大黒天は外国の神様?七福神としてのいわれやご利益について

公開日 : 2020/4/20

更新日 : 2020/9/6

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大黒天は七福神の中でも親しみのある神様として知られています。そんな大黒天ですが、実は日本古来の神様ではなく、外国からやってきた神様だということは、案外知らない人も多いようです。以下では七福神の大黒天のルーツやご利益について解説します。

公開日 : 2020/4/20

更新日 : 2020/9/6

目次

七福神とは

七福神は日本で信仰されている福の神です。七福神の神様は具体的に、大黒天・恵比寿・寿老人・弁財天・毘沙門天・福禄寿・布袋の七柱を数えるのが一般的です。平安時代にはすでに大黒天と恵比寿をまつる風習が見られ、そこに毘沙門天が加わって三神信仰となりました。

 

さらに鎌倉時代になると弁財天の信仰が盛んになり、毘沙門天の代わりに三神信仰としていたこともあります。室町時代には布袋・福禄寿・寿老人が人気になって七福神信仰の原型ができ、江戸時代にはほぼ、現在のような宝船に乗った七福神信仰の形が出来たと考えられています。また江戸時代には年始に七福神をまつった寺社を参詣するブームが起こりました。

 

なぜ七という数が尊ばれたのかというと、神道的にも仏教的にも七は聖なる数字とされることが多いためだと考えられています。また、七福神の名の由来は「仁王護国般若波羅蜜経」のなかの「七難七福」だといわれています。

大黒天とは

大黒天は右手に打ち出の小づちを持ち、左肩には大きな福袋をかつぎ米俵にのった姿で描かれることが多いです。ちなみに担い福袋の中には仏教の宝とされる「七宝」が入っているといわれます。七宝は金・銀・サンゴといった、七種の宝石が数えられます。

 

柔和な顔つきをしている大黒天は、その福々しい姿から、七福神の中でもとくに人気の高い神様とも言われます。そんな大黒天ですが、実は日本由来の神様ではなく、もともとはとても恐ろしい姿をした神様です。大黒天のルーツや、日本で七福神として親しまれるようになった経緯は、のちほど解説します。

 

 

大黒天のご利益

福の神として知られる大黒天ですが、そのご利益の範囲は非常に広いです。以下に、大黒天のご利益として有名なものをご紹介します。

五穀豊穣

米俵に乗った姿からわかるように、大黒天は食物の神様、転じて五穀豊穣をもたらす神様としての一面があります。古くから大黒天は「だいこくてん」という音が、日本神話の大国主命に似ており、しばしば同一視されていました。豊穣の神として崇められるようになったのは、農業と医療の神であった大国主命の側面を引き継いだと考えられます。

 

江戸時代には現在のように米俵に乗った姿として親しまれるようになり、現在に至るまで、大黒天は食べ物の神様として崇拝されています。加えて大黒天は、大国主命の持つ医術の神様という側面も引き継いでいます。

富貴栄達・商売繁盛

五穀豊穣と並んで有名なのが、商売繁盛や富貴栄達といった金運をもたらす福の神としての一面です。大黒天はもともとはインドの神様でしたが、インドでは財産を守る神様としての側面を持っていました。財運の神様として崇められるのは、そういった由来があると考えられています。

 

大黒天はしばしば、打ち出の小槌を持った姿で描かれますが、いつからそういう姿が定着したのかは定かではありません。しかし、打ち出の小槌は富の象徴と言われ、小槌を振れば振るだけ、お金や子孫が増えると言われています。このように大黒天は金運や財産を増やす神様として信仰されています。

 

ちなみに大黒天の真言である「オン・マカキャラヤ・ソワカ」を日ごろから唱え続けていると、金運に恵まれるようになると言われています。

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縁結び・夫婦和合

大黒天は良縁祈願や夫婦和合といった縁結びの神様としても親しまれています。縁結びの神様となった明確な由来はわかりませんが、大黒天と同一視されることが多い大国主命が、たくさんの妻と子供を設けていたこと、また、神無月には出雲大社にて日本中の神様同士の縁結びを取り持つことが起因しているという見方もあります。

 

大国主命をまつる出雲大社は縁結びの神社として全国的に有名です。

台所の神様?

元の姿の大黒天は、左手に僧侶の食物をまかなうための財布を持つ姿で描かれることがありました。実際に、古代のインドや中国には寺院の食堂に大黒天を祀るという風習が見られています。これが転じて、現在のような台所の神様という一面を持つようになりました。

 

日本には、平安時代に最澄が天台宗を持ち帰る際に一緒に伝えられたと言われています。また最澄は、実際に比叡山延暦寺の食堂に大黒天を祀ったと伝えられています。

大黒天の正体は外国の神様

大黒天はもともとは日本の神様ではなく、インドで生まれ、中国を経由して日本にやってきた神様です。現在は福々しい好々爺の姿で知られている大黒天ですが、かつてはその姿も大きく異なっていました。

もとはヒンドゥー教の戦神

大黒天はインドでは「マハーカーラ」という名であり、「マハー」は偉大という意味を持ち、「カーラ」には黒いという意味があります。大黒天という名前はここから派生したと考えられます。マハーカーラは青黒い肌と憤怒の形相をした戦神で、現在の大黒天とは似ても似つかない姿です。

 

もともとのマハーカーラはヒンドゥー教の最高神シヴァ神の化身でしたが、のちにインド密教に取り入れられ、仏教と仏教徒を守護する護法善神とされました。こういった仏教を守る異教の神を天部と呼びます。マハーカーラは天部の仏となり、もとはヒンドゥー教由来の神でありながら、のちにはシヴァ神とその妻を降伏させます。

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仏教伝来とともに日本へ

先にも述べた通り、日本には密教の伝来とともに、仏教を守護する天部としてもたらされました。その際に、財運としての側面が強調されて伝えられたとされています。また最澄が延暦寺の食堂に祀るなどしたことから、台所の神様としても知られるようになりました。

 

現在の大黒天は柔和な表情で象られることが多いですが、鎌倉時代くらいまでは戦神としての側面を持っており、その時代には憤怒の戦神の姿をした大黒天の仏像も作られています。

神仏習合による立ち位置

日本に伝えられた大黒天は、「大国主命」と音が似ていることから、しばしば同一視されるようになりました。こういった神道と仏教の合体は神仏習合と呼ばれます。また神は仏の姿であるという考え方の「本地垂迹説」の流布とともに、大黒天は大国主命のもう一つの姿であると考えられるようになりました。

 

こうして大国主命と同化した大黒天は、五穀豊穣・金運・縁結びの神様として人気を集めるようになりました。現在のような福々しい姿に変化していったのも、豊穣の神である大国主命のイメージが強く出たためだと考えられています。

大黒天と恵比寿さまは仲良し?

大黒天は、七福神の中の恵比寿とセットで祀られることが多いです。恵比寿は釣り竿と鯛を抱えた姿で描かれることが多く、大漁をもたらす海の神様として崇められます。よって、五穀豊穣の神である大黒天と一対と考えられるようになりました。

 

もともと恵比寿という名の神は日本神話には登場しませんが、恵比寿には、イザナミ・イザナギの最初の子であるという説、あるいは、大国主命の子供である事代主神であるという説があります。大黒天はイザナギ・イザナミの孫と言われていますので、どちらの説に立った場合でも両者は血縁関係にあります。セットで考えられることが多いのはこのためです。

日本でも親しまれている神様

福々しい姿の大黒天ですが、もともとはインドの戦神という意外な一面がありました。現在の日本では、豊穣と財運の神様として、広い人気を集めています。