古屋安雄さんの葬儀 | 日本人の国民性を研究したICU教授の最期は?

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/8

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ICUの教授としてプロテスタントのキリスト教布教につとめた古屋安雄さん。日本でキリスト教が普及しない理由を日本人の国民性が原因とし、日本を変えるために多くの教え子を生み出しました。そんな古屋さんの葬儀はどういった様子だったのでしょうか。

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/8

目次

古屋安雄さんのプロフィール

プロテスタントの神学者として、日本にキリスト教が普及しない理由となる、日本人の国民性を研究した古屋安雄さん。その死について知る前に、まず古屋さんの経歴を確認しておきましょう。

神学者の家に生まれ、ICUの教授になる

古屋安雄さんは1926年9月13日に、日本組合基督教会の牧師の父と神戸神学校出身の母の間に生まれました。生まれた場所は上海です。1945年に日本軍に徴兵され、数か月間二等兵として軍務に服しました。

 

古屋さんは戦後の1946年に自由学園男子部を卒業し、1951年に現在の東京神学大学を卒業しました。その後はドイツのテュービンゲン大学に留学し、アメリカに渡りサンフランシスコ神学大学を卒業、プリンストン神学校で神学博士となりました。

 

1959年に古屋さんは帰国し国際基督教大学、いわゆるICUの教会牧師に就任し、教授になりました。1999年に退職して名誉教授となっています。その後は聖学院大学教授の教授に就任しました。2007年にはそれまでの功績が評価され、第38回キリスト教功労者を受賞しました。

 

古屋さんはプロテスタントの中でも改革派のエキュメニカル派に属していましたが、母は保守的なクリスチャンだったため、より穏健的な福音派に対して批判をしつつ交流していました。そのため日本のキリスト教界で広い影響力を持つことが出来たのです。

日本人の国民性を研究した古屋安雄さん

古屋安雄さんは神学者の立場から、なぜ日本でキリスト教徒が増えないのかという問題について研究しました。古屋さんは講演で日本人の国民性と、その現状をどう打破するかついて以下のように述べています。

 

日本人は例外を認めようとしません。皆が同じ考えを持ち、同じ行動をし、異なる存在を受け入れようとしないのです。日本ではもし違った言動をとる人が居たら仲間外れにしてしまいます。社会問題になっているいじめも、こういった国民性から生じています。

 

聖書には、99匹の羊を後にして、いなくなった1匹の羊を探し求める羊飼いの話が書かれています。真の民主主義は多数決ではなく、1人だけのためにでも皆が行動し、1人を尊重することなのです。

 

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古屋安雄さんは1人だけになっても正義を貫ぬくことを訴えた

ICUの高校を作る時、文部省のある局長の方が中国に昔からある話を教えてくれました。それは1つ目の猿の群れに2つ目の猿が入ってきても受け入れてもらえず、自ら片眼を潰して1つ目になってようやく仲間に入ることができたという話です。

 

これは日本人が外国に行って2つの目を得て帰国しても、1つ目の日本人たちに受け入れてもらえず、1つ目のように振る舞うしかなくなるのと同じと言えます。このようないじめを無くし、それぞれの個性を尊重する教育を行うためにICUは生まれたのです。

 

若い人は99人が賛成しても、おかしいと思えば自分は反対ですと言える人になることを目指すべきです。たとえ1人になっても、正義を探求できる人間になることが今、求められていると言えるのです。

空気を読んでしまう日本人

かつて田中角栄首相がインドネシアを訪問することになった時、大きな反日運動がおこりました。当時の日本はエコノミックアニマルと言われ、インドネシアの文化や宗教に無関心で、儲け第一主義の国民とみなされていました。

 

古屋安雄さんは、インドネシアで経済活動をしているアメリカ人やオランダ人もいるのに、なぜ日本人だけそう呼ぶのかと地元の人々に尋ねました。彼らはアメリカ人やオランダ人はそうでない人もいるが、日本人は全員がエコノミックアニマルだからだと答えました。

 

ここにも日本人の、皆がやるから自分もやるという国民性の弊害が表れています。皆がやっていればそれがたとえ悪いことでもやってしまうのが、日本人の特性なのです。空気を読むという文化が日本人にとってマイナスになっています。

一人でも正義を貫いた日本人も存在した

しかし日本人にも例外的な存在がいました。古屋安雄さんがフィリピンの大学で教えていた頃に、戦時中の日本軍に親兄弟を殺されたという多くのフィリピン人に出会いました。しかしそういった人の中から、立派な日本の軍人もいたという話を聞きました。

 

それはフィリピンの初代大統領マヌエル・ロハスの命の恩人だった、日本の軍人の神保信彦大佐でした。ロハス氏が日本の捕虜になった時に、ロハス氏の人柄に触れた神保大佐が助命嘆願したために、ロハス氏は処刑をまぬがれたのです。

 

敵味方の垣根を超えて人に接することができた神保大佐の人柄は、キリスト教徒だった母の影響があったと古屋さんは知りました。たとえ一人でも正義を貫くという教えを受ければ、日本人も変わることが出来るのです。

 

 

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日本のキリスト教界の改革を訴えた古屋安雄さん

31年間ICUで同僚だったICU名誉教授の並木浩一さんは、古屋安雄さんが常々、日本人の1割がキリスト教徒になれば日本は変わると訴えて諸教会を元気づけていたと語っています。古屋さんは多くの教え子に、牧師となって布教活動に邁進することを勧めました。

 

古屋さんは日本でなぜキリスト教が広まらないのかという問いに、明治以降の教会が日本のインテリ層のみを相手にして、その傾向をひきずっているからだと答えています。古屋さんは同様の批判をした先駆者の賀川豊彦さんを敬い、同名の学会の会長を務めています。

 

古屋さんの講義の話は面白く、人を引き付ける古屋さんの人柄を皆が慕っていたと並木さんは語っています。そして古屋さんは日本のキリスト教界にとって大きな天の恵みだったと讃えています。

古屋安雄さんの最期

神学者としてキリスト教の布教のために、日本人の国民性の問題を追及した古屋安雄さん。その最期はどのような様子だったのでしょうか。

古屋安雄さんの晩年とその最期の様子はわかってない

古屋安雄さんは2010年に教授職を辞し、2011年に最後の著書『日本のキリスト教は本物か? 日本キリスト教史の諸問題』を発表しましたが、それから2018年に亡くなるまでの間のことはよくわかっていません。

 

ただし古屋さんは最後の著書の中で、ICUは自分のために創られた大学ではないかと記しています。古屋さんはICUの教授として長年の間、勤めることで、やりがいのある幸福な人生を送られたのだと思います。

 

古屋さんは2018年4月16日に91歳という高齢で亡くなりましたが、年齢的には大往生と言えます。おそらく自分の人生に満足して亡くなられたのではないでしょうか。

古屋安雄さんの葬儀には400人の方々が集まった

ICUで教授職を務め多くの教え子を生んだ古屋安雄さん。その葬儀には多くの関係者が集まったようです。

古屋安雄さんの葬儀には多くの人が参列した

古屋安雄さんが亡くなってから8日後の2018年4月22日に、東京都三鷹市のICU教会で古屋さんの葬儀礼拝が行われました。葬儀には古屋さんの親族だけでなく、古屋さんの教え子や大学関係者、宗教家ら400人もの人が集まりました。

 

司式は明治学院大学名誉教授の加山久夫さんが務め、東京神学大学名誉教授の大木英夫さんが式辞を、ICU名誉教授の並木浩一さんとICU教会牧師の矢澤俊彦さんが弔辞を述べました。

 

古屋さんはICUの教授を辞してから20年近くが過ぎていましたが、これだけ多くの方々と、他のミッション系大学の名誉教授が集まったのです。古屋さんの存在の大きさが伺えます。

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式辞と弔辞で古屋安雄さんの人柄が語られた

大木英夫さんは式辞で、敗戦後の日本は使徒パウロのように再生することができていない、若者を育てて日本を生まれ変わらせることが大学の責務と、古屋安雄さんとよく語り合ったエピソードを披露しました。

 

並木浩一さんは、古屋安雄さんを過程より結果を重んじる人だったと語りました。古屋さんは教え子に、会社に勤めるよりも牧師になったほうが、毎日満員電車に乗る必要が無いからいいよと言って勧めていたそうです。

 

これは古屋さんの気さくな人柄を物語っていますが、それだけでなく古屋さんが信仰の動機の純粋さにはこだわらないリアリストだったことを示しているのです。

行動する人で皆から慕われた古屋安雄さん

並木浩一さんは、古屋安雄さんが日本のキリスト教界の信徒の量より質を求める傾向を否定し、キリスト教徒を増やす努力を怠り信徒の質のみに逃げる傾向は、自分の救いのみを考え、福音により社会を変革する義務を放棄していると批判していたことを明かしました。

 

喪主代行を務めた古屋さんの長女の古屋恵美子さんは、自分がアメリカのニューヨークで移民や難民の問題解決に携わっているのは、父が口だけで説教するだけでなく行動するタイプの人だったことが影響していると語りました。

 

また恵美子さんは、父がICU校内に住んでいた頃、ここは皇居の次に良い家だと誇り、いつも教え子たちの相談に乗っていたことを明かしました。古屋さんの朗らかで親しみやすい人柄が伺えますね。

古屋安雄さんは福音により日本を変えようとしていた

古屋安雄さんの主張と、葬儀の様子を伝えましたがどう感じましたでしょうか。古屋さんは日本の国民性に問題提起を行い、日本のキリスト教徒を増やすために活動を行い、ICUでは多くの人に慕われていたことが葬儀の様子から伺うことができますね。