松崎公昭さんの葬儀|地域分権を唱え、長年活躍した経験豊富な政治家

公開日 : 2020/7/24

更新日 : 2020/9/8

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松崎公昭さんは、千葉県柏市出身で、柏木市議会議員と千葉県議会議員を経験した後、衆議院議員としても4期に渡り活躍した政治家です。2018年に74歳で亡くなりました。地域分権を唱え、地元に根差した政治家であった松崎さんの足跡と葬儀についてご紹介します。

公開日 : 2020/7/24

更新日 : 2020/9/8

目次

松崎公昭さんの葬儀

元民主党衆院議員であった松崎公昭さんは、2018年6月29日に、74歳で亡くなりました。柏木市議会議員を3期、千葉県議会議員を3期務めた後、衆議院議員として4期に渡って活躍された方です。 2011年の野田内閣では総務副大臣に就任しました。引退後にその功績により春の受勲で旭重光章を受章しています。 2019年に千葉県議会議員選挙で初当選を果たした松崎大洋さんは、松崎さんの三男です。 松崎さんの死因は喉と胃をつなぐ食道にできるがんである、食道がんでした。女性よりも男性のほうがかかりやすく、初期は無症状のことが多いため、定期健診での早期発見が大切です。 お通夜は7月3日に、葬儀は翌日の4日の千葉県柏市柏にある長全寺にてしめやかに営まれました。

松崎公昭さんの経歴

長年政治家として活躍された松崎公昭さんはどんな方だったのでしょうか。その生い立ちから、政治家としての活動をご紹介します。

地元千葉県で、政治家である父親の下で育つ

柏木市議会議員を経て千葉県議会議員を務めた松崎公昭さんは、千葉県柏市出身で、小学校から高校まで地元の学校を卒業しています。お葬式も地元で営まれており、地元との結びつきの強い方でした。 母校である柏木第二中の学校生徒のインタビューにも答えており、それによると、松崎さんの父親も政治家で、幼い時より政治や選挙に親しむ環境だったそうです。このインタビューで松崎さんは後輩たちに「よく遊んでよく学び、政治にもっと関心を持ってほしい」と呼び掛けています。

「日本の社会を変えたい!」と柏木市議会議員に立候補

松崎さんは、1967に早稲田大学第一商学部を卒業しています。大学時代は、フォトジャーナリストであり戦場カメラマンである、市民活動家広河隆一さんらと共にドキュメンタリー映画製作にも取り組みました。 卒業後は、OA 機器販売会社の営業マンを経て、父親が経営する「株式会社柏食品」に就職します。そこで、複数の会社を統合した「株式会社カリフ」を設立し、経営者として活躍していました。 転機が訪れたのは1975年、31歳の時のこと。「日本の社会を変えたい!」と決心し、柏市議会議員に立候補、初当選を果たします。

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21年間、地元柏市、千葉県に尽力し、国政へ

松崎さんは、柏市議会議員として三期12年だけではなく、千葉県議会議員として三期9年努めていました。市議会議員を務めるうちに、地方活性化には地方分権が必要であると感じたためです。 さらに、地方分権の実現のために、1996年に新進党の公認を得て衆議院議員選挙に立候補し、当選を果たしました。

衆議院議員時代は、鹿野道彦さんと常に行動を共にする

松崎さんは新進党が分裂したのち、「清和会のプリンス」と呼ばれ、総裁候補であった鹿野道彦さんが党首を務める国民の声に参加します。その後、常に鹿野さんと行動を共にしました。 2005年の衆議院議員選挙では小泉旋風の煽りを受けて一度は落選するもの、2009年の選挙で当選し、国政に復帰しています。そして、この選挙により所属していた民主党が政権交代を実現しました。 2010年の民主党代表選挙では、「党の分裂を避け、参議院のねじれを解消するため」と考え、小沢一郎さんに投票しますが、翌年の代表選挙では鹿野さんを自ら推薦しています。鹿野さんの人間性と政治家としての資質を高く評価してとのことです。 しかし、残念ながら、その選挙では鹿野さんは落選し、野田佳彦さんが党首になり、野田内閣が発足しました。

民主党政権下での活躍

推薦した鹿野さんは落選したものの、野田内閣において、松崎さんは総務省の副大臣である総務副大臣に任命されます。地域主権論者であるため、地方分権を担当すると思われましたが、その時は郵政、放送、ICTを担当しました。 総務副大臣時代にインドとインドネシアに訪問し、各国の専門家や大臣とITC 分野について意見交換を行っています。スマートテレビについて講演もしました。

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2012年の落選から政界引退まで

内閣改造により2012年に総務副大臣を退任し、政策や法律案を提言する、民主党内の組織である政策調査会の副会長に就任しています。 しかし、同年の衆議院層総選挙で民主党は野党自由民主党に大敗し、第2次阿部内閣が発足しました。その時に、鹿野さんと共に松崎さんも落選してしまいます。 2014年には70歳を迎えたため、党の「70歳定年制」に基づぎ、政界を引退しました。

旭日重光章を受章

亡くなる2018年の春に松崎さんは旭日重光章を受章しています。旭日章は、各府省の大臣などから総理大臣に推薦された、膨張な功績を上げた人物に贈られる賞です。 政治家としての松崎さんの長年の尽力と功績が公に評価されたと言えます。

松崎公昭さんの政治的主張

松崎公昭さんは、31歳から70歳まで政治家として活躍されました。松崎さんが政治家として掲げていた政治的主張をご紹介します。

地方分権を唱える

松崎さんは21年もの間、出身地である柏木市と千葉県の議員を務めています。地域主権論者として、常に地域分権を訴えてきました。 国から地域への財源移譲、地方自治体や地域住民など地域からの変革の実現が松崎さんの政治的主張の大きな柱です。 本人のTwitterにも「地域が原点」という言葉があり、地元の商店街の様子にも気を配り、小学校の運動会にも参加されています。 現在柏市の市議会議員を務める三男の松崎大洋さんの当選も、「松崎さんの息子さんなら!」という長年の地元の支持者による応援が大きかったようです。

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外国人への参政権付与と選択制夫婦別姓導入に賛成

松崎さんは、社会的公正や多様性を重視するリベラルな考えを持った政治家でした。 日本では日本国憲法第15条の定めにより、参政権は「国民固有の権利」とし、日本の国籍を持っていない外国人の参政権を認めていません。松崎さんは、日本国籍を保有していなくても、日本に定住している方の参政権付与に賛成しています。 また、日本では民法750条により夫婦同氏と定められていますが、結婚後も改性を義務にしない「選択制夫婦別姓」制度導入を主張していました。 外国人や女性などの政治参加の推進や、多様性を広く認める政治的主張がうかがえます。

原子力撤廃を主張

2011年3月11日の東日本大震災により、福島第一原子力発電所は最悪のレベル7の事故に見舞われ、未だにその地域は帰還困難地域として封鎖されています。 松崎さんはその事故直後に国政の中心で働いていましたが、脱原爆を主張し、「原発再稼働に慎重な判断を求める要請文」に署名しました。政務三役にあって、署名したのは松崎さんを含めて2名にとどまりました。 常に地域の人々の生活を忘れなかった松崎さんの姿勢が表れていると言えるでしょう。

松崎公昭さんの死後

松崎公昭さんが亡くなった2018年の翌年、三男の松崎大洋さんが千葉県議会議員として当選しました。父松崎公昭さんの死に大きな影響を受けた大洋さんの動向を紹介います。

13年もの間、一般企業のサラリーマンを経験

松崎大洋さんは、父松崎公昭さんと同じく地元柏市の小学校、中学校を卒業しており、地元との縁の深い方です。 大学卒業後、サントリーグループの株式会社ジャパンビバレッジで13年間勤務しています。一般企業での経験を経て、立候補を決めたという点でも父松崎公昭さんと同じです。

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父松崎公昭さんの死をきっかけに、故郷への思いを新たにする

大洋さんが立候補を決心したのは、父松崎公昭さんの死がきっかけでした。その時、父親の支援者の方に会い、柏市や千葉市のために尽くしたいと考えるようになったとのことです。 中学生からインタビューを受けた際、「政治に興味をもってほしい」と語っていた松崎公昭さんにとって嬉しい決意だったのではないでしょうか。

37歳にして得票数第一で当選

松崎大洋さんがは柏市より立候補し、新人ながら見事得票数第一で当選しました。37歳の若さでの快挙で、地域の方々の期待の高さがうかがえます。

地元柏市のお寺で営まれた松崎公昭さんの葬儀

松崎さんの葬儀が営まれた全長寺は、その長い歴史の中で、柏市の教育に積極的に貢献してきまいた。社会福祉支援活動を行い、チャリティー寄席、書道教室なども開催し、地域に広く開かれお寺でもあります。 地元を常に愛し、慕われていた松崎さんには相応しいお寺といえるでしょう。 政権交代による落選後の引退でありながら、その功績を評価された政治家であった松崎さんのご冥福をお祈り申し上げます。