田中昭二さんの葬儀|その人柄で愛された超電導技術の世界的権威

公開日 : 2020/7/23

更新日 : 2020/9/9

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田中昭二さんは、リニアモーターカーなどに必要な技術に関わる超電導物質開発の世界的な先駆者として活躍されました。その人柄や情熱で学生や周囲の人びとから慕われた科学者でした。この記事では、田中昭二さんがどんな科学者であったか、その人柄や功績とともにお伝えします。

公開日 : 2020/7/23

更新日 : 2020/9/9

目次

田中昭二さんプロフィール

田中昭二さんは、リニアモーターカーなどに必要な技術に関わる超電導物質開発の世界的な先駆者として活躍されました。その人柄や情熱で学生や周囲の人びとから慕われた科学者でした。この記事では、田中昭二さんがどんな科学者であったか、その人柄や功績とともにお伝えします。

物理学の分野で多大なる功績を残した田中昭二さんは、東大に入学するも、学部の勉強がおもしろくないと自分で物理の勉強を始めます。リニア実験の発展にどう貢献したのでしょうか。

神奈川県小田原に誕生

田中昭二さんは1927年9月19日、谷崎純一郎や山田太一をはじめ、数々の文化人を輩出した神奈川県の小田原市に誕生しました。東京大学に入学し、1950年に東京大学工学部応用数学科卒業後、1955年には東大工学部の専任講師となり、3年後には助教授に、1968年には教授に就任しました。

「何だかおもしろくない」と独学で

田中昭二さんは昭和2(1927)年まれ、ゼロ戦を見て育った世代で、もともとは航空学科志望でしたが、敗戦によって航空学科がなくなり、航空学科の多くの先生が移った応用数学科に入学しました。

 

ところが、田中昭二さんは「何だかあんまりおもしろくない」と、卒論を書くのに大学へ行かず、イギリス出身でノーベル賞受賞者のディラックという研究者の本を自分で翻訳するなど物理学を独学で勉強しました。

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「お前はわがままだから」

「お前はわがままだから会社員は務まらない」という父の命で大学院に進学し、1955年からは東大工学部で講師として教鞭をとるようになりました。1958年には助教授に、10年後の1968年に東大工学部の教授となりました。

世界の先陣を切る実験の数々

超電導体については、IBMチューリッヒ研究所のミュラーとベドノルツが「酸化銅を含んだセラミックは超電導体」と発表しましたが、いくつか不備な点もあり、あまり大きくは扱われませんでした。

 

それを完璧に実証してみせたグループこそが田中昭二さんの研究グループで、1986年12月、銅酸化物を含んだセラミックが超電導を起こすことを実証し、世界の超電導物質開発の先陣を切りました。

 

また、1990年の公開実験では、高温超電導を使い、人を乗せた磁石円盤を浮上させることに成功するなど、数々の偉業を成し遂げました。

東大を定年後

定年して隠居したかというと、当然ながらそうではなかった田中昭二さん。超電導工学研究所の初代所長を務め、依然として精力的に研究に力を入れられていたようです。

定年後

東大を定年で退官した後、(財)国際超電導産業技術研究センター超電導工学研究所の初代所長も務められました。退官後も、半導体、超電導など固体物理学の分野で、常に最先端を歩んで来られた科学者でした。

数々の褒章

田中昭二さんは、1990年には「科学技術分野における発明・発見や、学術・スポーツ・芸術文化のフィールドで、目覚ましい業績を挙げた方」に授与される紫綬褒章を受章しました。同じ1990年には、演劇の世界から女優の山岡久乃さんや菅井きんさんも受賞されています。

 

 

また、1999年には勲三等旭日中綬章を受章しています。「さまざまな分野における成果の内容に着目し、大きな功績を挙げた人を表彰する章」であり、田中昭二さんの功績がいかに大きかったかわかります。

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リニア実現へ向けて

ある物質を一定の温度以下とした時、電気抵抗がまったくなくなる現象を、超電導現象と言います。超電導現象を起こしたコイルは「超電導コイル」と呼ばれます。電気抵抗がまったくないこのコイルに電流を流すと、電流が半永久的に流れ続き、強力な磁界が発生します。このコイルをリニア側に搭載し、地上コイルとの磁気相互力で浮上して走行します。

 

田中昭二さんは、国際超電導産業技術研究センター超電導工学研究所の初代所長として高温超電導コイルの開発のプロジェクトリーダーを務め、見事開発に成功しました。超電導コイルはリニアの実現には不可欠な技術であり、田中昭二さんの熱意でリニア開業へと確実に一歩前進しました。

「田中クライテリア」

田中昭二さんが口火を切った超電導フィーバーから生まれた数多くの研究報告の中には、いまひとつ信ぴょう性にかける研究もありました。

 

そこで田中昭二さんが新しく「新超電導物質が満たす基準を定義した田中クライテリア(判断基準)」を定めました。「クライテリア」とは「(何かしらの)判断基準」という意味です。

 

電気抵抗が十分小さいこと、マイスナー効果(完全反磁性)を示すこと、物質が同定され、その結晶構造が明らかにされていること、再現性が可能、第三者が確認できること、と定められています。

著書

田中昭二さんは共著も含むと約20冊のたくさんの著籍を残されています。

 

1986年、『入門超々LSI (日経ハイテクシリーズ)』 を出版します。「高温超伝導とは何か、その持つ意味は何か」をわかりやすく伝えたいと「朝日セミナー」での講演と聞き書きをまとめたものでした。

 

『産業技術と未来社会』、『半導体工学演習第1』(共著)、『超電導とは何かスーパーハイテクの衝撃』、『超電導のおはなし』(編)『高温超電導・実用化に迫る研究最前線』(編・著)、『超電導は物理学を超えるか21世紀を制するスーパーテクノロジー』(共著)「超電導とは何か・スーパーハイテクの衝撃」(共著)など、田中昭二さんは多くの著席を残されました。

田中昭二さんの人柄

人柄について語られることはあまりない田中昭二さんですが、教え子の「いたずら」に対する言動が、偉ぶらない気さくな性格を現しているようです。

 

ある時、田中研究室の新入生歓迎パーティーを開くことになり、田中昭二さんが会場に入って来た時、示し合わせていた不届き者数名が一列に並んで一斉に煙草に火をつけました。

 

一瞬ぎょっとされましたが、すぐに平常心に戻ったようで、笑顔になって「バーカ、何やってんだ、お前ら」と、ひとこと言っただけだったとか。いたずらした方はすぐに顔と名前を覚えてもらえたようです。

田中昭二さん死去

東大退官後も精力的に研究に取り組んできた田中昭二さん。誰もが「まさか、この間まで元気だったのに」と驚くほど、突然に亡くなってしまわれた田中昭二さんでした。

突然の訃報

東京大学名誉教授の田中昭二さんが亡くなったのは、2011年11月11日のことでした。肺炎でした。享年84歳。葬儀は昭二さんの妻で主婦の投稿誌「わいふ」の編集長を務めた喜美子さんを喪主として執り行われ、後日お別れの会が開かれる予定だということが各新聞紙上で報道されました。

 

華々しい活躍を見せ、日本の先端の科学技術に深く関わった田中昭二さんは2011年の秋、静かに息を引き取りました。

 

当時の田中昭二さんは東京大名誉教授、国際超電導産業技術センター顧問として活躍されていました。亡くなるほんの少し前まで、東大工学部にしつらえられたオフィスに通い、国際会議などでは元気な姿を見せていたそうで、突然の訃報に周囲の人々は驚いたそうです。

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死後もなお

科学分野に大きな功績を残した田中昭二さんでしたが、教え子や研究を同じくする仲間のみなさんにも深い愛情をもって接しておられたようです。

恩返し

田中昭二さんの教え子だったある男性は、お別れ会の時にひとりの卒業生代表としてスピーチしたことで「せめてもの恩返しになった」と思ったそうです。田中昭二さんがいかに面倒見がよく、あたたかな指導者であったかをうかがわせるエピソードです。

追悼パネルセッション

亡くなった翌年・2012年の「日本応用物理学会超電導分科会」は、田中昭二さんの追悼プログラムとして、「高温超電導研究開発の25年と将来-発見前夜から超電導デバイス・線材開発まで」と題したシンポジウムを行いました。

 

また、「2013 VLSI TECHNOLOGY シンポジウムと CIRCUITS シンポジウム」においては、2013年度に限定の特別エグゼクティブパネルセッションが行われました。2011年に逝去した田中昭二さんを追悼するパネルセッションでした。

 

大きな学会で追悼のシンポジウムが催されたのは、田中昭二さんの功績の大きさを知るには十分な証なのではないでしょうか。

田中昭二賞

「田中昭二賞」は、物理工学優秀修士論文賞であり、東大大学院工学系研究科物理工学専攻において優れた修士論文研究を行った学生に贈られるものです。人名が冠されている賞は様々ありますが、そう簡単に設立されるものではありません。

 

田中昭二さんにはそれだけの指導力や研究に対する熱心さ、人徳があったものと思われます。

最後まで現役の科学者

田中昭二さんは最後まで科学者として情熱を持ち続けた科学者でした。東日本大震災を受けて、「これからは核融合を実現しなければエネルギー問題の将来はない」と、その第1歩として核融合研究の検討会を設立したいと熱心に話され、課題に取り組もうとする姿勢を見せていたようです。

リニアに夢を乗せて

田中昭二さんについてお伝えしました。リニアモーターカーなどに必要な技術に関わる超電導物質開発に積極的に取り組み、開発を一歩一歩進めた偉大な方でした。年齢とはいえ、残念ながらリニアの開業を見ることなく逝ってしまわれました。

 

リニアは2027年開業予定でしたが、少し伸びてしまうという報道がありました。とはいえ、リニアに乗るのを楽しみにしていらっしゃる方は多いようです。田中昭二さんもそのひとりなのではないでしょうか。