岸井成格さんの葬儀/ジャーナリストとしての魂は水俣病が原点

公開日 : 2020/7/22

更新日 : 2020/9/9

岸井成格さんの葬儀/ジャーナリストとしての魂は水俣病が原点のサムネイル画像

NEWS23やサンデーモーニングなど人気のニュース番組に多数出演していた、毎日新聞社特別編集委員の岸井成格さんが、2018年5月15日に、肺腺がんにより亡くなられました。葬儀は家族で行い後日お別れ会が執り行われました。岸井成格さんの人生と葬儀について紹介します。

公開日 : 2020/7/22

更新日 : 2020/9/9

目次

岸井成格さんのプロフィール

岸井成格(きしいしげただ)さんと言えば、お茶の間で見ない日はないんじゃないかと思われるくらい、人気のニュース番組などを中心に、多くのテレビやラジオ番組に、コメンテーターとして引っ張りだこでした。

 

晩年は、がんとの厳しい戦いを続けながらも、自身の主張を貫いて、最後まで社会のあり方に疑問を抱き続け、声をあげ続けたひとりでした。

 

73歳というまだ早い死に、関わった人々や支持していたファンの落胆は大きいものがあり、岸井成格さんの遺した爪痕の大きさを改めて知ることになりました。そんな岸井成格さんは、どんな人生を歩んできたのでしょうか。振り返って見てみることにしましょう。

父の意思を継ぐ

岸井成格さんは、1944年9月22日に東京都で生まれました。父親の岸井寿郎は、毎日新聞社で政治部長や衆議院議員を務めたことのある人物です。

 

岸井成格さんは、慶応義塾普通部、慶応義塾大高等学校、慶応義塾大学といういわゆる慶応ボーイの道を、順調に歩んできました。

 

そして、慶応義塾大学法学部法律学科を卒業すると、父親の意思を継ぐようにして、毎日新聞社に記者として入社しました。

政治部の記者として実力を発揮

岸井成格さんは毎日新聞社の西部本社である熊本支局に配属され、1970年に東京本社の政治部に移動となります。

 

首相官邸や各省庁、自民党や野党などの記者クラブを担当し、1981年にはワシントン特派員として派遣、ジャーナリストとしての実力を思う存分に発揮してきました。

 

数々の移動を重ねて積み上げてきた実績により、岸井成格さん迷うことなく着実に階段を駆け上がっていったのです。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

『NEWS23』のキャスター就任

政治部副部長をしながら、編集委員、論説委員を兼任していた1991年頃から、ニュース番組や情報番組などのテレビ番組にコメンテーターとして多く出演するようになりました。

 

その後、特別編集委員に就任し、それと共にTBSテレビの『NEWS23』のキャスターとして就任が決まりました。

岸井成格さんの数々の肩書き

岸井成格さんは、ジャーナリスト、コメンテーターなどの肩書きの他にも、数多くの肩書きを保有していました。

 

早稲田大学政治経済学部客員教授や、大隈塾の講師、NPO法人日本ニュース時事能力検定の理事長、一般社団法人アジア調査会の顧問などを務めました。また新しい日本をつくる国民会議(通称・21世紀臨調)の運営委員なども務めました。

73歳の早すぎる死

岸井成格さんは、知識人として、またその大胆な辛口発言で、お茶の間でも人気を集めていました。

 

それでいてどこか人懐っこ笑顔やふっくらとした体格やおしゃれな風貌の親しみやすさから、関わり合った人たちからも大きな信頼を得ていました。それを証拠に岸井成格さんの葬儀には多くの弔問客が訪れました。

 

まだまだこれから活躍してたかった、岸井成格さんという人物の73歳という死は、早すぎるのではないかと悔やまれてしまいます。

岸井成格さんの過激な発言

岸井成格さんは強い信念をもって、ジャーナリズムと真摯に対峙してきました。その信念には、自身のさまざまな経験によって、紆余曲折しながら培われたものなのです。

 

順調に見える岸井成格さんの人生ですが、そこには多くの後悔や悲しみなども含まれていたのだと考えられます。だからこそ強すぎる言葉を発することもできるのです。

 

またそういった痛みのわかる人間だからこそ、多くの人を魅了する人物だといえるのでしょう。

岸井成格さんの原点は水俣病

岸井成格さんが、毎日新聞社の新人記者として配属された熊本支局で、水俣病の取材をしていたときのことです。

 

水俣病で重度の障害のあった少女の声を聞き取ることのできなかった自分の不甲斐なさを強く悔やんだといいます。もっと真剣に耳を傾けることができていたら、そんな思いが悔恨となっていつまでも岸井成格さんの記憶にとどまったままとなりました。

 

岸井成格さんのジャーナリストの原点はここから始まったといえます。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

声なき声に耳を傾ける生き様

水俣病患者の少女に出会ってから、岸井成格さんはひたすらに、権力に最も遠い声なき声に耳を傾けるべきだ、権力に立ち向かう勇敢さが必要であると、信念を貫き通しました。その生き様には迷いがなく、多くの人の共感をよびました。

過激な発言が注目を集める

岸井成格さんは、時おりテレビ番組内でも過激な発言をすることで知られており、「政治家にモラルをもとめるのは、ゴキブリにモラルをもとめるのと同じことだ」といった内容の発言をし、同席していた仲のいい佐高信が慌てて、席を外すといったエピソードが残っています。

 

また北朝鮮の日本人拉致問題や、小沢一郎に対する攻撃的な発言など、その時々におこる時事ニュースに対して、適切でブレることにない自身の発言を繰り返していました。

岸井成格さんの発言が放送法に違反

岸井成格さんが一貫して反対し続けていた、安全保障関連法案について「NEWS23」で「メディアとして安保法案の廃棄に声をあげるべきだ」とした発言に対して、放送法遵守を求める視聴者の会が放送法第4条に違反していると訴ました。

 

視聴者の会は、放送事業者は政治的に公平であることを主張しましたが、岸井成格さんはそのことについては、回答しないことが回答という態度をもって示し、話題になりました。

岸井成格さんと癌との戦い

2007年11月18日にレギュラー出演していた「サンデーモーニング」を欠席して、2008年12月2日放送分に復帰するまで、大腸がんの治療を行っていました。12月の放送の際、本人から書簡で、手術を受けたことが明らかになりました。

 

その後、抗がん剤治療などを続けながらコメンテーターとして復帰を果たします。治療のため髪が抜け落ちてしまったことにより、サンデーモーニングでは帽子を被って出演していたことも当時話題となりました。

 

今回、岸井成格さんがなくなった死因は、このがんの再発ということで、肺腺がんが原因でした。

岸井成格さんの葬儀

岸井成格さんは、2018年5月15日に、肺腺がんのため、東京都にある自宅において死亡が確認されました。葬儀については、家族だけでこぢんまりと行い、改めてお別れの会という形で、再度、葬儀が開かれることになりました。

 

日にちは2018年6月18日、東京都千代田区にある、如水会館が会場となりました。この日は時間帯を分けて、関係者のお別れの会と一般の弔問客の献花が行われました。

ご不明点は、ぜひ
ご相談・お問い合わせください
お客様にピッタリの斎場探しをお手伝いさせていただきます。
見積もりページへ飛ぶ見積もりページへ飛ぶ
freecall-bannerfreecall-banner

岸井成格さんのお別れの会

岸井成格さんの関係者によるお別れの会は、14時から開始しました。多くのテレビなどの人気ニュース番組にコメンテーターやキャスター、アンカーを務めてきた岸井成格さんの葬儀には、多くの著名人の参列が見られ、岸井成格さんを偲びました。

お別れの会のそうそうたる発起人

お別れの会の発起人となったのは、毎日新聞社の代表取締役会長である朝比奈豊氏、同じく社長の丸山昌宏氏、TBSテレビ会長の石原俊爾氏、同社長の武田信二氏、関口宏氏でした。

お別れの会を飾る思い出の写真

お別れの会の会場の入り口には、写真パネルがずらずらと並び、在りし日の生き生きとした岸井成格さんの姿を見ることができました。

 

相撲が大好きだった少年時代、憧れの力士に立ち向かっている姿や、駆け出しの記者として紆余曲折している姿など、懐かしい岸井成格さんの姿に訪れた人々は、それぞれの思いを胸に目を細めて、パネルに見入り、懐かしさに笑顔がこぼれる風景もありました。

TBSスタッフが作成した岸井成格さんの映像

14時に始まったお別れの会では、会場内に設置されている大きなスクリーンに、岸井成格さんの映像が流れました。

 

岸井成格さんと一緒に番組を制作したTBSのスタッフによって作られたものでした。岸井成格さんの強い信念と夢と歩んできた人生が、走馬灯のように繰り広げられました。

岸井成格さんへのお別れの挨拶

お別れの会の挨拶は、毎日新聞社代表取締役会長である朝比奈豊氏が述べました。岸井成格さんは、よく明け方まで議論をしていたんだという思い出話を披露しました。

 

そのあと、長年共に番組を制作してきたサンデーモーニングの司会者の関口宏氏、元ホンダF1総監督の桜井淑敏氏は、岸井成格さんと小学校から大学まで一緒だったという幼なじみで、この二人からの弔辞の奉読と続きました。

 

関口宏氏は、お酒に強くて無類の酒好きの岸井成格さんでしたが、お酒を飲んでいても常に頭の中は、ジャーナリズムの先行きについての話ばかりで、自分もどこまでできるかわからないけれども、岸井成格さんの思いを継いでいけるよう頑張りたいと語りました。

 

また届いた多くのメッセージには、安倍晋三内閣総理大臣、村山富市元首相の名前もありました。

一般弔問客の献花

関係者のお別れの会が終了したあと、16時からは一般の弔問客の献花が続きました。お茶の間で人気を博した岸井成格さんは、ファンも多く大勢の人が詰めかけ、岸井成格さんを偲んで献花しました。

 

真っ直ぐで正義感溢れ、そして誰よりも優しくてダンディな岸井成格さんにお悔やみの言葉を届けようと弔問客の並ぶ姿が印象的でした。

父親の背中を見てジャーナリストを目指した少年

岸井成格さんの父親は、毎日新聞の前身だった東京日日新聞の政治部長を務めていました。相撲が大好きな少年は父の背中を見て、ジャーナリストを志しました。一貫した主張は「戦前の新聞の過ちを繰り返してはいけない」でした。

 

岸井成格さんの意思を継ぐ者は育っているでしょうか。