瀬戸口清文さんの葬儀|8代目体操のお兄さんの体操指導者の人生
公開日 : 2020/7/15
更新日 : 2020/9/9
NHK番組「おかあさんといっしょ」の8代目体操のお兄さんである瀬戸口清文さんが亡くなりました。突然の訃報で驚いた方も多いことでしょう。日本の体操指導者として知られていた瀬戸口清文さんの人生はどのようなものだったのかまとめてみました。
公開日 : 2020/7/15
更新日 : 2020/9/9
目次
瀬戸口清文さんのプロフィール
子供たちに人気の番組「おかあさんといっしょ」に出演されていた瀬戸口清文さんが亡くなりました。そこで、瀬戸口清文さんのプロフィールをもう一度チェックして、どのような方だったのか一緒に思い出していきましょう。
NHK番組「おかあさんといっしょ」に出演
瀬戸口清文さんは、日本体育大学体育学部体育学科在学中から、1974年NHK番組の「おかあさんといっしょ」に出演されていました。8代目の体操のお兄さんとして13年間就任し、数多くの体操を子供たちに伝えてきたので、大人になってからも覚えている方が多いです。
1977年3月の「地球どんどん」という体操から始まり、「ようじ体操・スイッチオン」・「パラランたいそう」・「コケコッコたいそうpart1/part2」など数多くの体操をされて、卒業までは「ぞうさんのあくび」という体操を行っていました。
「セトちゃん」の愛称で親しまれており、「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんはセトちゃんという記憶がある方も多いです。15代目うたのおねえさんである森みゆきさんと一緒に番組を卒業されています。多くの子供達に与えた影響は大きい人物でした。
ぞうさんのあくびが人気
8代目の体操のお兄さんが卒業まで踊っていた「ぞうさんのあくび」はとても人気で、卒業後も9代目の天野 勝弘さんと10代目の佐藤弘道さんに引き継がれたため、「ぞうさんのあくび」だけで14年間に亘り受け継がれました。
1977年4月から1979年3月まで瀬戸口清文さんが担当した「ようじ体操・スイッチオン」は2代目のうたのお兄さんが歌ったことで人気を博しました。このように、瀬戸口清文さんが担当されていた体操はどれも子供たちに人気のものが多かったことがわかります。
やはり体操のお兄さんが3代にわたって担当した「ぞうさんのあくび」は大人から子供まで人気の体操で、印象に残りやすいからこそ長く続けることができたのでしょう。初代から体操を確認していくとこんなにも長く愛された体操はありません。
体操のお兄さんの就任期間は長い
歴代の体操のお兄さんをチェックしていくと、瀬戸口清文さんから就任期間が長く、13年は歴代2位という長さです。一番就任期間が長いのは、小林よしひささんで、14年間就任されました。天野勝弘さんは6年間務め、佐藤弘道さんは12年間務めました。
近年の傾向を見えてみると、体操のお兄さんの就任は眺めですが、昔のように体操の曲は長くありません。とはいえ、やはり体操のお兄さんに求められる体操や子供とのコミュニケーション能力・パフォーマンス力など様々な能力が求められて貴重な存在ということがわかります。
うたのお兄さんやお姉さんは番組の看板であり、体操のお兄さんはサブのようなイメージがあるかもしれませんが、番組の土台をしっかりと支えてくれる貴重な存在ということが見えてきます。それだけ、体操のお兄さんという仕事は重要だということがわかります。
大学教授として女子学生の指導
「おかあさんといっしょ」を卒業されてからは、大学教授として女子学生の指導などを行っていました。また、NHK番組の「いないいないばあっ!」や「おとうさんといっしょ」で行われる体操の指導を行ってきました。卒業されても幼児・子供向け番組に携わっていました。
「こどもちゃれんじ」の付録ビデオなどにも出演されたりと、おかあさんといっしょを卒業されても、子供向けの体操に力を注いでいたことがよくわかります。日本体育大学体育学部体育学科とおかあさんといっしょで学んだことを活かして、体操に取り組んでいました。
そのため、おかあさんといっしょを卒業されてからもその活躍を見ていた方は多いです。体操のおにいさん時代と変わらない柔らかい笑顔に癒される方も多く、メッセージも強かったため、印象に残っている方が多かったのでしょう。
児童向けダンスなどのCD
瀬戸口清文さんは、セトちゃんの愛称で親しまれていたこともあり、児童向けのCDも多く発売されていました。「セトちゃんの うんとこどっこい運動会」というもので、構成・監修・振付けを瀬戸口清文さんが担当されていました。
そのため、おかあさんといっしょを卒業されてその活躍を知らないという親子も、実は保育園や幼稚園で踊っている体操が瀬戸口清文さんが担当されていたものかもしれません。「セトちゃんの うんとこどっこい運動会29」まであるため、セトちゃんシリーズは多くあります。
年少、年中児童などむけのダンスなどの曲がたくさん収録されており、若い頃の瀬戸口清文さんがジャケットになっているものもあるため、気になる方はチェックしてみてください。昔の体操や曲も今の児童たちに受け継がれていることがわかります。
瀬戸口清文さんの死因
8代目の体操のお兄さんである瀬戸口清文さんの突然の訃報に驚いた方も多く、死因が気になっている人もいます。しかし、瀬戸口清文さんの死因は公表されていないため、不明ですがネット上ではクローン病ではないかという憶測が飛びました。
クローン病とは小腸や大腸に炎症や腫瘍ができる病気であり、突然発症する病気ではありません。長い時間をかけて発症する病気であり、瀬戸口清文さんも元気なイメージが強い体操のお兄さんでしたが、病気になっていたという噂も出ていました。
クローン病は現在の医療では原因や治療法が解明されていません。人に感染する病気ではありません。多くは10代や20代に発症する病気のため、中高年に発症される可能性は低いですが、死因が公表されていないので不明のままです。
瀬戸口清文さんの葬儀
瀬戸口清文さんは体操のお兄さんとして様々な功績を残してきた方です。瀬戸口清文さんが亡くなり、葬儀はどのように行われたのかご紹介します。
喪主は妻の美佐枝さん
瀬戸口清文さんは、2018年3月1日午前2時12分に64歳で死去されました。通夜は2018年3月8日午後6時から行われ、葬儀・告別式は9日正午から平安会館みやまえだいらで行われ、喪主は妻の美佐枝さんでした。
通夜も行われているため、一般葬を執り行わったと考えられます。瀬戸口清文さんの家族の情報は特に公開されておりませんので、子供がいるかは不明です。おかあさんといっしょを卒業されていることもあり、子供がいる可能性は高そうです。
瀬戸口清文さんの葬儀・告別式の場所は公表されていますが、どのくらいの人数が参列されたかは不明です。ここでももともと目立ち足りが屋ではないということが、葬儀や告別式にも表れたのかもしれません。
一般葬の基本的な流れ
一般葬とは、親族の他に故人の友人や知人、仕事関係など縁のある方に参列してもらい、人数が多くなるのが特徴です。流れとしてはお通夜から始まり、葬儀・告別式・火葬と2日かけて行い、多くの人が参列するためスケジュール管理が大切になってきます。
近年、増えてきている家族葬は小規模の葬儀で家族や親族のみで行う葬儀のことを言います。故人との最後の時間をゆっくりと過ごすことができ、さらに葬儀の費用も抑えることができ、選ぶ方が増えてきました。さらに、葬儀も自由度が高く故人の意思を尊重できます。
家族葬は一般葬と同じ流れで行うため、2日から3日に分けて葬儀を進めていきます。家族葬に参列する人数は10人から30人程度のため、参列してもらう方も厳選しなければなりません。そのため、一般葬とは異なり案内する人は慎重に選ぶべきです。
ファンからの悲しみの声
瀬戸口清文さんの訃報は突然だったこともあり、昔からおかあさんといっしょを見てきた方は驚いて悲しんだ方が多かったです。やはり、瀬戸口清文さんを知っている方は、「ぞうさんのあくび」のイメージが強く、じゃじゃまる・ぴっころ・ぽろりーを懐かしむ方も多いです。
幼稚園や保育園に務めている方であれば、瀬戸口清文さんの資料が多く残っていると感じている方もいます。児童に携わる方にしてみると、瀬戸口清文さんの訃報はショックが大きく、子供時代を懐かしむ方が多いです。また、笑顔の可愛いお兄さんのイメージが強かった人もいます。
ファン以外に、うたのお兄さんだった水木一郎さんもツイッターで、瀬戸口清文さんの訃報を悔やむコメントを残しています。水木一郎さんよりも年下でまだ若いのに、死去されたことにショックが大きかったことがわかります。それだけ、瀬戸口清文さんは影響力のある人でした。
瀬戸口清文さんの活躍は体操以外にもあった
瀬戸口清文さんは、8代目の体操のお兄さんとして活躍され、卒業されてからも幼児・子供向け番組にも体操指導で活躍されていたことがわかりました。人に喜んでもらうことが好きという結果から多くの人の中に、セトちゃんの印象を残すことができました。
始めはオリンピック選手として日本体育大学に入学しましたが、おかあさんといっしょのオーディションによって人生が大きく変わっています。おかあさんといっしょによって子供と接する楽しみを得たのかもしれません。改めて、瀬戸口清文さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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