管の壁にできる悪性腫瘍の一種で病変が大きくなっても自覚症状が少ない腫瘍と言われていて、発生頻度は10万人1~2人と少ないです。 50~60歳代の患者さんが最も多いですがごく稀に子供でも発症し、発症部位の割合は胃が70%・小腸20%・大腸及び食道が5%とされています。 最も多くみられる症状は、「腫瘍からの出血による吐血や下血、貧血」、「はっきりしない腹痛」、「腹部腫瘤(しこり)」などで、発症した場所によってははっきりとした自覚症状がない場合が多いので、腫瘍が大きくなるまで気づかないことも多いという怖い病気です。

異例のスピード火葬!葬儀は親族のみの密葬

萩原健一さんほどの大物俳優であれば、たくさんの仕事仲間やファンの方たちに見送られる形の葬儀やお別れの会などが執り行われるというイメージがありますが、萩原健一さんの葬儀とはどのようなものだったのでしょうか。

死因は「消化管間室腫瘍」

萩原健一さんは2011年から「消化管間室腫瘍」を患っており手術も受け自宅で過ごしていましたが、2019年3月25日に容態が急変。都内の病院へ救急搬送され、翌26日にそのまま息を引き取りました。 長い闘病生活を送ってきた萩原健一さんの最期は「とても穏やかで安らかにゆっくりゆっくり、眠るように息を引き取りました。」と妻のリカさんが語っています。

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亡くなった翌日に火葬

首都圏の火葬場は常に混雑しているため、亡くなってから火葬をするまでの平均日数は約6日という時間を要するのが一般的ですが、萩原健一さんは亡くなった翌日に火葬を執り行いました。この背景には、「亡くなった場合にはすぐに火葬を済ませてほしい」といった本人の強い要望があったからです。 萩原健一さんは容体が急変し救急搬送された病院で息を引き取り、翌日に火葬されたのは事実です。もし、急に亡くなった時でも翌日に火葬してもらえる場所を決めていた可能性が高いです。本人の意思を尊重してあげたいという妻リカさんの配慮から「翌日火葬」が実現できたのでしょう。

葬儀は神奈川県鶴見近辺で行われた

火葬と同様、都内においては萩原健一さんの希望通りの葬儀ができなかったことでしょう。葬儀も、萩原健一さんが住んでいた都内ではなく、以前住んでいた神奈川県の鶴見近辺で行われました。

親族も知らないお墓の場所

萩原健一さん側の親族は、身内だけで葬儀を執り行ったという報告は受けたものの火葬や葬儀にも立ち会えなかったばかりか、遺骨やお墓の場所を知らされてないという報道がありました。 萩原健一さん側の親族としては、葬儀などにも参列できなったのでせめてお墓参りはしたいという気持ちがあるのは当然です。お墓の場所も知らせないというのは、もしかしたら萩原健一さんの意思かもしれませんが、いつか親族の方たちも手を合わせる時がくると願っていることでしょう。

亡くなる8日前に「内田裕也」さんにコメントを発表していた

萩原健一さんが亡くなったのが2019年3月26日、そのわずか8日前の3月17日に亡くなったロック歌手で俳優の内田裕也さんへ「非常に残念です。近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸がありタイミングを逃しました。心よりご冥福をお祈りします。」と所属事務所を通じてコメントしていました。 萩原健一さんご自身も、まだまだ精力的に活動するという意思が感じられるコメントを発表していただけに「突然の訃報」と感じた方も多いことでしょう。

萩原健一さんの死を偲ぶたくさんのコメント

萩原健一さんは、多くの芸能人の方のように「お別れの会」などを執り行わず、親族だけで葬儀をすることを選択しました。 しかし、17歳から歌手デビューをして51年間という長い芸能活動をしてきた萩原健一さんと親交の深かった多くの著名人の方たちからはメディアや自身のSNSを通じて追悼のコメントが多数寄せられました。 コメントを寄せた方たちは「素敵な方だった」と萩原健一さんの俳優としての才能と人柄を語っていました。

妻のリカさんと共に戦った闘病生活

萩原健一さんは、3度の離婚と結婚を経験し最期の伴侶となったリカさんと結婚したのが2011年2月。穏やかな新婚生活が始まったのもつかの間萩原健一さんの病が発覚しました。つまり、新婚生活と闘病生活が重なったことになりますが、最期まで妻のリカさんは萩原健一さんを献身的に支えました。 破天荒な人生を歩んできた萩原健一さんは、「すっかり人が変わり穏やかになった」と言われていました。最期をしっかりと看取ってもらえる奥さんと結婚して、萩原健一さんは幸せだったことでしょう。

萩原健一さんが火葬や葬儀を急いだのは最愛の妻のためだった

3度の結婚と離婚を繰り返し、.1983年に大麻不法所持、1984年には飲酒運転による人身事故を起こし逮捕されるなど波乱万丈な人生だった萩原健一さん。 火葬や葬儀を急ぎ密葬という形を選んだ理由は、4人目の妻である冨田リカさんに、自分が亡くなったことで何らかのトラブルに巻き込まれないようにという配慮からでした。ひっそりと消えていくというのは萩原健一さんらしい最期の選択といえるのではないでしょうか。