渡辺えりかさんの葬儀|プロレス引退後の長い闘病生活とは?

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/9

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2018年4月20日に亡くなった渡辺えりかさん。女子プロレスラーとして活躍し、引退後も試合を見に訪れるなどプロレスを愛していました。がんにより39歳の若さで亡くなった渡辺えりかさんの闘病生活や葬儀について、詳しくご紹介します。

公開日 : 2020/7/15

更新日 : 2020/9/9

目次

渡辺えりかさんのプロフィール

プロレスラーとして活躍していた渡辺えりかさんは、2018年に39歳の若さで亡くなりました。どのような人生を歩んできたのか、まずはプロフィールをみていきましょう。

1998年にデビュー

渡辺えりかさんは北海道北見市出身で、1998年にプロレスラーとしてデビュー。デビュー戦は1月23日に神奈川県の川崎市体育館でおこなわれ、結果は時間切れで引き分けでした。対戦相手は春山香代子さんです。

 

1月25日におこなわれた、東京の新宿リキッドルームで初勝利を飾りました。池田麻奈美さんを相手に対戦し、押さえ込みで勝利しています。

1999年に引退

1999年2月に「渡辺えりか」から「橋本真弥」に改名し、2001年に復帰するまでは「橋本真弥」として活動しました。1999年6月以降は休場が続いており、11月付けで引退しました。引退の理由は頭部のケガです。

 

故障が多かったため休場することが多く、デビューから引退までの勝率は低いものでした。

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2001年に復帰

1999年に一度は引退したものの、2001年に復帰しました。2001年12月28日におこなわれた復帰戦は丸め込みで敗れましたが、2002年にはJWP敢闘賞を獲得しています。JWPは女子プロレスの団体で、日本女子プロレスの略です。

 

現在は活動を停止していますが、渡辺えりかさんのほか春山香代子さんやコマンド・ボリショイさんが所属していました。賞はファン投票により決定することから、渡辺えりかさんが高い評価を受けていたことがわかります。

 

1999年に引退するまでの勝率は低く、復帰後も勝率が高かったわけではありません。理由は度重なる体の故障ですが、試合に出ることを止めずJWPを盛り上げました。

2005年に第12代JWPジュニア王者

2001年に復帰後は活動を続け、2005年に第12代JWPジュニア王者に輝きました。一度引退した選手が王者に輝くのは初めてのことです。しかし7月23日の試合で膝のケガを悪化させてしまい、以降の試合は欠場しています。

 

1999年の引退のきっかけとなった頭部のケガ以外にも、渡辺えりかさんは元々膝をケガしていました。日常生活に支障をきたすほどのケガであり、階段は手すりにつかまらなければ降りられなかったといいます。

 

それでも試合に出続けたのは、プロレスが好きだったからでしょう。プロレスを辞めたら生きていけないと語ったこともあるほど、プロレスへの愛は強いものでした。

2006年に引退

ケガをしたのは、元々傷めていた膝とは反対側です。ケガをかばって歩いていたせいで反対側の膝も傷めてしまったと考えられます。2005年7月23日以降は試合に出られないまま、2006年1月22日の引退試合を最後にプロレスラーを引退しました。

 

引退理由には膝のケガもありますが、一番の理由は心臓の病気です。心臓の病気について具体的には明かされていません。リングアナウンサーの松田靖幸さんが、渡辺えりかさんは薬で発作を抑えて試合に臨んでいたことをブログに綴っています。

 

引退セレモニーには多くの人が訪れ、会場は満員となりました。プロレスを愛し、ファンからも愛された渡辺えりかさんだからこそ、多くの人が駆け付けたのでしょう。

プロレスを引退後の私生活

プロレスラーとして充実した生活を送っていた渡辺えりかさんは、引退後の私生活も充実していました。プロレスを引退した後の私生活をみていきましょう。夫と子どもについてもご紹介します。

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2007年に結婚

渡辺えりかさんは2007年に結婚しています。夫についての詳細は公表されていないため、一般の方なのでしょう。顔は隠していますがブログで夫の姿をアップしており、仲の良さが伝わります。

2008年に出産

2008年に出産した渡辺えりかさんには、栄汰くんという1人息子がいます。息子の姿をたびたびブログで公開していて、2017年12月31日には雪遊びをする姿を公開しました。親子の会話が綴られることも多く、ささやかな毎日に幸せを感じていた様子が伝わります。

渡辺えりかさんの闘病生活

プロレスラー引退後の私生活では結婚、出産を経て幸せに暮らしていた渡辺えりかさんですが、2013年に胃がんが発覚します。2015年にはほかの臓器にがんが転移し、亡くなるまで長い闘病生活を送っていました。

2013年に胃がんと診断

2013年9月に、ステージ3Bの胃がんと診断された渡辺えりかさん。ステージ3Bとはがんが進行しているものの、手術で治る可能性がある段階です。しかし手術をしても再発することが多く、一般的に手術後は再発を防ぐ治療がおこなわれます。

 

ある程度進行した状態のがんが発覚したことは、渡辺えりかさんにとって大きなショックだったでしょう。2013年といえば結婚してまだ6年、子どもはわずか5歳です。

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2015年に転移が発覚

2015年3月にはがんの転移が発覚しました。2015年の7月に更新された渡辺えりかさんのブログには、25キロ痩せたことや春山香代子さんの引退まで生きたい気持ちなどが綴られています。

 

春山香代子さんは、渡辺えりかさんがデビュー戦で対戦した相手です。デビューした日から身長や体重まで同じの2人は、同期として支え合ってきました。12月27日におこなわれた春山香代子さんの引退式には、渡辺えりかさんも足を運んでいます。

 

当初は手術が不可能といわれるほどがんは進行していて、引退式にも足を運べるかは不明でした。しかし転移していた3か所のがんのうち1か所が消えて2か所は小さくなり、2016年1月に手術ができるほどに体調は回復しました。

 

手術をしなければ0%だった根治率は、手術をしたことによって15%になったことをブログで報告しています。

手術後は抗がん剤の副作用に苦しんでいた

手術後はプロレスの試合やイベントにたびたび顔を出しています。しかし抗がん剤を打たなければならず、さまざまな副作用に苦しんでいました。2016年11月のブログでは副作用で髪の毛がなくなったため、医療用ウィッグを付けたことを紹介しています。

 

ブログにはがんと前向きに闘う様子が綴られており、渡辺えりかさんが毎日を懸命に過ごしていたことがわかります。体の痛さに苦しみながらもジムに入会したり大学入試に向けて模試を受けたりと、生きることを諦めませんでした。

 

2018年3月14日に入院し、2015年に胆管がんで亡くなった川島なお美さんと同じ病院で治療を受けていることを告白。3月26日に退院を報告しましたが、体の痛みや倦怠感が強いとブログに綴りました。

2018年4月20日に逝去

4月28日に40歳の誕生日を迎える予定だったため、3月28日のブログでは誕生日まで死ねないと前向きな発言をしています。しかし誕生日を迎えることはできず、渡辺えりかは2018年4月20日に逝去しました。

 

亡くなる4日前に更新したブログでは「生きてはいるんだけどギリギリのラインですごめんなさい」と綴っています。最期までがんと闘っていた渡辺えりかさんが唯一見せた弱音でした。

 

39歳の若さで亡くなり、息子の栄汰くんは10歳でした。幼い子どもを遺して逝くのは、とても悔しいことだったでしょう。

渡辺えりかさんの葬儀

渡辺えりかさんの告別式は2018年4月25日におこなわれました。葬儀の詳細や親交があった方のコメントをご紹介します。

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告別式は東京都練馬区にて

渡辺えりかさんは2018年4月20日の朝、がんのため39歳の若さで亡くなりました。告別式は4月25日に、東京都練馬区の宝亀閣斎場でおこなわれています。葬儀の詳細は明らかにされていません。

 

しかし過去のブログで「浄土真宗大谷派」と綴っていることから、宗派に沿った葬儀がおこなわれたと考えられます。

浄土真宗大谷派について

浄土真宗大谷派とは、浄土真宗の中でも信者の多い宗派です。死後は極楽浄土へ行けるという教えのため、葬儀は故人が極楽浄土へ行けたことへの感謝を目的としています。ほかの宗派は故人の供養を目的としているので、葬儀の意味が違うといえるでしょう。

 

即身成仏の考えにより戒名はありません。死装束や清めの塩を用意しない点も、浄土真宗大谷派ならではです。宗派によって葬儀のスタイルは大きく変わるので注意してください。

女子プロレスは献花台を設置

2018年4月22日におこなわれた女子プロレスの試合会場には、献花台が設置されました。試合には渡辺えりかさんと親交のあったコマンド・ボリショイさんも出場しています。コマンド・ボリショイさんは渡辺えりかさんの死について、実感がないとコメントしました。

 

JWPに所属していた日向あずみさんは、告別式の日に「笑顔で旅立てますように。」とブログに綴っています。プロレスに真剣に向き合ってきた渡辺えりかさんにはプロレスの仲間が多く、たくさんの人が早すぎる死を悼みました。

渡辺えりかさんは最期まで生きる気力を持っていた

2013年にがんが発覚してから亡くなるまで、5年間の闘病生活を送った渡辺えりかさん。抗がん剤の副作用やがんによる体の痛みに苦しみながらも、最期まで生きる気力を忘れずに持っていた立派な女性でした。