金澤 弘和さんの葬儀|世界の金澤と異名をとった男の最後とは?
公開日 : 2020/6/30
更新日 : 2020/9/8
世界のカナザワの異名で知られ、空手会に大きな貢献をした金澤弘和さん。2019年12月8日に、享年88歳で逝去されました。彼が自身の最後に選択した葬儀とは、いったいどんなものだったのでしょうか。この時期で詳しく解説を致します。
公開日 : 2020/6/30
更新日 : 2020/9/8
目次
金澤 弘和さんのプロフィール
金澤 弘和さんは全国空手道選手権大会において優勝をするなど、数々の偉業を成し遂げてきました。また海外にも渡り、空手を世界中に普及の基盤の確立に貢献をしました。空手会を盛り上げてくれた金澤 弘和さんのプロフィールをチェックしてみてください。
金澤 弘和さんの経歴
金澤 弘和さんは1931年(昭和6年)5月3日岩手県に生まれました。拓殖大学在籍時より松濤館流空手の開祖である船越義珍さんや、日本空手協会設立者で日本空手協会初代主席師範となる中山正敏さんに空手道を学びました。
18歳で空手強豪校の拓殖大学へ編入
金澤 弘和さんは幼少より武道を好んでいました。空手を学び強くなるために当時、空手強豪校として知られた拓殖大学へ編入をしました。在籍時には日本空手道の父と呼ばれた船越義珍さんと日本空手協会初代首席師範となる中山正敏さんに空手を学びます。
26歳で第1回全国空手道選手権大会に出場
1957年10月(昭和32年)、東京体育館にて日本で初めて開催された空手の全国大会である「第1回全国空手道選手権大会」(日本空手協会主催)の組み手の部で、右腕骨折をしながら蹴り技だけで優勝しました。
この大会をきっかけに「蹴りの金澤」と名を轟かせました。その後、1958年(昭和33年)に開催された第2回全国空手道選手権大会では組み手・型ともに制して。初の総合優勝を勝ち取りました。
さらに第3回全国空手道選手権大会において、大会組手2位・型2位入賞。第4回全国空手道選手権大会においては、型3位の入賞をしました。
29歳で海外に渡り空手の普及に努める
1960年(昭和35年)頃に、海外の空手普及の先陣を切ってハワイやヨーロッパ各国で空手の指導に当たります。未だ「空手とは何か?」を知らない海外の人々に向けて、空手の実力や武士道、日本武道の心技体を伝えるために渡ったとされています。
金澤 弘和さんのこの行動が、世界中に空手を普及させるきっかけとなったんです。
47歳で國際松濤館空手道連盟を設立
昭和53年に、所属していた日本空手協会を脱退し独立をしました。その後、國際松濤館空手道連盟を設立しました。晩年に至るまで、広く国内外で自ら理想としている調和の空手を指導し続け、普及発展に努めました。
また2002年(平成14年)に、民間非営利団体(NPO)法人国際武道院より、空手道名人十段位を授与され更なる空手普及に取り組みました。
様々な書籍を出版している
金澤弘和さんは、さまざまな書籍を出版しています。主要な著書に「空手型全集(上・下)」「空手組手全集」、「空手6週間で強くなる」「我が空手人生」などがあります。
その他にDVDもリリースしており、「空手教則(初級編・中級編・上級編)」「半月で錬る~空手の呼吸力~」「空手武道ライブ」などの映像作品があります。
金澤 弘和さんのエピソードについて
人生の全てを空手に注ぎ込んできた金澤弘和さん。空手を通じてさまざまなエピソードを残しています。ここでは金澤弘和さんの逸話・伝説について触れていきます。
空手に取り組んだきっかけとは
金澤弘和さんが、空手に取り組んだきっかけは幼少時の頃にあります。小学生のときに、身に覚えがない容疑で後輩の父が金澤さんのことを猛烈に叩きました。
金澤弘和さんは、この事件を機に視力や聴力が落ちる生涯を患ってしまいました。後輩の父に復讐をしたいがために、柔術やボクシングを体得し、最後には空手に辿り着きます。このことがきっかけに、空手の道に足を踏み入れました。
空手以外の格闘術にも精通している
金澤弘和さんは、空手以外にもさまざまなジャンルの格闘術を体得しています。幼少期は柔術やボクシング、合気道や太極拳も学びました。
空手家は空手のみを追求する方がほとんどの中、さまざまな格闘スタイルに挑戦していきました。本人は空手を基盤にして、他の優れたところを取り入れることの重要性を信じた行動でした。
しかし、他の空手家からは奇異の目で見られていたそうです。
漫画のモデルにもなる
金澤弘和さんは、格闘漫画のモデルになることも度々ありました。漫画「拳児」に登場する松濤館流空手家・高山双八のモデルです。また板垣恵介さんの人気漫画「餓狼伝」に登場する伝統派空手家・神山徹のモデルとしても登場しています。
その他のエピソードとして、中山正敏の道場・抱一龕では1970年代にはイランのパーレビ朝の秘密警察であるサヴァックからの訓練生も受け入れていたようで、金澤弘和さんが実際の指導に当たっていたという逸話もあります。
金澤 弘和さんの葬儀について
國際松濤館空手道連盟宗家の最高師範である金澤弘和さんは、2019年12月7日に88歳で逝去されました。同連盟ホームページが9日に発表し、葬儀は故人の遺志により家族・近親者にて執り行うことを決定しました。お別れ会に関しては後に開くことを発表しています。
金澤弘和が選んだ家族葬とは
金澤弘和さんは、家族・近親者のみで執り行う家族葬を選択しました。家族葬は、近年注目されている小規模の葬儀スタイルです。
家族葬は、家族や近しい親族、仲の良い友人だけが参列する小規模の葬儀スタイルのことです。家族葬を行うメリットは、少ない人数でゆっくりとお別れができるところです。
家族葬は参列者が親族や近しい友人や知人に限られているため、義理や付き合いだけの参列者に気を使わずに焼香の時間や順番に煩わされることもありません。そのため、心の通った近親者といった少ない人数でゆっくり故人とお別れできるメリットがあります。
金澤弘和さんは、國際松濤館空手道連盟宗家の最高師範として精力的に活動をしてきました。最後には家族との最後の時間を、ゆっくりと過ごしたいと思っていたのかもしれません。
金澤弘和さんのお別れ会について
金澤弘和のお別れ会は、令和2年3月28日(土)16:00から東京都青山葬儀所にて執り行われる予定でした。しかし新型コロナウイルスが原因で延期となりました。日程に関しては未定であるため、國際松濤館空手道連盟のホームページにて随時更新を待つ状態です。
お別れ会とは?
お別れ会は、葬儀の後にある程度日にちを開けてから任意の場所で開催する故人との送別会です。
一般的にご遺族や親族のみで小規模の葬儀を行った後に行うものですが、友人や会社関係者、著名人であればファンなどの一般参列者を招待して行います。葬儀の場合は、宗教ごとの特色が強く表れ、形式も宗教ごとに決まっています。
しかしお別れ会に関しては、故人を偲ぶために自由な形式で開催される式です。お別れ会に似た形式で行われるのは告別式です。告別式はお別れ会と同じく故人を偲ぶ目的で行いますが、宗教上の形式を重視しながら行われることが多いです。
お別れ会は一般的に宗教上の形式とは分離しているので、告別式尾はこの部分が大きく違いがあります。大げさに言うと故人がお肉が好きだったなら、お別れ会の会食でステーキを出しても大丈夫です。
また家族葬の割合が増えてきてはいますが、参列者数が30人以上の葬儀を選ぶ方がまだまだ全体の約4割以上を占めています。多くの参列者をもてなす必要がある葬儀の場では、落ち着いて故人を偲ぶことも難しいのはないでしょうか。
このような場合に、一般葬のあとにお別れ会を開催するケースもあります。空手界のカリスマでもある金澤弘和さんの場合は、参列者が沢山いる可能性も出てくるでしょう。
お別れ会を行うタイミングと場所は?
金澤弘和さんのお別れ会は、新型コロナウイルスが原因で現時点で執り行われていません。一般的には葬式が終了して、一段落がついた14日後から四十九日の法要までに開催する方が多いとされています。
このことを考えると、金澤弘和さんのお別れ会は大幅に遅れていることが分かります。しかしお別れ会に関しては、決まった期間に行わなければいけないという訳ではありません。
ただし、葬式からあまりにも期間が開きすぎた場合には「故人を悼む会」としての面が強くなります。そのため、お別れ会は遅くとも一周忌に合わせる形で行うのが一般的です。もしかすると、金澤弘和さんのお別れ会も、一周忌のタイミングで行われるかもしれません。
お別れ会は主催する方の希望によって行う場所を自由に選択することができます。金澤弘和さんの場合は、東京都青山葬儀所で行われる予定でした。東京都青山葬儀所は最大収容450席と規模が大きめです。
著名人の方が使われることが多い葬儀所なので、金澤弘和さんのお別れ会もかなりの規模で行われると想定できます。
お別れ会に参列予定の場合はマナーを守る
お別れ会は案内状などで指定がない場合は、平服で参加するのが一般的とされています。しかし、平服とはいえあまりにもカジュアルな服装は避けるようにしましょう。
金澤弘和さんのお別れ会に関しては、現時点で発表されている服装が道場の関係者の場合は、連盟が指定しているブレザー・ネクタイ(エンジ色)または平服にて来場するように指定されています。
参列する予定の方は、しっかりと指定された服装で来場するようにしましょう。
生涯を空手に捧げた本物の空手家だった
金澤弘和さんは、さまざまな武術を体験し空手に取り入れました。他の空手家から批判を受けても空手界のために動いてきた金澤弘和さん。そんな金澤弘和さんが亡くなられたことは、非常に残念です。心よりご冥福をお祈りを申し上げます。
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