順みつきさんの葬儀|宝塚歌劇団から退団後も舞台女優で演劇の人生
公開日 : 2020/7/19
更新日 : 2020/9/9
元宝塚歌劇団トップスターで女優の順みつきさんが70歳で亡くなりました。宝塚歌劇団のファンや同期生など多くの方が悲しみました。多くの代表作に出演し、様々な方を夢中にさせてきました。そこで、順みつきさんが活躍されてきた作品や病気についてまとめました。
公開日 : 2020/7/19
更新日 : 2020/9/9
目次
順みつきさんのプロフィール
元宝塚歌劇団で女優の順みつきさんが70歳という若さで亡くなりました。多くのファンの方を夢中にさせてきた順みつきさんの活躍やその魅力についてご紹介します。順みつきさんを目指して宝塚歌劇団に入団した方も多いので、ぜひ経歴をチェックしてみましょう。
宝塚歌劇団に入団
順みつきさんの本名は光木千枝子(みつきちえこ)さん、兵庫県伊丹市出身で神戸塩原高等学校卒業後、1966年に宝塚音楽学校に54期生として入学しました。1968年には宝塚歌劇団に入団し、同期生には上原まりさん・尚すみれさん・立ともみさんがいます。
宝塚歌劇団の入団時の成績は、59人中11位で1969年には雪組に配属されました。1972年には、「ノバ・ボサ・ノバ」で新人主演公演を果たします。非常に情熱的な演技の他、泥臭く全力投球されるタイプで、様々な方を魅了させてきました。
順みつきさんはこのころから、様々な魅力を持っていた方です。努力家ということもあり、同期生も尊敬するほど、演劇について真剣に取り組んでいました。トップスターを目指すためには日々の努力の積み重ねが大切だということがわかります。
全組への配属を経験
順みつきさんは宝塚歌劇団でも珍しく、全組への配属を経験されたスターの一人です。雪組の後は、1975年に星組に配属され「ベルサイユのばらIII」でオスカル役を演じています。同じ年に月組へも移動します。月組では多くの作品に出演されました。
月組の出演された作品は、バレンシアの熱い花でラモンを、1977年3月には風と共に去りぬでスカーレット・オハラを担当されています。1980年に自身のリサイタルも開催し、I LOVE MUSICは人気もあったことで、1982年と1983年に再演されています。
1980年に月組から花組へ移動し、トップたちが相次ぎ退団するなか順みつきさんと松あきらさんで花組のトップスターを務めあげています。様々な経験を積み、トップスターとなって活躍された順みつきさんの演技によって、役を務める方も見直されるなど影響を与える人でした。
宝塚歌劇団を退団
順みつきさんは1983年2月の「霧深きエルベのほとり」で退団公演を務め、8月1日に宝塚歌劇団を退団されました。その後は、女優や舞台など様々な活躍をされています。「キャバレー」や「屋根の上のヴァイオリン弾き」に出演しました。
テレビなどにも出演されており、気分は名探偵でマリー池田役や銀河テレビ小説のわが歌ブギウギで笠置シヅ子役などを演じています。暴れん坊将軍3の第56話「草笛に秘めた過去」でお兵役なども務めており、活躍は多岐にわたります。
テレビでも活躍されていましたが、順みつきさんは主に舞台に力を入れており、同期の方もその活躍をチェックしに訪れるほど、その演技力は素晴らしく人を引き付ける強さがあったことがわかります。舞台の映像も残っているため気になる方はチェックしてみましょう。
歌劇団100周年のイベント
順みつきさんは2014年の宝塚歌劇100周年記念のOG公演にも出演されています。女優や舞台の出演で目立った活動はされていませんでしたが、宝塚歌劇100周年記念で霧深きエルベのほとりを熱唱し、昔と変わらずダイナミックな姿を披露されています。
ライヴ中継なども行われていたため、直接順みつきさんとお話をすることが難しくても熱唱を聞き、元気な姿を確認されていた同期や下級生は多かったです。宝塚歌劇団がモットーとされている、愛と夢と感動をステージで再確認されたことでしょう。
宝塚歌劇団の100周年記念行事・イベントは名古屋、福岡、神戸、東京の4会場で「宝塚歌劇100年展 –夢、かがやきつづけて」も開催されました。舞台装置や写真・映像、衣装、道具類の展示を見ることができ、宝塚歌劇団の歴史を学ぶことができる展示がありました。
順みつきさんの死因
順みつきさんは、亡くなる前から体調が悪いことを訴えていました。どのような死因でなくなったのか亡くなるまでの流れをご紹介します。
2016年から体調不良を訴える
順みつきさんは2018年4月17日に胃がんで亡くなりましたが、亡くなる2年前から体調が悪いと訴えていました。2017年6月には自宅で倒れ、その時に胃がんが見つかり治療を続けていました。2018年3月には東京から関西の病院に移転し、治療に専念されていました。
東京で入院されていたときは、同期から写真やメッセージで励ましたりされましたが、関西に来たことで、お見舞いをされたりと面会などもしていました。病と闘って辛いはずの順みつきさんも、同期を気遣う姿を見せつつ、お見舞いの時間を楽しく過ごされていました。
やはり、宝塚歌劇団の時代を一緒に過ごしてきた仲間は家族であり、常に話は尽きなかったことがわかります。楽しい時間を過ごすことができれば、また治療を頑張ろうという気分になることもでき、よい影響が多かったことでしょう。
舞台復帰に意欲をみせていた
順みつきさんは病気療養中でも、舞台復帰を目指して治療を頑張っていました。胃がんであることを本人も知っていたため、治療に耐えて舞台復帰を夢見て、辛い治療にも耐えていたのでしょう。亡くなる1日前も意識はしっかりとあり、舞台のことを家族に伝えています。
胃がんの治療に専念されていましたが、順みつきさんの症状はなかなか改善されず、食事をとることが難しい状態も続いていました。しかし、意識はあったため最期は眠るように亡くなったとお姉さんが伝えています。
病気療養中もお姉さんとの会話は、舞台に復帰したいという内容でした。それだけ、舞台に立って演劇をしたいという気持ちが強かったということがわかります。同期やファンも順みつきさんの復帰を望んでいたことでしょう。
胃がんとは
順みつきさんが病と闘った胃がんとは、胃の壁の内側を覆っている粘膜の細胞が何らかの原因でがん細胞となることです。50代以上の男性に多くみられるがんで、ピロリ菌感染や生活習慣が関係する病気と言われています。初期の段階では見逃されることもあります。
しかし、順みつきさんは自宅で倒れ、救急搬送され胃がんが発覚されています。そのため、初期の胃がんではないということがわかります。亡くなる2年前から体調が悪いと訴えていたころが初期段階だったのかもしれません。
ピロリ菌の感染が50代以上に多い理由は衛生環境の悪かった時代を過ごされ、保有していることが多いと考えらえています。そのため、除菌しないと胃の中にずっと保菌されるためピロリ菌検査は健康診断でチェックしておくことが大切です。
順みつきさんの葬儀
元宝塚歌劇団のトップスターだった順みつきさんは、ファンの方も多かったので、葬儀・告別式の内容も気になる方も多いです。そこで葬儀はどのように行われたのかご紹介します。また、宝塚歌劇団を共にしてきた悲しみの声も一緒にチェックしてみましょう。
葬儀の喪主はお姉さん
順みつきさんの葬儀で喪主はお姉さんの阿部康子(あべ・やすこ)で、2018年4月19日午後7時からお通夜が行われ、葬儀告別式は20日午前11時30分から大阪府吹田市の公益社千里会館で行われました。流れや参列している方をチェックすると一般葬だったことがわかります。
順みつきさんの喪主がお姉さんということは、順みつきさんは結婚されていない可能性が高いです。喪主が旦那さんや子供などが行うことが多く、お姉さんの名字が違うのはお姉さんが結婚されて姓が変わっていると予測されます。
宝塚歌劇団の花組トップスターにまで上り詰めた大女優ということもあり、結婚されていれば報道されます。結婚よりを考えた時期もあるかもしれませんが、やはり演じる仕事が大好きで最期までそれを貫き通したと考えられます。
一般葬と家族葬の違い
順みつきさんは同期の方などお通夜や葬儀に参列されたりという情報を確認すると一般葬だったと推測することができます。近年、家族葬が増えてきていますが、その人気の理由や違いについて詳しくご紹介します。
一般葬とは、遺族や親戚知人や近隣の方も呼び、様々を招いて葬儀を行うことができます。少ない人数で葬儀をしたいと考えている方には家族葬がおすすめです。家族だけで葬儀の内容を決めることができ、予算を抑えることができて現代の葬儀のリクエストに応えているものが多いです。
一般葬とは異なり家族葬は、家族だけでお別れをすることができ、他の人に気を遣わずに葬儀を執り行うことが可能ですが、デメリットもあります。香典の総額が少なり、呼ぶ方も限定されることから、親戚同士で理解を示してもらえない方とトラブルになる可能性もあります。
順みつきさんのトップスターの実力はすごかった
順みつきさんは宝塚歌劇団の中でも、全組への配属を経験するなど異例のトップスターでした。同期や下級生からも愛され、全く異なった魅力を持つトップスターと認められていました。改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。
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