パット・トーピーさんの葬儀 |音楽人生を歩み続けた人気ドラマー

公開日 : 2020/7/17

更新日 : 2020/9/10

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アメリカのロックバンド「MR.BIG」のドラマーとして知られ、さまざまな活躍を見せていたパットさん。64歳という短い生涯に幕を閉じ、世界中に衝撃と悲しみを与えました。パットさんが歩んだ音楽人生とはどんなものだったのか、葬儀の詳細とともにお伝えします。

公開日 : 2020/7/17

更新日 : 2020/9/10

目次

パット・トーピーさんのプロフィール

パットさんは、亡くなる直前まで人気ロックバンド「MR.BIG」で活躍していましたが、そのほかにもさまざまな経歴があります。素晴らしい功績の数々とともに、パットさんのミュージシャンとしての生涯を振り返ってみましょう。

アメリカのオハイオ州に誕生

1953年12月13日、アメリカのオハイオ州にある、豊かな自然に恵まれた街「ペインズヴィル」に誕生しました。家族は警察官である父親と、秘書として仕事をこなす母親、そして姉のバーバラさん。

 

実は姉のバーバラさんが、のちにイギリスの有名ロックバンド「ビートルズ」の話しをパットさんにしたことがきっかけとなって、パットさんは音楽に夢中になっていきます。

 

バーバラさんがビートルズの話しをしなかったら、パットさんが世界的に活躍するミュージシャンになることもなかったのかもしれません。

7歳でドラムに目覚める

図工と算数が得意なパット少年はすくすくと育ち、7歳の時にドラムに目覚めます。ポルカバンドを見たことがきっかけとなり、2~3年後にドラムのスティックを買ってもらうまでは、庭にある小枝を削った自作のスティックなどを使用していました。

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12歳で両親が離婚

両親が離婚し、母親の故郷アリゾナ州フェニックスに引っ越しをします。その2年後には初めての中古ドラムセットを手に入れ、バンドも結成。ますます音楽にのめり込んでいきました。

 

のちに母親が再婚し、父親が違う妹2人も誕生します。

ミュージシャンへ進路を変更

高校時代にはレッド・ツェッペリンのドラマーであるジョン・ボーナムや、ミッチ・ミッチェルなどの影響を受け、独学でドラムの練習に励みました

 

高校卒業後の進路は、アリゾナ州立大学への進学でしたが、1年間猶予をもらいバンドツアーに参加。この時、バイトでお金を貯めて新しいドラムセット「CHESHIRE CAT」と車を購入しました。

 

さまざまなバンドの結成・解散を繰り返しながら、着々とドラムスキルを上げていきます。パットさんはすでにこの頃から、ドラム担当でありながらリードシンガーもこなす、高い音楽的能力を持っていました。

「MR.BIG」に加入

1985年以降から、アメリカの人気シンガーである「ベリンダ・カーライル」のバンドメンバーを務めたり、ロックバンド「The Knack」のレコーディングに参加したりと、大きな仕事が舞い込むようになりました。

 

そして後に長きに渡りバンド仲間となる、ベース担当のビリー・シーンとの出会いを機に、「MR.BIG」を結成。アメリカやカナダを中心にツアーを開始します。

 

1989年には「MR.BIG」がデビューを果たし、メディアへの出演、ツアーへの参加、他のアーティストとのコラボ演奏など、多忙な音楽生活を送っていました。また、この年に生涯の伴侶となる妻のカレンさんと結婚しています。

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「MR.BIG」の解散

絶好調の勢いを見せていた「MR.BIG」でしたが、バンドメンバーの不仲が原因となり、2002年に解散。パットさんは2009年のバンド再結成まで、ほかのロックバンドやさまざまなイベントで活躍し続けました。

パーキンソン病を発症

右足の動きの違和感などの兆候が出始めてから数年後の2014年、パーキンソン病という診断を受け公式発表をしました。今までのようにはドラムが叩けなくなっていたため、マット・スターをサポートドラマーとして招き入れ、ツアーを続行。

 

しかしパットさんの病状は徐々に悪化。ドラムが叩ける曲数も減り、パーキンソン病の発覚から3年後のツアーでは、バラード1曲のみのドラムプレイとなりました。

 

それでもリハビリをしながら、「MR.BIG」のメンバーとして亡くなる直前までバンド活動を続けました。

パット・トーピーさんの最期

多才なうえに人柄も良かったパットさんは、ファンだけでなくバンドメンバーや音楽関係者など、多くの人から愛されていました。世界中が悲しみに包まれたパットさんの最期とは、どのようなものだったのでしょうか。

死因

2018年2月7日、パットさんはパーキンソン病の合併症が原因で亡くなりました。訃報が流れたのはパットさんが亡くなった2日後の2月9日で、バンドのツイッター上で公式に発表されました。亡くなった場所や状況などの詳細については公表されていません。

 

パーキンソン病は運動障害を引き起こす神経変性疾患で、徐々に進行します。パーキンソン病で亡くなる方で一番多い死因が、うまく飲み込めないことで生じる誤嚥性肺炎で、全体の60パーセントを占めると言われています。

 

パットさんの死因が誤嚥性肺炎であったかは定かではありませんが、パーキンソン病が引き起こす運動障害などが原因となったことが考えられます。64歳という早すぎる死でした。

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葬儀

パットさんの訃報を受け世界中のファンが悲しんだのはもちろん、生前パットさんと接していた家族やバンドメンバー、音楽関係者が、計り知れないショックと悲しみに押しつぶされそうになったのは、言うまでもありません。

 

「MR.BIG」の公式ツイッターサイトでは、遺族やバンドメンバー、マネージメントのプライバシー考慮に対するお願いがされ、葬儀の詳細は未定とされていました。

 

その後も葬儀に関しての詳細が公表されることはありませんでしたが、ロサンゼルス市内で行われたようです。「MR.BIG」のバンドメンバーやバンド関係者が参列し、ベース担当だったビリー・シーンの妻であるエリザベッタさんなどがスピーチを行いました。

 

残念ながらビリー・シーンとギター担当のポール・ギルバートは仕事の都合で葬儀に参列できませんでしたが、パットさんは近しい人達の涙で見送られました

追悼ライブ

パットさんが亡くなってから約3か月後の2018年5月23日、ロサンゼルスにあるイベント会場「The Canyon Club」にてパットさんの追悼ライブが行われました。

 

追悼とはいえ、ライブ名は「Celebrating The Life Of Pat Torpey(パット・トーピーの生涯を祝福)」。パットさんが歩んだ人生を祝うという趣旨でした。パットさんが亡くなった後、バンドメンバーはそれぞれが別の活動を行っていましたが、このライブのために久しぶりに集まりました。

 

またパットさんの生前に一緒に音楽活動を行った、リッチー・コッツェンやグレッグ・ビソネット、チャック・ライトなど、多くの有名ミュージシャンも参加。最後は「MR.BIG」の大ヒット曲「To be with you」を全員で大合唱しました。

追悼コメントの数々

パットさんは、パーキンソン病が引き起こす運動障害のため手足がうまく動かずに、ドラムプレイが困難になってはいたものの、誰もが今後の活躍に期待を寄せていました。

 

あまりに突然の悲しいニュースを受け、バンドメンバーはもちろん、たくさんのミュージシャンがソーシャルメディアに追悼コメントを載せています。内容をまとめたものをいくつかご紹介します。

エリック・マーティン(MR.BIG・ボーカリスト)

「世界中の親愛なる皆さん、ほとんどの人が御存じだと思うが、僕の友人であり、ドラマーであり、歌のパートナーであり、そしてバンド兄弟であるパット・トーピーが昨日に亡くなった。僕たちは全員動揺を隠せず、深い悲しみに打ちひしがれている。彼は今まで出会った誰よりも強く、優しく、素敵な人だった。自分の気持ちをうまく言葉に出来ないが、ご想像通り深い悲しみに打ちひしがれている。彼はファンの皆さんをとても愛していた。彼の夫人であるカレンとご子息のパトリックジュニアのために、心から祈りましょう。」

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リッチー・コッツェン(元Poisonメンバー、MR.BIGにも一時期加入・ギタリスト)

「友人であり以前のバンド仲間であったパット・トーピーの死を知るにはあまりに突然だった。世界中をツアーでまわり、音楽を作り、家族で集まって休暇を楽しみ、さらには家の改築まで一緒に行った。パットのユーモアのセンス、才知、笑顔が、どんな場所でも彼が足を踏み入れた瞬間に明るくさせた。とても大切な友達でいてくれたことや自分の人生に影響を与えてくれたことにとても感謝している。言葉では言い表せないぐらい君がいなくて寂しくなるよ。愛と涙を込めて。友よ安らかに。」

ジョー・リン・ターナー(元レインボー・ボーカリスト)

「パット・トーピー、絶妙なドラマーで素晴らしい人だった。彼と一緒に仕事ができて光栄だった。彼がいなくなり寂しくなるだろう。遺族や友達、バンドメンバーに心よりお悔みもうしあげます。」

ディーン・カストロノヴォ(元ジャーニー・ドラマー)

「たった今パット・トーピー死去のニュースを聞いた。彼を知ることができ、1992年に彼と一緒にMR.BIGのツアーに参加もできて、僕は恵まれていた。彼は堅実で素晴らしいドラマー兼ボーカリストだった。安らかに眠ってください。」

パット・トーピーさんのドラムプレイは永遠に

多くの人に惜しまれ、この世を旅立った人気ドラマー、パット・トーピーさん。さらなる活躍が見られなくなってしまったのが残念でなりませんが、パットさんのドラムプレイは「MR.BIG」の楽曲の中で生き続け、これからもずっと多くのファンを楽しませてくれることでしょう。

 

パット・トーピーさんのご冥福を心よりお祈りします。