松本ちえこさんの葬儀|アイドルから女優まで波乱の人生だった
公開日 : 2020/6/24
更新日 : 2020/9/9
昭和のアイドルでCMによって一躍人気者になった松本ちえこさんが60歳で亡くなりました。還暦という節目に亡くなり驚いた方も多かったです。アイドル業から女優業に転身したりと波乱な人生を歩んできたので、詳しくまとめてみました。
公開日 : 2020/6/24
更新日 : 2020/9/9
目次
松本ちえこさんのプロフィール
松本ちえこさんは、アイドル業から女優業へ転身と様々な活動を行ってきました。70年代のアイドルの一人として、どのような活動を行いブレイクしたのか詳しい内容をまとめてみました。
スカウトでアイドルデビュー
松本ちえこさんは、お友達と歌番組の見学に行ったときスカウトされ、テレビ局の人から桜田淳子さんの歌を歌ってくれないかと声をかけられて、承諾したことからアイドルとしてデビューをします。それだけ何か人を引き付ける魅力があったということがわかります。
朝日テレビで行われていた歌謡バラエティー番組「前武のヤングアップ」のタレントスカウトコーナーで見事合格し、1974年にアイドル歌手として本格的なデビューを果たします。「ボーイフレンド」という曲でデビューをしました。
同期の伊藤咲子さん・太田裕美さん・木ノ内みどりさん・林寛子さん・相本久美子さんの任期もあり、あまりアイドルという仕事がありませんでした。そのため、2曲目の「まぶしい彼」まで1年のブランクがありました。
資生堂バスボンのCMでブレイク
アイドル歌手としてあまりぱっとしませんでしたが、1976年に資生堂バスボンのCMでブレイクを果たし、『バスボンの歌』が話題になりました。曲はシングル化されませんでしたが、後にアルバム収録されています。この勢いに乗って同年に「恋人試験」を発売し大ヒットします。
CMソングは頭の中に曲が残りやすく、特に女性に評判がよかったため次々に発売する曲がヒットしました。3か月ごとに新曲が発売されるほど、勢いがのっていました。昭和のアイドル戦国時代だったからこそ、勢いのあるうちに次々と曲を発売されていました。
「恋人」や「学業」に関連する楽曲が続き、「ぼく」はスマッシュヒットでした。松本ちえこさんが歌う歌詞に共感する方も多く、庶民的で普通の可愛い女の子のイメージが世間の評判を高めました。山口百恵さんやピンクレディーなど70年代のアイドルの盛り上がりはすごいです。
妊娠疑惑騒動で仕事が減る
アイドル業が軌道に乗り始めましたが、妊娠疑惑騒動によってアイドルのイメージを低落させてしまい女優業に転身します。1977年に下腹部のふくらみが目立ち始め、テレビに出演する際にマタニティーのような衣装が増えたことから妊娠の噂が流れてしまいます。
松本ちえこさんは下腹部が張り、体調に異変を感じていたこともあり心配した両親は産婦人科を受診し、卵巣系の腫瘍が見つかります。お正月番組をこなしてから病院に入院し、卵巣の中にコブができているため腹水を1リットル抜きました。
病気により体重が減ったこともあり、体のラインを気にしていましたが数日で退院することができ、体が快方に向かっていることを報告されています。妊娠疑惑騒動により、交際報道も出ましたが個人的なお付き合いはないとはっきりと否定されています。
アイドルからの転身
松本ちえこさんは1979年の20歳の時に、「月刊プレイボーイ」で衝撃のヌードを公開しました。その後1984年に日活ロマンポルノに出演し、女優業へ活動の場を移します。1995年には自らのプロデュースで南フランスで撮影されたヘアヌード写真集も出版されています。
このように松本ちえこさんは、女優・タレントとして地道に活動を結婚するまで続けていました。同期のような華やかな活動ではありませんが、女優業も頑張っていたことが伝わります。
プライベートでは結婚・出産・離婚を経験
松本ちえこさんは、1990年に6歳年下のミュージシャンである高澤一人さんとの間に女の子を設けます。未婚として騒がさせることになり、世間を騒がせました。未婚でしたが、娘が生まれてから結婚をし、1999年に離婚をしていますがその理由は公表されていません。
娘の高澤桃子さんは2005年に芸能界デビューを果たします。親子でテレビ共演を果たすし娘とは一緒に暮らしていました。娘の高澤桃子さんのプライベートでは、結婚をし子供を出産されたので、松本ちえこさんにとっては孫が生まれて喜ばれていました。
娘の家族と3世代で同居をしており、亡くなる寸前まで一緒に暮らしていました。結婚・出産・離婚と様々な人生を送った松本ちえこさんですが、娘の結婚や出産など一緒の時間を過ごしてゆっくりと過ごすことができていました。
芸能活動は仕事のオファーがあるときだけ
松本ちえこさんは育児が一段落してから、芸能活動を再開されます。当時のブームにあやかりヌード写真集も発売されました。娘が芸能デビューをしてからは、バラエティー番組への出演が増えますが、結婚前のように多くの活動は行っていません。
2010年以降の活動も雑誌の取材等が多く、特集されることもありました。事務所は、親族が経営されているところに籍を置き、昭和で活躍された昔を懐かしむ方への番組の出演依頼があるときに受ける程度にとどめています。
そのため、2014年まで席を置いていた芸能事務所のアイティ企画では、松本ちえこさんの連絡先も知らず急死したことも知りませんでした。30歳以降の活動が少ないこともあり、世間の方は若かったアイドルや女優時代のイメージが保たれたままで亡くなりました。
松本ちえこさんの死因は大動脈瘤破裂
松本ちえこさんの急死に驚いた方も多かったです。松本ちえこさんが亡くなるまでの経緯をご紹介します。
前日まで元気な姿を見せていた
松本ちえこさんは2019年11月17日に大動脈瘤破裂で亡くなりました。前日までは元気な姿を見せており、娘さんとも一緒に暮らしているのでその姿を確認されています。17日の朝に娘さんが松本ちえこさんの亡くなった状態を発見しています。
突然死ということもあり、残された家族の悲しみは計り知れません。また、早すぎる死に多くのファンも驚きを隠せなかったことでしょう。闘病や持病があったわけでもないため、突然の死は心の整理をつけるのが大変です。
大動脈瘤破裂は怖い病気
松本ちえこさんが急死した大動脈瘤破裂という病気は、ほとんどの場合が自覚症状がないため突然やってきます。大動脈の血管の壁がコブのようになり、大動脈瘤が破裂すると出血するため突然死に至ってしまうのです。
主な原因は、動脈硬化の進行と言われており高血圧・糖尿病・脂質異常・肥満・喫煙が関係しています。発症年齢は70歳代が多く、胸部レントゲンや腹部の触診で確認をし、破裂前であれば薬物治療や人工血管への置き換え手術など治療法はあります。
自覚症状がなかったこともあり、松本ちえこさんも進行に気づけなく突然死になってしまいました。
松本ちえこさんの葬儀について
松本ちえこさんが急死され、葬儀が行われました。芸能活動は減ってきていましたが、どのような最期を送ったのかご紹介します。
小さなお葬式で済ませていた
松本ちえこさんは大動脈瘤破裂で亡くなりましたが、訃報はしばらくしてから知った方も多いです。2019年11月17日の朝に亡くなり、12月16日配信の「週刊女性PRIME」で明らかになっています。そのため、葬儀や告別式は都内の斎場で済まされていました。
よって、葬儀の詳細については特に公表されていないため参列者の人数も不明です。近年、家族葬が増えておりお別れ会などは後日に行う芸能人も多いですが、親族が経営されている事務所に所属していたこともあり、昔にお世話になった方々は亡くなったことを知りませんでした。
突然死のため、家族の悲しみを考えると家族葬などで小さなお葬式で済ませた可能性も高いです。松本ちえこさんのアイドル時代のことをブログに投稿していた「フォークソングカフェ」のコメント欄には11月25日に匿名で「昨日お通夜でした」という書き込みがありました。
松本ちえこさんのファンは訃報に驚きの声
70年代のアイドル歌手としてはあまりパッとしなかった松本ちえこさんですが、訃報を知ったファンの方々はネット上で悲しみの声を上げていました。70年代を象徴する記憶に残るアイドルということもあり、突然死に驚いたファンも多かったことがわかります。
松本ちえこさんが亡くなったことによって、昭和の古き良き時代の一場面を思い出した方が多いです。CMの曲のイメージがやはり強く、今でも口ずさむことができる方が多くて久々に聞き返したというファンもいます。
CMによって松本ちえこさんは、「まん丸顔で太い足」というフレーズで女性ファンも多く集めていました。そのため、庶民的で可愛い人で親しみやすかったイメージが強かった方が多いです。昭和の思い出の人がいなくなったと悲しむファンが多く、突然死は衝撃的でした。
70年代を象徴するアイドルだった松本ちえこさん
松本ちえこさんはアイドル時代から女優まで様々な活動をされてきました。同期のような大きな活躍はありませんでしたが、庶民的で可愛らしい女の子として一生懸命アイドルを務めてきたこともあり、松本ちえこさんの訃報には同じ還暦世代の男性ファンはショックが大きかったです。
プライベートでも様々な経験をされたこともあり、出産してからは大きな活動は少なく波乱万丈な人生でしたが、娘さんと孫に癒されながら最期を送ることができたのでしょう。様々な活躍をしてきた松本ちえこさんのご冥福をお祈りいたします。
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