佐藤タカヒロさんの葬儀|相撲の面白さを漫画で伝えた男の人生とは

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/10

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漫画家の佐藤タカヒロさんは、2018年7月3日に41歳で亡くなっています。死因は急性冠症候群で、あまりにも突然の死に多くの人が驚きました。漫画を通してスポーツの楽しさを伝えてきた,佐藤タカヒロさんの葬儀についてお伝えします。

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/10

目次

佐藤タカヒロさんのプロフィール

週刊少年チャンピオンで漫画を連載していた佐藤タカヒロさんは、連載中の漫画を描き終えることなく、41歳の若さで亡くなりました。亡くなるまでどのような人生を歩んできたのか、まずはプロフィールからみていきましょう。

2000年に週刊少年チャンピオン新人まんが賞準入選

1976年に山形県酒田市で生まれた佐藤タカヒロさんは、子どものころから絵を描くことが好きでした。高校を卒業後は宮城県仙台市にある仙台デザイン専門学校に進学し、デザインを学びます。

 

その後、首都圏で漫画家のアシスタントをしながら自身も漫画を描き、2000年に第54回週刊少年チャンピオン新人まんが賞準入選を果たしました。応募した作品タイトルは「ON-THE-ROAD」です。

 

お母さんと離れて暮らすタケシがヒロシの車に乗って仙台を目指す物語で、作品は「すべてがプロレベル」と評されました。準入選を果たしたことでデビュー権を獲得し、2001年に「シンクマネー」が週刊少年チャンピオンに掲載されています。

 

2004年から漫画「いっぽん!」連載開始

2004年からは、週刊少年チャンピオンで漫画「いっぽん!」の連載をスタートさせます。「いっぽん!」は柔道をテーマにした漫画で、単行本が14巻まで出ています。佐藤タカヒロさんは学生時代柔道に打ち込んでいて、内容のリアルさが好評を博しました。

 

連載が決まったのち、首都圏から山形県酒田市へ移住しています。故郷で伸び伸び漫画を描きたいことが、移住の理由です。しかし2006年にストーリーが完結した後は、次の連載がなかなか決まりませんでした。

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2009年から漫画「バチバチ」連載開始

次の連載が決まらずに苦しんでいた佐藤タカヒロさんですが、2009年から「バチバチ」の連載が始まります。主人公の鮫島が、力士としても人としても成長していく物語で、2012年まで週刊少年チャンピオンで連載されました。単行本は全16巻が発売されています。

 

2012年からは「バチバチ BURST」に改題して、新たに続編の連載が始まりました。2014年まで連載は続き、単行本は全12巻を発売しています。2014年にはさらに改題して「鮫島 最後の十五日」の連載がスタート。

 

主人公の鮫島が初優勝を目指すまでの姿が描かれています。迫力のある画や主人公の熱血さがウケて、「バチバチ」シリーズの連載は9年にも及びました。もともと相撲に興味がなく、連載には乗り気でなかったといいます。

 

相撲部屋へ取材に赴き、画力の向上に励んだことで漫画は人気を博し、佐藤タカヒロさん自身も相撲に興味を持ち始めたのでした。

2018年に41歳の若さで死去

2018年7月3日、佐藤タカヒロさんは41歳で亡くなりました。「鮫島 最後の十五日」を連載中に死去したため、漫画は完結していません。週刊少年チャンピオンを発売している秋田書房は、7月12日発売の連載を最終回とする旨の発表を出しました。

 

漫画家が亡くなり未完結の状態の漫画はいくつか存在します。「警察署長」を描いたたかもちげんさんは2000年に病死、「クレヨンしんちゃん」を描いた臼井儀人さんは2009年に事故で亡くなっています。

 

いずれもアシスタントが引き継いで漫画を制作していることから、「鮫島 最後の十五日」もアシスタントによって続編が描かれる可能性があるでしょう。未完結の漫画ですが、仕事に対して悔いはないだろうと妻の佐藤七々子さんが語っています。

 

理由として、毎週全力で漫画を描いていたことを挙げました。2018年中に完結を目指していた漫画は完結しなかったものの、多くの人に感動を与えたことは間違いありません。

佐藤タカヒロさんの漫画の特徴

佐藤タカヒロさんの描く漫画には妥協しない、線が細かいという特徴があります。妥協せずに作品を作り上げたからこそ、9年間も連載が続いたのでしょう。漫画の特徴についてご紹介します。

妥協しない

佐藤タカヒロさんは漫画を描く際に妥協をしない人でした。週刊少年チャンピオンの編集者は仕事場を訪れた際、原稿の描き直しがたくさんあって驚いたと語っています。ハードスケジュールで常に締め切りに追われている中でも描き直しをしていたのは、強い信念があったからでしょう。

 

単行本が発売されるときには、絵の差し替えをしていました。佐藤タカヒロさんを担当していた編集者は、常に上を目指していたので絵がどんどん変わっていったとインタビューに答えています。

 

漫画の構成にも力を入れていて、締め切り直前でも納得がいかなければ描き直しをしていたといいます。

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線が細かい

佐藤タカヒロさんの漫画は線の細かさが魅力のひとつです。妻の佐藤七々子さんは、見開きで描かれた取組の表現の仕方が好きだったと語っています。手書きで描かれている取組は躍動感があり、迫力満点でした。

 

トーンやホワイトの量が増えるため、取組のシーンがある原稿は通常の原稿よりも厚かったと担当編集者がインタビューで語りました。線で相撲の迫力を伝えるのは、並大抵のことではありません。

 

たくさんの努力や相撲部屋への取材を通して、相撲の迫力を細かな線で伝える手法を身に着けたのでしょう。

佐藤タカヒロさんの突然の死

漫画を連載していた佐藤タカヒロさんは、亡くなる前日までSNSを更新していたことから、死は突然訪れたことがわかります。死因である急性冠症候群や、亡くなる前の様子についてご紹介します。

死因は急性冠症候群

死因は公表されていませんでしたが、山形県の地元紙に詳細が記載されたことで死因が明らかになりました。死因となった急性冠症候群は、冠動脈にできたプラークが突然破裂して血栓ができ、血流が悪くなるものです。

 

血流が阻害されると酸素不足が生じて、死に至るというメカニズムです。急性冠症候群は正式な病名ではなく、不安定狭心症・急性心筋梗塞・心臓突然死などを指します。事前にプラークの破裂を察知することは難しいため、死亡率が高い病気です。

 

生活が不規則な人や喫煙や高血圧、糖尿病の人は急性冠症候群を発症しやすいといわれています。漫画家は生活が不規則になりがちで喫煙者でもあったため、体に負荷がかかっていたのでしょう。

亡くなる前日までSNSを更新

佐藤タカヒロさんは亡くなる前日までSNSを更新しており、死の兆候はまったく見られませんでした。亡くなる数時間前には、ツイッターを開いていたことがわかっています。「鮫島 最後の十五日」の単行本が発売されたことを知らせるツイートをしていて、突然の死は多くの人を驚かせました。

佐藤タカヒロさんの葬儀は近親者のみで

佐藤タカヒロさんは2018年7月3日、日本海総合病院で亡くなっています。葬儀は山形県酒田市でおこなわれ、多くの旧友が訪れました。葬儀の詳細や有名人の追悼コメントをみていきましょう。

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葬儀は山形県酒田市でおこなわれた

葬儀は2018年7月6日に、山形県酒田市のセレモニーホール酒田でおこなわれました。喪主は妻の佐藤七々子さんが務めています。近親者のみの葬儀でしたが、たくさんの旧友が参列しました。

 

優しい人柄が多くの人に愛されていたことがわかります。ツイッターでは、アシスタントにたびたび食事を振る舞う様子が掲載されていました。若いアシスタントに対しては漫画家として成功するようにと、下書きの基本を教えていたそうです。

 

雑誌の編集者は、面倒見がよく気を遣ってくれる人だったとインタビューに答えています。打ち合わせでの対応も丁寧だったといいます。どんな立場の人にも対等に接したことからも、人柄の良さが伝わります。

 

佐藤タカヒロさんには子どもが3人いて、もしものことがあったときには漫画を自分だと思ってほしいと伝えていました。子どもたちも絵を描くことが好きであり、父親を尊敬していたことでしょう。

有名人が追悼コメントを発表

「バチバチ」シリーズは現役の力士も愛読するほど、内容がリアルで人気がありました。有名人にも愛読していた人は多く、お笑い芸人の有吉弘行さんがツイッターで追悼コメントを発表しています。

 

有吉弘行さんは作品が最高だったことや続きが読みたかったことに触れ、お疲れ様ですと締めくくっています。

週刊少年チャンピオンは追悼号を発売

「鮫島 最後の十五日」を連載してた週刊少年チャンピオンでは、2018年9月20日に追悼号を発売しています。漫画を連載していた仲間からの追悼色紙が掲載され、中には少年ジャンプで連載している漫画家からの色紙もありました。

 

雑誌の垣根を越えてたくさんの人が佐藤タカヒロさんの死を悼んだのです。追悼特集は52ページ組まれ、色紙のほかにも白鵬の手形や主人公鮫島の取組が掲載されています。雑誌の断裁面には「サヨナラバチバチアリガトウ」とプリントされるなど、粋な計らいが多くみられました。

佐藤タカヒロさんは仕事に妥協しない熱い男だった

柔道と相撲にまつわる漫画を描き、スポーツの楽しさを伝えた佐藤タカヒロさん。「鮫島 最後の十五日」を完結しないまま、41歳の若さで亡くなりました。しかし漫画を通して、今後もスポーツの楽しさを学ぶ人は多くいるでしょう。

 

作品の熱さは、いつまでの多くの人の心に残り続けるはずです。