かつては京都や沖縄にもあった!?風葬という風習のエトセトラ
公開日 : 2020/4/20
更新日 : 2021/7/15
火葬大国日本でも、かつては風葬という自然葬が存在していました。平安時代での京都でも風葬は行われており、その風葬ゆかりの地を紹介します。沖縄では戦前まで行われており、本土とは少し違う方法や信仰の違いについてまとめています。
公開日 : 2020/4/20
更新日 : 2021/7/15
目次
風葬とは?
最近では、遺骨をお墓に納めるのではなく、海や山などの自然に還す自然葬という形も広がっています。死後は大自然の循環に帰すという考え方が根本にあります。 風葬とは埋葬せずに、遺体をそのまま雨風にさらして自然に還す方法です。自然の営みに任せて風化させる一種の自然葬です。
風葬は日本にもある?
近年では都市化や核家族化が進み、お葬式やお墓に対する考え方が大きく変わっています。 今の日本では約99%が火葬ですが、世界では土葬・水葬・鳥葬などを行う地域もあります。地域によっては、宗教や風習などの違いで異なります。 風葬は遺体を着衣させたまま行われることが多く、遺体を木の上や洞窟の中や崖、専用の棺や小屋に安置して、雨風に晒した状態で弔います。台の上に安置されることもあり、周囲に四角や円形に小石を積み重ねて風葬墓とすることもあります。 風葬は北アメリカ、オーストラリア、東南アジアなど世界各国でありました。現在でも、インドネシアのボルネオ島のイバン族やバリ島の北部のトゥルニャンという村などで風葬を行っているところもありますが、多くの国では衛生上の問題や信仰の変化などで廃れていきました。 日本は約99%の火葬率を誇る火葬大国です。そんな日本の一部地域でも、かつては風葬が行われていました。 平安時代は京都でも一般的に行われており、奄美や沖縄でも行われていました。沖縄では1960年代まで、火葬が普及するまで一般的に行われていました。
京都で行われていた風葬
京都では平安時代には風葬が行われていました。 当時から火葬の習慣もありましたが、仏教の影響と木材の調達などの経済的な面からも身分の高い人しかできませんでした。 亡くなった人を洛外に運び野ざらしにして風葬にしていました。 嵐山の北にある化野、東山の鳥部野、船岡山の北西一帯の蓮台野(紫野)の3つの地区は京都三大風葬地とも言われています。 旧名・化野は「あだしの」と読み、あだしは「悲しい」「はかない」という意味があるそうです。京都嵐山の清滝道を上っていくと竹林があり、清滝地区手前にある嵯峨鳥居本という地区を化野と呼んでいました。 鳥部野は世界遺産・清水寺の南に位置する丘陵地で、藤原道長が荼毘に付されたという言い伝えもあります。 蓮台野(紫野)は京都の北大路に船岡山公園という大きな丘のような公園がある一体を紫野と呼ばれる地区で、その中でも船岡山の北西から紙屋川にかけての地区が蓮台野です。 千本の卒塔婆が並んでいたことからその名がつけられた千本通りという道を通って、死者を運び、船岡山公園の手前に閻魔前町という地名があります。ここが蓮台野の入り口で、閻魔様が住む場所としてつけられた地名だと言われています。
本州と違う沖縄の風葬
日本の中では沖縄が最も広く風葬が行われていた地域だと言えるでしょう。現在ではほぼ火葬が主流です。戦後1960年代に本土で一般的だった火葬が普及したことが原因で、1960年代から主要な地域で風葬が見られなくなりました。 沖縄の風葬は、本土と少し違う風習で行われていたそうです。 まず、沖縄には洗骨という習慣がありました。沖縄では風葬だけで骨になった状態は穢れていて、神仏の前には出せないと考えられていました。だから、洗骨という行程が必要となります。 棺に遺体を入れて、風化してから、取り出した遺体を親族の女性の手によって海水などで遺骨を洗って、骨壺に入れて弔います。この洗骨という風習は戦前までで、戦後は保健所の指導や女性解放運動によって消滅しました。 沖縄の人にとっての風葬は、亡くなった方の魂がニカラナイと呼ばれる来世に戻ることができるようにするためだと言われています。肉体を風化させることで、ニカラナイに帰りやすくするという目的があります。ニカラナイは、本土で言うと極楽浄土の考え方に近いでしょう。
風葬が行われていた場所
沖縄は美しい海に囲まれた地域あるからなのか、やはり海岸が風葬跡地が多いそうです。沖縄本島のすぐ南側にある別名・神の島と言われる久高島は、風葬専用の場所のことを「ティラバンタ(葬所)」と呼んで聖域としていました。 海岸以外では洞窟も風葬場所として選ばれていました。有名な事例としては久米島にあるヤジャーガマ洞窟があります。この洞窟には長きにわたって風葬が行われていたためなのか、遺骨を納めた骨壺が多くあります。
風葬を行っている地域の特徴
風葬はどこの地域でも行われているわけではありません。 風葬が行われている地域にはどんな特徴があり、他の葬り方が出来ず、やむを得ず行っているケースもあり、事情は様々です。
火葬場がない
今の日本のように火葬炉が当たり前のようにあったわけではなく、今でも火葬炉が十分にある国ばかりではありません。信仰上、火葬を受け入れていない国もありますが、技術面やコスト面でも火葬炉が作れないという事情もあります。日本でも、今のように火葬炉建設が本格化したのは戦後になってからです。 では、火葬炉無しで火葬すればいいという意見もあるでしょう。 火葬炉無しで火葬すると焼却に数日間かかり、臭いや煙の問題がでます。火葬炉は短時間で高温で焼却出来て、臭いや煙を最小限にすることができるのです。
埋葬する場所がない
風葬が行われている地域は、面積の小さい島であることが多く、岩場が多くて平地が少ないため、埋葬する場所を確保することが難しいということが背景にあります。
信仰
風葬は火葬とかとは違い、自然に朽ちていく姿が見ることができます。そのことが、今世に戻ってくることはなく、来世に向かっているということを実感させられるようです。そもそもキリスト教やイスラム教では、最後の審判の際に死者が復活するという信仰があって、死後肉体がなくなることに抵抗があって、火葬を受け入れていないところもあります。先述のインドネシアのボルネオ島はイスラム教です。 各地域で、民族・信仰は様々ですが、亡くなった人を自然に戻すという民間信仰が背景にあります。他の埋葬方法と同様に、古来からの風習を大事にしつつ、故人を偲び、リスペクトするという面は同じです。
風葬まとめ
聞きなれない風葬という風習。海外での風習と思いきや、日本でも行われてた時代もあるということを紹介しました。京都で平安時代に風葬が行われていた地域、歴史のことにふれています。
本州とはまた違う戦前まで行われていた沖縄の風葬の風習を紹介。
そして、風葬を行っている地域の地理的特徴や火葬場との関係を説明しました。
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