松本暁司さんの葬儀|「鬼松」と恐れられた高校サッカーの名監督
公開日 : 2020/7/3
更新日 : 2020/9/10
多くのサッカー選手を育て上げてきた松本暁司さんは、2019年9月2日心臓疾患のため84歳でこの世を去りました。厳しい指導者としてマンガのモデルにもなった松本暁司さんは、どのような人生を歩み、最期を迎えたのかをご紹介します。
公開日 : 2020/7/3
更新日 : 2020/9/10
目次
松本暁司さんのプロフィール
松本暁司さんは現役時代、GKとして日本代表にも選ばれるほどの実力のある選手でした。現役引退後は埼玉県の高校教員となり、指導者として浦和南高校のサッカー部を強豪に育て上げ、創部からわずか6年目の1969年度には「全国高校選手権」「全国高校総体」「国民体育大会」を制し、史上初めて高校3冠を成し遂げた名監督だった松本暁司さんが歩んだ人生とはどのようなものだったのかをご紹介します。
大学卒業後日本代表として国際Aマッチに出場
松本暁司さんは、1934年8月13日埼玉県浦和市(現さいたま市)に誕生しました。埼玉大学を卒業後、埼玉教育委員会に採用となり地方公務員となります。教育委員会時代には、埼玉教員サッカークラブ(現、さいたまSC)、浦和クラブに所属し、チームではGKだけでなくフォワードとしてもプレーし、1967年の埼玉国体では選手として教員の部で優勝に貢献。日本代表のゴールキーパーとして国際Aマッチに1試合出場しました。
埼玉市立浦和南高等学校サッカー部監督に就任
現役引退後の1963年には、埼玉市立浦和南高等学校創立と同時にサッカー部も創部され、監督に就任。その年から32年間もの長い間松本暁司さんはサッカー部の監督を務め、多く指導者としての実績を残しました。
高校サッカー史上初の三冠を獲得
松本暁司さんが監督に就任して6年目、浦和南高校は「高校総体」「全国高校選手権」「高校総体」において高校サッカー史上初の三冠を獲得します。 松本暁司さんの厳しい指導の下、圧倒的な強さで前人未到の偉業を果たし、県立浦和高校、県立浦和西高校、浦和市立高校(現在のさいたま市立浦和高校)につづく盟主誕生を強く印象づけることとなりました。 当時、高校サッカー界では全国大会で勝つよりも埼玉予選を勝ち抜く方が難しいと言われていたほど、埼玉県においてはサッカーがとても盛んで強豪でした。
マンガ「赤き血のイレブン」のモデルとなる
新生高校のサッカー部が監督のスパルタ教育のもと血と汗と涙の試練を積み重ね、全国大会で優勝するまでを感動的に描いた漫画「赤き血のイレブン」が『週刊少年キング』の1970年2号から1971年21号まで連載されました。 この漫画は、浦和南高校が創部わずか6年目にして全国優勝を成し遂げたという逸話を元に描かれたもので、主人公の「玉井真吾」は元日本代表の永井良和選手、登場人物である「松木天平」は松本暁司さんがモデルとなったというのは、サッカー界では有名な話です。
定年後は埼玉県のサッカーに全力を注いだ
浦和南高校監督時代から長年、埼玉県サッカー協会にも関わり「浦和レッドダイヤモンズ」の創設や埼玉スタジアムの建設などにも多大なる尽力をつくした松本暁司さん。 1995年3月に浦和南高校を退職後は、埼玉県サッカー協会会長に就任。その後は埼玉県フットサル連盟会長を歴任し、上の立場から本格的に埼玉県のサッカー界の発展のためにさらなる貢献をしました。
松本暁司さんのサッカー指導法とは?
「日本一の練習をしなければそのための強い精神は養えない」という信念のもとに、「鬼松」と呼ばれるほどの厳しい練習を選手たちに課し、浦和南高校を率いて高校サッカー人気の礎を築いた松本暁司さんですが、創立して間もない浦和南高校を強豪校にまで育て上げた指導法はどのようなものだったのかをご紹介します。
「スピード」と「個の才能」
松本暁司さんは、まず第一にスピードが大事だということを指導しました。走りとか判断の「速さ」を伴ったテクニックを身につけさせなくては、世界に太刀打ちできるプレイヤーは育成できないという考えたからです。 そして次に、「個の才能」をチーム作りの中で見極め、育てていくノウハウをとても重視しました。埼玉浦和勢も含めて、日本の高校サッカー全体には「スピード」と「個の才能」その二つの育成ポイントが決定的に不足していたと松本暁司さんは感じたうえで、浦和南高校の選手たちを指導をしました。
スカウトはしない
サッカーの強豪校ともなると、強い選手をスカウトするというのが当たり前のように思いますが、松本暁司さんは以外にもスカウティングは一切やりませんでした。スカウトされた選手には甘えが出たり、練習の苦しさにも耐えられないと当時は、浦和南高校でサッカーをやりたい、赤のユニフォームを着たい、そう志願して入学してきたメンバーだけで全国制覇を目指しました。
日本一厳しい練習だった
松本暁司さんの当時の指導や練習内容は、日本一厳しいとされていました。練習中に水を飲んではいけないというのが当たり前の時代だったので、夏のインターバルトレーニングの時などは、ユニフォームの胸を引きちぎるように苦しがっている選手もいたそうです。
実は「鬼松」と言われるのがイヤだった
「鬼松」と呼ばれ、とても厳しい監督として有名だった松本暁司さんですが、実は「鬼松」と呼ばれるのが嫌だったそうです。 いつも怖い顔をしていたのは、相手のベンチに威圧感を与えたかったから」と生前、松本暁司は語っていました。
松本暁司さんが育てた選手たち
松本暁司さんが、サッカーを教えた選手たちは約1200人近くに及びます。その中には、元日本代表の永井良和さんや現日本サッカー協会会長の田嶋幸三さん、現在日本代表のコーチである大熊清さんなど、数多くの有名選手がいます。 特に永井良和さんについては、入部してきた時にプレーを見て「これで全国で優勝できる」と松本暁司さんは直感したとのことです。「彼のように足元にボールが吸い付くようなドリブルができるダッシュと技術をあわせ持った選手はいまだに出てきません。」と鬼松でも、褒めたたえるほどの才能ある選手でした。
松本暁司さんの死因は心疾患だった
松本暁司さんは、心臓疾患のためさいたま市内の病院で亡くなりました。心臓疾患には、「狭心症」や「心筋梗塞」など様々な種類の病気がありますが、松本暁司さんがどのような病気だったのか、また以前から闘病生活を送っていたのかなど詳しいことは公開されていません。
松本暁司さんの葬儀について
数多くの名選手を育て上げ、教え子たちに慕われた「鬼松」こと松本暁司さんの葬儀はどのようなものだったのか、ご紹介していきます。
森田洋正(いずみ高教諭)が葬儀委員長を務めた
松本暁司さんの葬儀の喪主は長女の宍戸初穂さんが務めましたが、葬儀の責任者である葬儀委員長は1975年と1976年度の全国高校選手権2連覇をした時の教え子でもある埼玉県立いずみ高等学校の元教諭・森田洋正さんが務めました。 恩師の葬儀を取り仕切った森田洋正さんは「恩師のサッカーへの情熱がよみがえるような華やかな場にしたい」と考え、名将といわれた松本暁司さんの監督現役時代を振り返り、思い出話に華を咲かせるような温かい葬儀となりました。
祭壇の横にはトロフィーなどが飾られ華やかな葬儀だった
松本暁司さんの葬儀・告別式には、大勢の教え子やサッカー関係者ら弔問、会葬者が引きも切らずに参列し、たくさんの方から届けられたお花に囲まれ、言葉では言い尽くせない松本暁司さんの偉大さを映し出していました。 松本暁司さんの祭壇横には数々の「トロフィー」「盾」「優勝カップ」そして「栄光旗」などが飾られ、またお見送りの際に松本暁司さんに見えるように外には「熱き血のイレブン」と書かれた巨大横断幕が飾られるなど、偉大なる恩師のサッカーへの情熱がよみがえるような華やかなものとなりました。
葬儀当日、埼玉県内のサッカー試合会場で黙祷
松本暁司さんの葬儀当日、埼玉県では「高円宮杯JFAU-18サッカーリーグ2019埼玉S1リーグ」が開催されていました。 この試合には松本暁司さんがかつて監督を務めた浦和南高校をはじめ、埼玉県内の高校が出場していました。9時半キックオフの西武台会場では、試合開始前に黙祷が行われ、偉大なる指導者である松本暁司さんを偲びました。 また浦和南高校の現役選手たちは腕に喪章をつけて試合に出場し、決勝戦前には松本暁司さんへ「赤き血のイレブン」を全員で合唱し試合に臨みました。その後戦った決勝では、市立浦和に3-1で勝ち見事2年連続の優勝を果たし、松本暁司さんを「優勝」で見送ることができました。
松本暁司さんを偲ぶ多数のコメント
日本サッカー界の名将である松本暁司さんが亡くなられたことにより、多くのサッカー関係者や教え子たちから追悼のコメントが寄せられました。 浦和南高校出身で、松本暁司さんの熱い指導を受けた現日本サッカー協会の田島幸三会長は、「先生のサッカーに対する情熱から多くのことを学んだ。感謝の気持ちを言葉で言いつくすことはできない」とコメントしました。 また同じく松本暁司さんの教え子で、浦和南高校の野崎正治監督は「突然すぎて色々なことを思い出し眠れなかった」と語ったうえで「サッカーに関してはとても厳しい人で、褒められたことなんてなかった」と恩師の厳しさととの別れを惜しみました。
松本暁司さんは「埼玉県サッカーの父」でした
松本暁司さんは、浦和南高校の監督として数多くのサッカー選手たちの育成をしてきました。また監督時代から、埼玉県のサッカーの発展のために尽力をつくし続けました。 浦和南高校を卒業しそれぞれの道へ進んでもなお、教え子たちから慕われ続けている松本暁司さんは、とても偉大な指導者でした。心からご冥福をお祈りいたします。
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