内田康夫さんの葬儀|浅見光彦シリーズで知られる作家の訃報

公開日 : 2020/7/16

更新日 : 2020/9/10

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テレビでドラマ化もされている「浅見光彦シリーズ」の作家として知られる内田康夫さんが2018年に永眠されました。日本ミステリー界に偉大な影響を及ぼした功績をのこしています。内田康夫さんの経歴と妻である早坂真紀さんのこと、葬儀についてまとめました。

公開日 : 2020/7/16

更新日 : 2020/9/10

目次

内田康夫さんの経歴

1934年11月5日、内田康夫さんは現在の東京都北区で誕生します。戦争が始まると、東京の実家が戦火で住めなくなってしまい、長野県、秋田県、埼玉県、静岡県を転々としながら疎開生活を送るようになりました。

 

埼玉県立川越高等学校を卒業したのち、東洋大学文学部へ入学しますが、中退しています。その後は、CMアニメの製作にたずさわったり、コピーライターとして働いていました。1980年には「死者の木霊」という作品を自費出版し、朝日新聞の読書欄で取り上げられるとたちまち話題になります。こうして、内田康夫さんは作家としての道を歩み始めることになりました。

内田康夫さんの作品

内田康夫さんは、西村京太郎さんや山村美紗と並んで「旅情ミステリー作家」の代表だと言われています。作品の中で、各地の風景や人々の心情を書くことを大事にしていました。また、数々の作品をがテレビドラマ化されて来ました。内田さんの作品は163作にのぼり、累計発行部数は1億部を超え、特に「浅見光彦シリーズ」がよく知られています。2008年には、日本のミステリー文学界に貢献したことをたたえられ、「日本ミステリー文学大賞」を受賞しています。

浅見光彦シリーズはベストセラー

内田康夫さんの代表的な作品には、「浅見光彦シリーズ」が挙げられます。作中では主人公である「浅見光彦」が、永遠に年を取らない33歳、フリーのルポライターでありながら探偵をする、という設定で事件を解決していきます。浅見光彦は長身、甘いマスクであるため、女性読者から人気を集めてきました。

 

サスペンスドラマとして4つのテレビ局でテレビドラマ化されており、さまざまな役者が浅見光彦を演じてきました。最初にドラマ化されたのは国広富之さんが主演し、TBSが製作した1982年のものでした。一番最近では、2008年から2018年までフジテレビで中村俊介さんが主演を務めたシリーズがありました。テレビでも、30年以上にわたり視聴者に愛されていた作品だったことがわかります。

浅見光彦記念館

2015年11月には、長野県の軽井沢に「浅見光彦記念館」がオープンしました。これは、内田康夫さんが財団を立ち上げ、浅見光彦のファンのために作られたもので、ファンなら一度は訪れたい施設となっています。

 

館内には、テレビドラマで実際に使用された小道具が展示してあり、ドラマの世界に入ったかのような撮影をできるスペースがあります。浅見光彦は小説の中で「ソアラ」が愛車である設定で、記念館では古いものと新しいもの、2台のソアラが展示してあります。しかも、これは実際に内田さんが所有していたものなのです。また、内田さんが実際に使っていた書斎やデスクが展示されており、ご健在だったころの執筆活動の様子を伺うことができます。

 

この他にも、謎解きイベントなどの特別企画が開催されることもあり、見どころの多い施設と言えます。内田さんの作品や妻である早坂真紀さんの作品、オリジナルグッズが販売されており、訪問の記念となるものが購入できます。

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信濃のコロンボシリーズや岡部警部シリーズも人気

内田康夫さんのベストセラーは浅見光彦シリーズだけではありません。代表的な作品では、他に「信濃のコロンボシリーズ」や「岡部警部シリーズ」が知られています。内田さんの作品では、シリーズを超えて人物が登場することでも人気がありました。例えば、「信濃のコロンボシリーズ」第1作にあたる「死者の木霊」には岡部警部が登場しています。こういったことも、ファンにはたまらないものでした。

内田康夫さんの妻や家族について

内田康夫さんの妻は、実は内田さんと同じく作家です。どんな奥様で、どんな夫婦生活をおくっていたのでしょうか。

妻は作家の早坂真紀さん

内田康夫さんには、台湾出身の奥様がいらっしゃいます。内田さんと同じく作家で、早坂真紀というペンネームで活動していますが、本名は内田由美というお名前です。お二人にお子さんはいらっしゃいません。内田さんが元気なころには、お二人で豪華客船の旅に出たり、軽井沢に移住をするなどして、悠々自適な生活を送っておられました。

 

早坂真紀さんは内田さんとは違い、ミステリー作家ではありません。1995年に「軽井沢に吹く風」という作品でデビューすると、それ以降も詩的な情緒のある小説やエッセイを執筆してきました。それだけでなく、「妖精の棲む森」という大人のためのファンタジー小説も執筆しています。また、浅見光彦記念館のホームページでは、早坂さんの随想が掲載されており気軽に読むことができます。

軽井沢にティーサロンを開店

1983年に軽井沢に移住した内田康夫さんと早坂真紀さんは、ティーサロンを開店します。早坂さんの作品にちなみ、「軽井沢の芽衣」と命名されました。軽井沢の豊かな自然のなかに建てられたサロンでは、ゆったりとした贅沢な時間が流れます。テラスやサンルームにはペットを同伴することができ、出される食器はこのサロンのオリジナルのものという、随所にこだわりを感じられる作りになっています。

 

お料理のメニューもこだわり抜かれており、特に紅茶は常時10種類の用意がしてあります。その他に、コーヒー、ソフトドリンク、カレー、ホットサンドなどのメニューがあり、ファンなら一度は行ってみたくなるのも頷けます。「内田康夫のドライカレーライス」は、名前のとおり内田康夫さんがこよなく愛したメニューで、野菜と挽肉だけで煮込まれたドライカレーです。

 

お店の南側には約2000坪の森があり、訪れた人が散策できるようになっています。この森には「妖精の棲む森」という名前がつけられ、こちらもまた早坂さんの作品から取られたものです。浅見光彦記念から車で7分ほどという立地のこともあり、ファンが軽井沢を訪れたさいに立ち寄りたいスポットとして知られています。

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夫婦での共著「愛と別れ 夫婦短歌」

内田康夫さんは、脳梗塞に倒れ入院したあと、左半身が麻痺してしまい小説が思うように書けなくなってしまったことにとても苛立ちを感じていたそうです。しかし、短歌が好きだったことを思い出し、脳の活性化も兼ねて短歌でリハビリをすることに決めました。このことを知った講談社が、特設サイトと月刊誌「IN★POCKET」において短歌の連載を始め、そこには妻である早坂真紀さんも参加することになりました。

 

連載の始まった当初、妻である早坂さんは、幼いころから詩は書いていたものの短歌については全くの素人でした。内田さんの短歌好きにつられて、少しずつ短歌を詠むことから始まりました。早坂さんは内田さんの知識について「百人一首の歌を全て覚えており、その歌が詠まれた背景まで全て教えてくれる」と驚きを隠せない様子です。

 

連載は内田さんの亡くなる2018年3月まで続き、その後「愛と別れ 夫婦短歌」というタイトルで一冊の本にまとめられました。闘病生活の辛さや日常のユーモア、社会性のある短歌が詠まれています。

内田康夫さんの死因と葬儀

2018年3月13日、内田康夫さんは東京都内の病院で永眠されました。83歳でした。内田さんの死因や葬儀はどんなものだったのでしょうか。

内田康夫さんの死因

2015年7月26日、内田康夫さんに軽度の脳梗塞が見つかり入院することになりました。その後は、これまでどおり執筆するのが難しいと判断し、休筆宣言をしています。2017年3月21日の毎日新聞では、脳梗塞によって左半身に麻痺がのこってしまい、リハビリしたものの思うようにいかなかった旨が掲載されました。浅見光彦シリーズの114作目である「孤道」を毎日新聞で連載している最中でしたが、連載はストップすることとなりました。入院中は、妻である早坂さんが付きっきりで看病をしていたそうです。

 

残念ながら執筆が再開されることはなく、「孤道」が未完のままに内田さんはお亡くなりになりました。死因は、敗血症でした。敗血症は、体の炎症を起こしている部分から病原体が入り込み、悪寒やふるえ、心拍数や呼吸数の増加を起こしてしまう病気です。基礎疾患があると発症しやすいのですが、内田さんになにか持病があったのかは分かっていません。

ドラマの撮影中だった

内田康夫さんがお亡くなりになったときは、ちょうどTBS製作のドラマ「新・浅見光彦シリーズ」が高知で撮影されている最中でした。このドラマで浅見光彦役を演じている平岡祐太さんは「一度もお会いできず、残念」とコメントしました。

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内田康夫さんの葬儀

内田康夫さんの葬儀は、ご本人が生前から意向を示しており、近親者のみで執り行われました。喪主は妻である早坂真紀さん(内田由美さん)でした。また、同じく本人の意向で「お別れの会」も開かれていません。ただ、浅見光彦記念館では2018年3月23日から4月23日に献花台が設けられ、ファンが最後のお別れをできる場となりました。

たくさんの人に愛された浅見光彦シリーズは永遠に

精力的に作家活動を続け、たくさんの作品を世に送り出した内田康夫さん。日本ミステリー界に偉大な功績を残しました。内田さんはお亡くなりになりましたが、浅見光彦をはじめとする登場人物たちは、いつまでも愛され続けるでしょう。ご冥福をお祈りします。