大杉漣さんの葬儀|多くの方が見送ったお別れ会の様子や作品など

公開日 : 2020/5/13

更新日 : 2020/9/8

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俳優の大杉漣さんが突然お亡くなりになりました。特に病気などが無かった大杉さんだったので家族は特に驚きを隠せない様子でした。名わき役として知られた大杉漣さんについて詳しく紹介しています。お別れ会の様子なども紹介していますので見てみてください。

公開日 : 2020/5/13

更新日 : 2020/9/8

目次

大杉漣さんのプロフィール

名わき役として活躍していた俳優の大杉漣さんが66歳で急死しました。ドラマの撮影をしていた矢先の出来事だった為、共演者やスタッフなど多くの方が驚いて悲しんでいます。今後のドラマなどについても気になるところです。

 

大杉漣さんの死は突然の事で驚きと深い悲しみを役者仲間やファンなど多くの方が感じています。そんな大杉漣さんについて詳しく紹介しています。まずは、どんな方だったのかや出演されていた作品について見てみましょう。

活発な幼少期

大杉漣さんの本名は大杉孝さんです。生年月日は1951年9月27日で、徳島県の小松島市に4人兄弟の4番目として生まれました。兄弟と川で泳いだりして遊ぶ活発な少年でした。サッカーをするようになり高校3年の時には徳島県のサッカー協会より優秀な選手として表彰されました。

転形劇場に入団

大学を中退した後に転形劇場に入団しました。きっかけは太田省吾氏の「役者の背中」を読んだ事でした。そこには劇団員募集と書かれていて、連絡するとやる気があるなら来てくれていいと言われて入団する事になりました。


初の舞台は老花夜想でした。大杉漣さんは15年間在籍して37歳の時に劇場は解散してしまいました。そんな時に芸能プロダクションの女性よりマネージャーになりたいと連絡がきました。Vシネマが沢山作られるようになり脇役として食べていけるようになりました。

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数々の作品に出演する

80年に高橋伴明監督の「緊縛いけにえ」で初めて映画に出ました。その後は転形劇場にいながら8年間映像作品にも出演しました。ガキ帝国や連続暴姦、変態家族 兄貴の嫁さんといったピンク映画を中心に活躍していました。


88年の転形劇場が解散された後には舞台や映画、テレビと幅広く活躍していました。93年には北野武監督の「ソナチネ」に出る事になり、途中で端役からメインキャストへとなり多くの方から注目されました。

 

「ポストマンブルース」ではおおさか映画祭助演男優賞を受賞して、97年の「HANA-BI」98年の「犬、走る DOG RACE」などでキネマ旬報やブルーリボン賞、日本アカデミー賞などの多くの賞を受賞しました。

 

脇役や主演俳優として活躍した

大杉さんは沢山の作品に出演しました。99年の「avec mon mari アベックモンマリ」や2000年の「オーディション」、「不貞の季節」、「船を降りたら彼女の島」、03年の「エクステ」07年の「棚の隅」、08年の「休暇」、「ネコナデ」、「ランニング・オン・エンプティ」。

 

他には11年の「一枚のハガキ」、16年の「仮面ライダー1号」、「蜜のあわれ」、「シン・ゴジラ」、17年の「アウトレイジ 最終章」、「予兆 散歩する侵略者 劇場版」18年の「教誨師」などに名わき役や主演俳優として活躍していました。

CMやライブ・バラエティーなどでも活躍

大杉さんは超大作から学生が作る自主映画などまで幅広く出演していました。それ意外にもナレーションやCM、音楽、バラエティー番組などでも親しみやすい性格で多くの方から愛されるキャラクターでした。

 

バラエティーでは「大杉漣の漣ぽっ」や「グルメチキンレース・ゴチになります!」などでも人気を集めていました。91年11月に草サッカーチームの「鰯クラブ」を立ち上げてキャプテンとして活躍しました。背番号は10番でセンターフォワードを務めました。

大杉漣さんのお別れ会が行われた

ドラマのロケ先で急死された大杉漣さんの死を悲しむ声は多く、お別れをしたい芸能人やファンも多く、お別れ会が開かれました。お別れ会には沢山の俳優仲間や関係者、監督なども集まりました。ファンのためのブースも用意されて大勢の方が見送りに来られました。

 

それでは、大杉漣さんの詳しい死因や俳優などからの悲しみの声やお別れ会の様子などについて見てみましょう。大杉漣さんの追悼作品や収録中だったドラマの今後についても併せて紹介していますので確認しましょう。

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死因は急性心不全

俳優の大杉漣さんが2018年2月21日の午前3時53分にお亡くなりになりました。死因は急性心不全です。66歳というまだまだこれからという時に亡くなられて、悲しみの声が多数寄せられています。


名わき役として有名だった大杉漣さんは「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」というドラマの収録をしていました。収録を終えてホテルに行き、食事の後に腹痛があったようです。

 

共演者の田口トモロヲさん、松重豊さん、光石研さん、遠藤憲一さんらとのLINEに具合が悪いと送り、その後に病院に向かいました。ですが、そのままお亡くなりになられました。あまりにも急だったため、共演者など多くの方が信じられないと声をあげています。

大杉さんの家族のコメント

大杉漣さんの長男の大杉隼平さんは3日前に食事をした時には元気だった事や特に病気もなかったのでとても驚いている事や、信じられなくて現実的に受け入れられないといった声をあげました。息子さんの立場になるととても辛く悲しく、受け止められないです。

 

父の大杉漣さんとの思いでを振り返ると、小さい頃からよく遊んでもらっていたようで、とても中の良い親子だったようです。尊敬していた父を突然亡くして、大杉隼平さんはとても信じられない様子との事でした。

俳優仲間などから悲しみの声が多数寄せられた

ドラマ「バイプレイヤーズ」を収録していたロケ先で体調不良になり病院で亡くなられた大杉漣さんは最期が1人ではなく、一緒に共演していた田口トモロヲさん、松重豊さん、光石研さん、遠藤憲一さんらに見送られたようです。

 

共演者からは突然の事で受け入れられない事や喪失感が大きい事、悲しみの声が寄せられました。最後には大杉さんを誇りに思う事やお疲れ様でしたといった、ねぎらいの声もつづられました。ドラマの今後は調整するとの事ですが、最後まで見たいとの声が多く寄せられました。

 

女優の水野美紀さんや俳優の佐藤二朗さん、八嶋智人さんなど多くの俳優さんがツィッターなどで悲しみの声をあげました。大勢の方から寄せられるお悔やみの声に大杉漣さんの偉大さが伝わります。

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大杉漣さんのお別れ会の様子

大杉漣さんのお別れの会にはビートたけしやバイプレイヤーズの共演者、黒沢清、瀬々敬久、SABU、速水もこみち、森山良子、要潤、ユースケ・サンタマリア、斎藤工、比嘉愛未、新木優子、浜田雅功(ダウンタウン)といった多くの芸能人などが参列しました。

 

大杉漣さんと同じ事務所の古舘寛治は受付を務めていました。ファンの為のブースも用意されていました。ファンは大杉さんが出演した舞台の楽屋にかけられていた暖簾をくぐり献花台へ向かうようになっていました。

 

そこには「石内尋常高等小学校 花は散れども」のフェイスマスクや「仮面ライダー」シリーズのパネル、「グルメチキンレース・ゴチになります!」の衣装、徳島ヴォルティスのユニフォームなどが置かれており、多くの方が最後のお別れに来られていました。

大杉漣さんの戒名は?

お別れ会には約700人の参列者に千人のファンが駆けつけました。多くの著名人が大杉漣さんおとの思いでを語り、いまだに亡くなられた事が信じられない事や悲しみに声を詰まらせる場面も多く見られました。俳優としてだけでなく人間的にも多くの方に影響を与える存在でした。

 

写真家で息子の大杉隼平さんは最後に会場の外から見守るファンにも「ありがとうございます」と頭を下げている場面も見られ、沢山の方が集まってくれて父も喜んでいると思うと、集まってくれたファンに対しても敬意を表している姿が印象的でした。

 

大杉漣さんの戒名は「優月院漣奏球孝信士」と決まりました。芸名の漣や好きだったサッカーを球で表すなど、大杉さんを表す漢字が使用されています。優しい人柄だった事もあり俳優だったので優という漢字も使用されました。

追悼作品について

大杉漣さんの最後の主演映画の「教誨師」は初めてプロデュースした作品でもあります。これは10月6日から東京・有楽町スバル座や全国で後悔されます。また、東京の目黒シネマでは「大杉漣追悼上映:北野武監督作品2本立て」が公開されました。

 

大杉さんが亡くなった時にロケをしていた「バイプレイヤーズ」は大杉さんが亡くなられた後も視聴者の声や共演者、スタッフも同じ思いで最後まで作る事を決意して、最終回まで放送しました。最終回は違和感のない終わり方で編集力の高さが評価されました。

 

大杉漣さんを突然失った共演者は大変悲しく辛い心境だったにも関わらず、笑わせてくれる素晴らしい作品との声が多かったです。「ゴチになります!」では、番組で追悼テロップを放送して大杉漣さんを追悼する気持ちを表しました。

多くの芸能人や関係者・ファンなどが参列

ロケ先で体調を崩し、病院先で急死された大杉漣さんは共演者に見守られながらお亡くなりになりました。あまりにも突然の事で、家族や俳優仲間などに衝撃と悲しみを与えました。お別れ会ではファンなど大勢の方が集まり、大杉さんがどれだけ愛されていのかが分かる会でした。