大沼啓延さんの葬儀 | 「静岡の夕方の顔」と言われた人気キャスター

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/6

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スポーツキャスターの先駆けとして活躍し、ダンディーないで立ちで静岡のテレビを盛り上げた大沼啓延さん。司会者としてだけでなく歌手としても活躍した多才な人でしたが、68歳という短い人生で幕を閉じました。そんな大沼さんの葬儀はどういった様子だったのでしょうか。

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/6

目次

大沼啓延さんのプロフィール

静岡を中心にテレビ番組のメインキャスターとして活躍していた大沼啓延さんの葬儀について知る前に、まず大沼さんの経歴を確認しておきましょう。

裏方から番組キャスターに抜擢され独立

大沼啓延さんは1950年1月15日に静岡県静岡市で生まれました。明治大学を卒業した後、TBSビジョンに入社し、番組の制作に携わりました。元々は裏方の仕事をしていたのです。しかし1978年にTBS『がんばれライオンズ』に出演できなくなったリポーターの代理を務めました。

 

大沼さんはこれを機に、番組プロデューサーの勧めでテレビに出演するようになり、TBSの『朝のホットライン』でスポーツキャスターを務めるようになりました。後番組『ときめき 生情報810』のメインキャスターも担当しています。

 

そして1990年に大沼さんは独立して制作会社「大沼企画」を立ち上げます。1997年からはテレ朝の『スーパーモーニング』のキャスターを務めて全国的な人気を得ました。2004年から静岡朝日テレビの『とびっきり!しずおか』の司会を担当しています。

大沼啓延さんはスポーツキャスターの先駆けだった

大沼啓延さんはスポーツキャスターの先駆けと言える存在で、『朝のホットライン』でスポーツを担当した時は自らグランドや球場に足を運んで取材して、番組で伝えました。これは今のアナウンサーは普通に行うことですが、最初に始めたのは大沼さんとされています。

 

大沼さんはプロ野球のナイターの取材後は放送局に戻り、打ち合わせをして深夜1時に帰宅していました。そして朝4時に起床して番組に出演していました。寝坊をしないように目覚まし時計を15個セットして眠ったということです。

 

しかしそのような激務が大沼さんの寿命を縮めてしまったのは間違いないでしょう。大沼さんの人生は太く短いものだったと言えます。

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歌手デビューし、地元静岡で多くのイベントを開催

大沼啓延さんは歌も大変得意で、2007年には「夢 語る街静岡」で歌手デビューしました。その後も「もう一度逢いたい〜小坂路の女よ〜」「もういちど女」といった曲をリリースしています。

 

大沼さんは2ヶ月に1度のペースで七間町の「大沼さんの歌声広場」や清水駅前銀座商店街の「大沼さんのふれあい広場」を開いて歌を披露するなど、地元静岡の人々との交流を積極的に行っていました。

 

また大沼さんは甘党で有名で、「あんこ番長」を名乗っていました。七間町青空市などのお菓子店のイベントに参加し、プロモーションをするといったことも行っています。期間限定の「大沼スイーツ」のプロデュースもしています。

大沼啓延さんの最期

番組司会者と歌手でマルチに活躍していた大沼啓延さん。しかしまだまだこれからという時に、大沼さんを悲劇が襲ったのです。

突如、大動脈瘤解離を発症し緊急手術

大沼啓延さんは2018年4月27日の『とびっきり!しずおか』に出演した翌日、7月11日に発売予定の4枚目のシングル「あの日・・・あの時」のレコーディング前に都内の自宅で胸と背中の痛みを訴えました。

 

大沼さんの妻で作家の相沢早苗さんと曲についての打ち合わせや発声練習をしている最中でしたが、早苗さんは大沼さんが苦しむのを見てすぐに救急車を呼び、大沼さんは病院に搬送されました。そして医師から大動脈瘤解離と診断を受けて、緊急手術を行いました。

 

大動脈瘤解離とは体を通る一番太い血管が縦に割けてしまう症状で、動脈硬化や高血圧が原因とされています。大沼さんは長年激務を続け、また大の甘党だったためにこのような病気になってしまったのでしょうか。

手術は成功するも意識は回復せず肺炎で亡くなる

大動脈瘤解離により大動脈が割けた時は、大変な激痛が襲うとのことです。大沼啓延さんの苦痛を思うと心が痛みます。割けた後は痛みは治まるものの、血管が膨らんで大動脈瘤となり破裂に至ります。破裂後は血圧が極度に低下してショック状態や突然死に至ります。

 

幸い大沼さんは緊急処置で痛みが治まり、その時は意識があって「2,3日休むことになるかな」と話して医師にもっとかかりますとたしなめられていたとのことで、まだ元気だったそうです。

 

大動脈瘤解離の手術は、裂けてしまった大動脈を人工のものに置き換えるか、大動脈の枝分かれ部分の血流が妨げられている時は血管のバイパスを行います。大沼さんの手術もそういった内容だったと推測されます。

 

大沼啓延さんの手術は成功しましたが、そのまま意識が戻ることはなく、2018年5月9日1時14分に併発した肺炎で永眠されました。68歳でした。大沼さんの奥さんによると、大沼さんは意識が無い中でも奥さんが「静岡」と言うと反応していたそうです。

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静岡朝日テレビでは追悼パネルが掲示された

大沼啓延さんが亡くなった2日後の5月11日、静岡朝日テレビの建物に大沼さんを追悼するメッセージパネルが掲示されました。パネルには大沼さんや番組スタッフの姿が描かれ「大沼啓延さん14年間とびっきりの笑顔と元気をありがとうございました」と記されています。

 

これほど早くこのようなパネルが展示されるのは異例ですが、それだけ静岡にとって大沼さんが大きな存在だったことが伺えます。

 

このパネルを目にした50代女性は、大沼さんが亡くなって自分の母は毎日、泣いています。私も涙が出てきますと、大沼さんを失った悲しみを訴えています。また静岡朝日放送の番組では大沼さんを追悼する視聴者からのメッセージが読まれたということです。

通夜・偲ぶ会・送る会で多くの人が大沼啓延さんの死を悼んだ

ダンディないでたちで番組キャスターを務めて静岡の人々に愛されていた大沼啓延さん。その葬儀やお別れの会では多くの人がその死を惜しんだようです。

 

通夜には600人の方々が集まった

大沼啓延さんの通夜は5月12日に静岡市内でしめやかに執り行われました。戒名は「朝啓飛延」で、喪主は妻の相沢早苗さんでした。参列者には「スーパーモーニング」でコンビを組んだ伊藤聡子キャスター、三雲孝江アナウンサー、タレントの久保ひとみさんがいました。

 

通夜には約600人が参列しました。通夜でこの人数は異例ですが、それだけ大沼さんが多くの人たちから慕われていたということでしょう。早苗さんは、静岡の皆さんに悲しんでいただいて、自分は大沼を静岡からお預かりしていたんだなと実感したとのことです。

 

通夜の祭壇の横には大の甘党の大沼さんを偲んで、「大沼」の焼き印が押された静岡名物の「ずんどう焼き」が供えられました。製造元は営業を終了していましたが、製あん機を大沼さんが引き取っていて、それで作られたとのことです。

健気に喪主を務める相沢早苗さんに涙した伊藤聡子さん

大沼啓延さんの通夜に参列した伊藤聡子さんはブログで、大沼さんは棺の中でもかっこよく、声を掛けたら起き上がりそうに綺麗な死に顔で、亡くなったことが信じられないと感じたと語っています。それだけに悲しくて涙が出たと綴っています。

 

また伊藤さんは、現役のまま周りに迷惑をかけずに皆に愛され輝きながら去って行った大沼さんは理想的で、うらやましくもあると語っています。妻の早苗さんは時折涙をにじませながら、私は今人生で一番頑張っている!と自分を励ましながら喪主を務めていたそうです。

 

大沼さんと30年連れ添った早苗さんは、大沼さんからどんな時でも笑顔でいようと言われていたので、辛い喪主も笑顔で頑張ることが出来たということです。そんな健気な早苗さんを見て伊藤さんはまた涙を流してしまったそうですね。

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大沼さんを偲ぶ会は70人が集まった

6月2日には大沼啓延さんが「大沼さんのふれあい広場」を開いていた清水駅前銀座商店街で大沼さんを偲ぶ会が開かれました。開催が決まったのは1週間前でしたが、70人の人が集まったということです。

 

参加した妻の早苗さんによると、大沼さんは静岡を長寿世界一にしようという企画を考えていたそうです。その大沼さんが68歳で亡くなったのは無念ですが、夫は100歳分の人生を生きたと思っているとのことです。

 

最後に参加者皆で「明日があるさ」を合唱して閉会としたそうです。大沼さんの戒名の朝啓飛延には「飛」という文字が含まれていて、これからも大沼さんがどこかから飛んできてくれるように思えたと、参加者みんなが感じたとのことです。

大沼さんを送る会は1100人の方々が集まった

6月17日には静岡市駿河区のホテルセンチュリー静岡で大沼啓延さんを送る会が行われました。広い会場の中央には大沼さんの大きな遺影と花が飾られ、1100人もの方々が集まりました。巨大スクリーンには大沼さんの幼少期からの生い立ちの映像が流れました。

 

またリリースするはずだった新曲「あの日・・・あの時」を歌う大沼さんの姿も映像で公開されたのです。この映像を見て涙をぬぐう参列者が多く見られました。その後は参列者全員で献花を行ったということです。

 

妻の相沢早苗さんは、私達夫婦はどんな時でも笑顔で乗り切ろうが合言葉だったので、この会も涙のち笑顔で行うと述べました。そしてその通り、終始にこやかに行われました。天国の大沼さんもきっと満足したことでしょう。

多くの静岡県民に愛された大沼啓延さん

人気の番組キャスターだった大沼啓延さんの生涯と最期の様子をお伝えしましたが、どのように感じられましたでしょうか。大沼さんは静岡の方々に広く愛され、その死は多くの人に惜しまれました。大沼さんの存在は静岡県民の間でいつまでも語り伝えられることでしょう。