原博巳さんの葬儀|新世代の演奏家と言われたサックス奏者の人生
公開日 : 2020/7/22
更新日 : 2020/9/10
日本人初、第3回アドルフサックス国際コンクールで1位を受賞された原博巳さんが44歳という若さで亡くなりました。突然の訃報に驚いた方も多かったです。そこで、新世代のサックス奏者と言われた原博巳さんの生い立ちから死去までまとめました。
公開日 : 2020/7/22
更新日 : 2020/9/10
目次
原博巳さんのプロフィール
様々な世代から愛されていた原博巳さんが44歳という若さで亡くなり、どのようなきっかけでサックスを始めたのかご存知ない方も多いです。原博巳さんの生い立ちや今まで活躍されてきた内容をまとめてみましたので、チェックしてみてください。
中学生からサックスを始める
音楽演奏者は小さいころから楽器に触れてきた方が多い中、原博巳さんは中学校の吹奏楽部から始めています。吹奏楽部に入部した理由も、ぜんそくを患っていたため呼吸器官を強くするためでした。もともと小さいころから音楽は好きだったようで、自然と溶け込むことができました。
その後の経歴は、東京ミュージック&メディアアーツ尚美、東京藝術大学音楽学部別科を卒業されており、どちらも首席でした。演奏会だけではなく、学内の試験やレポートなど忙しい生活を送られていました。原博巳さんも目が回りそうと言いながらも充実感があったと伝えています。
サックスのレッスンに通う以外に、芸大の生活もしっかりと体験され、演奏以外に人と接する姿勢や仕事・音楽に対する姿勢など様々なことを吸収されて、将来の仕事仲間を増やしたこともあり、学生生活も楽しまれていました。
第2回アドルフ・サックス国際コンクール第3位入賞
第2回アドルフ・サックス国際コンクールでは第3位に入賞されています。1次予選があり、そこから2次予選に進んでいきますが、人数が絞られます。1次予選では課題曲と選択曲の2曲を演奏し、1次選択曲ではすべてベルギーの作曲家となっています。
2次予選では課題曲・選択曲・無伴奏の自由曲の3曲を演奏して順位を決めていきます。本選になるとオーケストラと協奏曲の形態で演奏するため、リハーサルが必要になり、時間を要するのが大変でしたと、原博巳さんはインタビューで答えています。
コンクールを行う場所は、ベルギーのワロン地区のディナンという街で、楽器発明者アドルフ・サックスが生まれた街です。由緒あるしっかりしたコンクールであっても、非常にアットホームな雰囲気の街で、コンクールの日はお祭り騒ぎで賑わったりします。
第3回アドルフ・サックス国際コンクールで優勝
原博巳さんは第3回アドルフ・サックス国際コンクールで優勝されました。本人も驚いたようで、東洋が西洋の人間に勝てるのか半信半疑でした。3位で名前が呼ばれず、2位でも呼ばれなかったときは頭の中が真っ白になり、すべてが吹っ飛んだとインタビューで答えています。
コンクールが終わって帰国後は、ホームページの掲示板への書き込みがすごかったようで、しばらくの間は返事を返すのが大変でした。友人などからもメールが100通以上届いたそうで、それだけコンクールで優勝された反応はすごくみんなが喜んだことがわかります。
地元の中学生へ指導なども行っており、中学生やそのご父兄にも祝福されたことに喜びを感じていました。日本人初の優勝だったため、それだけ原博巳さんに関わってきた方は大きな喜びとなりました。
CDをレコーディング
第3回アドルフ・サックス国際コンクールで日本人初の第1位に輝いた記念に、1枚目のCD「森の静けさ」を発売されています。こちらのCDは、サックスを今まで聞いたことがない方でも楽しめるようなプログラミングが施されています。
ソプラノ、アルト、テナーと3本を使い分けてサックスを吹いており、癒しだけではないサックスの魅力を感じることができる内容です。サックスの可能性を常に追求し、様々な曲を楽しむことができます。
まだサックスを吹いたことがない人も、原博巳さんを目指してサックスを演奏してみたいと思わせるように音楽は技術の他、表現する心も大切にされています。昔のサックス演奏者とは違う魅力を持っているからこそ、CDでもその良さが伝わってきます。
原博巳さんの死因
44歳で死去された原博巳さんは、突然の訃報だったので、どのような病気が原因だったのかまとめてみました。病気についてチェックしてみてください。
旅先で倒れた
原博巳さんは旅先で突然倒れました。病院に搬送されましたが、1週間意識が戻らずそのまま2019年8月24日に脳出血で死去しました。そのため、突然の死に驚いた音楽関係者も多く、ネットで訃報を知り、心の整理がつかずブログにその気持ちを書いている方も多いです。
原博巳さんは国内外を飛び回り、様々な場所でサックスを演奏し活躍していました。その多忙のスケジュールから体調も心配されてました。原博巳さんが倒れた朝にもブログに記事をアップされており、音楽仲間に関してのことでした。
多忙なスケジュールをこなしながらも音楽仲間を大切にし、人の好さがブログを見ても伝わってきます。本人も体の異変に気付かず、突然倒れてしまい、そのまま意識が戻らず亡くなってしまったため、まだまだサックス演奏をしたかったことでしょう。
脳出血とは
原博巳さんが亡くなった死因の脳出血という病気は、何らかの原因により脳の血管が破れるものです。脳の中に出血を起こす病気であり、血管から溢れた血液が血の塊を作って、血腫が脳に直接ダメージを与えます。
血腫が大きくなったり、脳のむくみによって頭蓋骨の中の圧が高まります。よって、正常な脳を圧迫してしまうため、脳の機能に様々な障害をおこしてしまいます。脳腫瘍や脳血管の異常・肝臓疾患などが原因の場合もありますが、原博巳さんは亡くなる直前まで元気でした。
他にも原因は高血圧が多く、慢性高血圧をそのままにしておくことで脳内の細い動脈が徐々に弱くなり、血管が破れて血液が脳内に流れてしまいます。脳出血の症状は脳梗塞と似ており見分けが難しく短時間の間に症状が変化するため、気づいたときには手遅れの場合が多いです。
原博巳さんの葬儀
原博巳さんの突然の死によって、葬儀はどのように行われたのかご紹介します。お葬式には様々な形式があるため、基本知識も一緒に確認してみましょう。
近親者だけの葬儀
原博巳さんの葬儀は近親者のみで行われ、詳しい詳細は公開されていません。結婚され奥さんがいたという情報も特にありませんので、原博巳さんの家族が葬儀を執り行ったということが予測されます。音楽関係の友人も多いですが、葬儀に参列された内容は特にありません。
TwitterやFacebookなどで原博巳さんの訃報について、悲しみの声を伝えているだけであり葬儀の内容は不明です。近親者のみだけで葬儀を行ったなら、家族葬や密葬・1日葬の可能性が高いです。国内外を飛び回っていた原博巳さんなので、最期は家族でゆっくりと過ごしたかもしれません。
まだ44歳という若さで亡くなったこともあり、葬儀の内容は本人の意思よりも家族の希望で行ったことが考えられます。突然の死ということもあり、葬儀の準備も急だったはずですから、家族の負担も考えた結果でしょう。
家族葬を選ぶ人が増えてきている
近年、家族葬を選ぶ方が増えてきています。家族葬は故人と親しい関係者だけで行う小さなお葬式です。少人数でお葬式を行うため、参列者の対応や準備などを軽減することができるため、お別れの時間をゆっくりと過ごすことができます。
故人を偲ぶことに集中でき、お葬式の内容に後悔しないように個人のために尽くしてあげることができます。また、家族葬はお葬式の費用を抑えることができるのが特徴です。香典返し、法要が終わった後の会食費などを抑えることが可能です。
家族葬は故人や家族が希望する葬儀のスタイルを実現することができます。そのため、昔からの風習にとらわれず、他人の目を気にせずに自由な葬儀にすることが可能です。しかし、参列する方を厳選することもありトラブルにもなりやすいため。慎重に行いましょう。
突然の死去から葬儀までの流れ
原博巳さんのように、突然の死から葬儀を行うまでにはどのような流れて行っていくのか把握されている方は少ないです。死去から葬式までの平均日数は5日から6日程度です。限られた時間の中で準備をしなければいけなく、一般葬で参列者が多いと準備も増えます。
危篤の状態から葬儀について意識し始めなければいけません。危篤と聞くと平静でいられる方はいませんが、それでも危篤の連絡をする方のリストを作らなければいけません。このリストに基づき、訃報を案内するときにも使います。
次に、退院時の精算や交通費など手元に現金を用意しておくことも大切です。逝去したことが金融機関に伝わる口座は凍結されるため、事前に引き出せる準備をすることも大切です。病院で死去となれば葬儀社も早く決めないといけないため、ある程度候補を選ぶことが大切です。
原博巳さんはスタイリッシュで繊細な演奏家だった
サックス演奏者として、コンクールで日本初の優勝を果たし、その後も様々な場所でコンサートを開いたりと音楽にずっと関わってきた方でした。多忙なスケジュールの中でも、中高生へ指導をしたり、サックス演奏の楽しさを伝えてきました。
才能がある原博巳さんの若い死去は残念ですが、CDなど作品も残されているのでいつでも思い出すことができます。改めてご冥福をお祈りいたします。
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