バーバラ・ブッシュさんの葬儀 | 国民に親しまれたファーストレディ
公開日 : 2020/7/16
更新日 : 2020/9/10
バーバラ・ブッシュさんはジョージ・ブッシュ第41代大統領のファーストレディで、夫と息子の両方がアメリカ大統領となった史上唯一の女性です。バーバラさんは社会活動に広く貢献し、アメリカ国民に長く慕われました。そんな彼女の最後はどのような様子だったのでしょうか。
公開日 : 2020/7/16
更新日 : 2020/9/10
目次
バーバラ・ブッシュさんのプロフィール
アメリカ大統領夫人だったバーバラ・ブッシュさんの最期を知る前に、まずバーバラさんの経歴を確認しておきましょう。
17歳の時にジョージ・H・W・ブッシュに出会う
バーバラ・ブッシュさんは1925年6月8日にニューヨーク市クイーンズ地区で三女として生まれました。当時の姓はピアースで、父は女性誌を出版している経営者でした。なお先祖には第14代アメリカ大統フランクリン・ピアースがいます。
バーバラさんはサウスカロライナ州チャールストンのアシュレイ・ホール寄宿学校に入学し、夏休みは百貨店でアルバイトをしていました。17歳のクリスマス休暇の時に後の夫で第41代大統領になるジョージ・H・W・ブッシュに出会いました。
ジョージはアメリカ海軍に志願し、攻撃機のパイロットになりました。ジョージが出征する前にバーバラとジョージは結婚の約束をします。ジョージは愛機にバーバラの名を付け、1944年に日本軍の攻撃で2度も被弾しますが、幸運にも命を取り留めました。
ブッシュと結婚し6人の子を設ける
ジョージ・ブッシュが休暇で戻った1945年の1月6日に、バーバラ・ブッシュとジョージは結婚しました。ジョージはイェール大学を卒業し、二人はテキサス州ミッドランドへ移住しました。ジョージは石油ビジネスを始め、2人の間には6人の子が生まれました。
6人のうち長男のジョージ・W・ブッシュも父と同様に、後の第43代アメリカ大統領になっています。次男のジェブ・ブッシュはフロリダ州知事になりました。なお三男のニールに識字障害があったことがきっかけで、バーバラさんは後に識字率を高める社会運動に従事しています。
ジョージの仕事はCIAと関係があり、各地で情報収集を行うために、二人は結婚後29回も転居をしました。その中には北京もあります。バーバラさんは家事や育児をしながら各地でチャリティー活動を行いました。
ジョージ・ブッシュが大統領に当選しファーストレディとなる
ジョージ・ブッシュがCIAの長官になった時、規則により家庭で仕事の話ができず、夫婦の会話が減りました。それによりバーバラさんはうつ病になってしまいます。それでもバーバラさんはホスピスでのボランティア活動に従事し、講演で北京での生活を話すなどして克服をしたのです。
ジョージは1980年の大統領の選挙に出馬してロナルド・レーガンに敗れましたが、副大統領に指名されました。バーバラさんは副大統領夫人として公務に勤しみました。1984年には絵本を出版し、売上をチャリティーに寄付しています。
そして1989年の大統領の選挙でジョージはついに勝利し、バーバラさんは晴れて大統領夫人になりました。
親しみやすいファーストレディとして社会活動を行う
バーバラ・ブッシュはセレブだった前大統領夫人のナンシー・レーガンと違い、庶民的で親しみやすいキャラクターでアメリカ国民の人気になりました。夫の就任式後の晩餐会で29ドルの安い靴をはいていたことは好意的に受け止められました。
バーバラさんはホワイトハウスでもどの職員にも分け隔てなく接し、初めてアフリカ系アメリカ人の秘書官を任命したことも高く評価されました。バーバラさんは「バーバラ・ブッシュ・ファミリー・リテラシー財団」を設立し、ホームレスや貧しい移民の援助を行いました。
またバーバラさんは積極的にテレビやラジオに出演し、アメリカ社会から貧困をなくすための識字率の向上を訴えました。1990年に出版した愛犬についての本はベストセラーになり、印税は全て自らの財団に寄付されました。
バーバラは様々な社会活動に貢献した
バーバラ・ブッシュは1990年にウェルズリー大学で講演を行い、非常な好評を得て、後に「20世紀のアメリカの演説 ベスト100」の45位に選ばれました。それまでバーバラさんをただの主婦と侮っていたインテリ層も、演説を聴いて彼女を見直したということです。
またバーバラさんはエイズ問題にも取り組み、HIVに感染した乳児を抱き上げ、HIV患者に何度も面会し、同性愛者をホワイトハウスに招くなどして、HIV患者に対する偏見の解消に貢献しました。
さらにバーバラさんは長女のロビンを白血病で亡くしていることから、白血病患者の支援活動も熱心に取り組みました。このようにバーバラさんは様々な社会活動を行うことで、アメリカ社会に貢献したのです。
ファーストレディではなくなった後も社会活動を続けた
ジョージ・ブッシュが大統領の選挙でビル・クリントンに敗北して再選を果たせず、1993年に大統領の任期を終えると、バーバラさんは翌年に自叙伝の『Barbara Bush: A Memoir』を出版しました。
バーバラさんは自身の財団の理事職を子供に譲り、自身は名誉理事となりました。ただしメイヨー・クリニックやアメリケアーズの委員になるなど、大統領夫人ではなくなった後も社会活動を行っています。
また2013年に子供のジェブ・ブッシュが出馬した時は熱心に応援しています。しかしジェブ氏は支持を得られず、バーバラさんは2人の大統領の母親にはなれませんでした。
バーバラ・ブッシュさんの晩年とその最期
大統領夫人として活躍したバーバラさんの晩年はどのような様子だったのでしょうか。病に苦しみ、最後は勇気ある選択をしたようです。
延命治療を拒否して自宅で死を迎えた
バーバラ・ブッシュは晩年は、夫と共にテキサス州ヒューストンとメイン州ケネバンクポートのブッシュ・コンパウンドで暮らしました。広大な庭園を持つこの建物は18世紀初頭に建てられた古いもので、ジョージの祖父が購入して住居としました。
バーバラさんは2008年に胃潰瘍の手術を受け、2009年には心臓疾患の手術を受けました。さらにバセドー病を発症するなど、晩年は健康に恵まれませんでした。2017年には気管支炎で入院しています。
そして2018年4月15日に、バーバラさんはこれ以上の延命治療を行わないことを表明しました。バーバラさんは最後の時を病院でなく自宅で迎えることを選んだのです。そして2日後の4月17日に92歳で亡くなりました。その同年の11月30日には夫のジョージも亡くなっています。
トランプ大統領や元大統領もその死を悼んだ
バーバラ・ブッシュの死を受けて、長男のジョージ・W・ブッシュ元大統領は、私の愛する母が亡くなり、妻や娘たちと悲しみに暮れていますが、母の魂が安らかであることも知っていて心は穏やかです、母は何百万もの人たちに読み書きを教えた偉大な女性ですと、母の偉業を讃えました。
またブッシュ氏は母の最期の時がおだやかで笑いすらあった、あの人が母でとても幸運に思います、私達は心から彼女の死を悼み、皆さんの祈りに感謝しますとお礼を述べました。
現職のトランプ大統領はホワイトハウスを通じて、バーバラさんが米国民にゆるぎなく奉仕し続けた人として長く悼まれるだろうとその功績を讃えました。オバマ前大統領はバーバラさんを米国の精神の最良の部分を持ち、手本となる人物だったと述べました。
ビル・クリントン元大統領はバーバラさんを米国の理想を助ける元気の人だった、ヒラリー夫人はバーバラさんが示した好意を忘れることはないとその死を偲びました。
バーバラ・ブッシュさんの葬儀には1500人が参列した
バーバラ・ブッシュさんの葬儀はどのような様子だったのでしょうか。元大統領夫人に相応しい規模で行われたようです。
元大統領と1500人もの方々が葬儀に参列した
2018年4月21日にバーバラ・ブッシュの葬儀がテキサス州ヒューストンのセント・マーチン教会で営まれました。葬儀には1500人もの人が訪れ、夫と長男のジョージさん、ビル・クリントン元大統領とバラク・オバマ元大統領が参列しました。
なおトランプ大統領は混乱を避けるためという理由で欠席し、妻のメラニア夫人が参列して弔辞を読み上げました。協会では讃美歌が流れ、バーバラさんが納められた白い棺にはたくさんの花がかけられ、参列者が運んで出棺され、車に載せられました。
そして多くの見物人が見守る中、警察の護衛の元で棺は運ばれ、テキサス州の大学都市カレッジステーションにあるジョージ・ブッシュ大統領図書館に埋葬されたということです。
妻を心から愛していたジョージ・ブッシュさん
葬儀では夫のジョージ・ブッシュも高齢のため車椅子での参列になりました。ジョージさんは2013年頃から公の場では車椅子で登場しています。前年に肺炎で入院していたこともあり、葬儀の映像では気落ちしているような様子が伺えます。
葬儀ではジョージさんがバーバラさんに宛てた手紙が紹介され、私はアメリカ大統領になることで世界で最も高い山に上り詰めたかもしれないが、バーバラの夫である喜びはそれには及ばないと、妻への最大限の愛を表しています。
バーバラさんは女性の妊娠中絶権を主張するなど、時に夫の共和党の保守的な方針に反することも発言しましたが、政治への関与はきっぱり否定しました。ただ夫に従うわけではなく、自分の考えははっきり述べる自立した女性だったと言えますね。
バーバラ・ブッシュさんはアメリカ国民に広く慕われた
バーバラ・ブッシュさんの生涯とその晩年、そして葬儀の様子をお伝えしましたが、どのように感じられましたでしょうか。大統領夫人であるだけでなく、様々な社会活動に奉仕し、気さくな人柄で人々に慕われたバーバラさんを、アメリカ国民はいつまでも忘れないことでしょう。
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