幡谷祐一さんの葬儀 | 茨城県のドンと呼ばれた大物実業家の最期は?

公開日 : 2020/6/25

更新日 : 2020/9/10

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茨城トヨペットの社長や商工信用組合の理事を務め、実業家として成功し茨城のドンとまで呼ばれるようになった幡谷祐一さん。しかし86歳で博士号を取得し日本最高齢記録を樹立するなど勉強熱心な方でもありました。そんな幡谷さんの最期はどのような様子だったのでしょうか。

公開日 : 2020/6/25

更新日 : 2020/9/10

目次

幡谷祐一さんのプロフィール

茨城県で活躍した実業家、幡谷祐一さん。その盛大なお別れの会を見て行く前に、幡谷さんの経歴を知っておきましょう。

茨城トヨペットを創業し、信用組合のトップを務める

幡谷祐一さんは1923年に茨城県小美玉市で生まれました。父の幡谷仙三郎さんは醤油製造業を営み、茨城県信用組合を創業し県議や町長も務めていました。幡谷さんは1943年に学徒出陣で出征しましたが、幸いにも生き延びることができました。

 

幡谷さんは1946年に日本大学法文学部を卒業し、家業を継いだ後に、1956年に茨城トヨペットを買収して社長に就任しました。また1966年には父を継いで茨城県商工信用組合理事に就任しています。そして1998年には全国信用協同組合連合会会長に就任し、全国の信用組合を統括する地位についています。

 

また幡谷さんは漢詩が趣味で、茨城県漢詩連 盟を創立し「水車-平成自由詩」などの漢詩集を出版しています。漢詩の評価は高いとは言えませんが、趣味にも全力で取り組んだ幡谷さんの人柄がしのばれます。

86歳で博士号を取得し日本最高齢記録を樹立

生涯学習という言葉が叫ばれて久しいですが、幡谷祐一さんはその点において偉大な業績を上げています。幡谷さんはなんと83歳で筑波大学大学院に入学したのです。そして廃食用油をディーゼルエンジンに利用する研究を行い、86歳で生命環境科学研究科博士課程を修了しました。

 

86歳での博士号取得は当時の日本記録でした。実業家として成功しながら、老いて大学院に入り卒業する幡谷さんは凄いパワーと熱意を持っていたといえるでしょう。2011年には水戸市の道徳の教科書に幡谷さんの半世記が記載されました。存命中に扱われるのは異例なことです。

 

さらに幡谷さんはディーゼルエンジンの特許や「HATAYA式車両用座席」という実用新案も取得し、この資金で財団法人幡谷教育振興財団を設立しています。この財団から理科教育で成果を挙げた小学校に助成金を贈っています。

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文化や芸術の分野でも活躍

幡谷祐一さんは様々な分野で活躍されています。「水戸は日本一の街」という歌の作詞を行い、水戸にゆかりのある池辺晋一郎さんに作曲を依頼して、2004年に水戸市に曲を寄贈しています。

 

2014年には水戸の京成百貨店で3回目の自らの色紙を販売するチャリティー展示会「壽色紙展」を開催しています。この席で幡谷さんは売上は全て寄付することを表明し、90歳の自分でもやれているので皆さんも健康に注意して長生きして欲しいと述べています。

 

チャリティーに出席した橋本晶茨城県知事は幡谷さんのチャレンジ精神を讃えました。会場には1100点もの幡谷さん直筆の色紙が展示され、来場者と共に写真撮影に応じるなど、幡谷さんの気さくな人柄を伺うことが出来ました。

学校で公演を行い学ぶことの大切さを語る

色紙のチャリティーは幡谷さんのライフワークとなっていて、2015年には4回目のチャリティー展「百歳正夢色紙展」が開かれています。この会で展示した色紙には「百歳福寿」といった長寿をテーマにした言葉が書かれ、インタビューでは91歳になった幡谷さんが100歳まで生きる意気込みを語っています。

 

幡谷さんは残念ながら100歳までは生きられませんでしたが、生きる強い意志を持つことの大切さを学ぶことが出来ますね。また幡谷さんは教育事業にも熱心で、学校で多くの講演を行っています。

 

2014年には県立緑岡高等学校で講演し、300名の学生や教職員、県教育委員会の方々が出席しました。幡谷さんは生涯、学び続けることの大切さを語り掛け、生徒代表はそれぞれの人に大きな可能性があることを実感し、勉強になりましたと謝辞を述べました。

 

幡谷祐一さんの最期

茨城県で様々な活動をして多くの人から敬愛された幡谷祐一さん。その最期はどのような様子だったのでしょうか。

94歳で老衰のため亡くなる

幡谷祐一さんは2018年1月11日に94歳で老衰のため、亡くなりました。幡谷さんは100歳を目指していたので無念だったと思われますが、それでも大往生と言えるでしょう。

 

幡谷さんは80歳を過ぎても元気でいられる秘訣を聞かれて、夜の付き合いを一切しない事と答えています。幡谷さんのような立場の人としては意外に思われるかもしれませんが、それが長寿の秘訣だったことは間違いありません。

 

幡谷さんは生前に旭日中綬章や紺綬褒章を受章していて、死後は従五位に叙せられました。それ以外にも警視総監章や茨城県の特別功績章など数々の賞を受けています。幡谷さんの功績の大きさを物語っていると言えます。

 

幡谷さんの葬儀は1月17日に近親者のみで行われました。喪主は長男の定俊さんです。しかし茨城のドンと言われた幡谷さんの最期がそれで終わるはずはありません。その後に、とても盛大なお別れ会が開かれたのです。

幡谷祐一さんのお別れの会には3000人もの方々が訪れた

茨城のドンと言われた幡谷祐一さんのお別れの会はどのように行われたのでしょうか。その功績に相応しく、とても大規模で、盛大であったようですね。

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3000人もの方々が幡谷祐一さんを見送った

幡谷祐一さんのお別れの会は2018年2月15日に水戸プラザホテルで開かれました。会場には遺族や知人だけでなく、県内外の政財界の要人ら、なんと3,000人もの方々が集まりました。著名人のお別れの会でもこれほどの数が集まることは少ないでしょう。

 

会場には青と白の花で飾られた祭壇が設置され、幡谷さんの大きな遺影と数々の賞状が掲げられました。参加者は一人一人、祭壇の前の白いテーブルに一輪ずつ白い花を捧げ、一礼して手を合わせて幡谷さんのご冥福を祈りました。

 

全員が献花を終えた後、皆で黙とうを捧げました。幡谷さんもこれだけ多くの人に見送られて、天国で満足していることと思われます。

幡谷祐一さんにまつわる方々が弔辞を読み上げた

全員の黙とうの後、まず県信用組合の渡辺武理事長が弔辞を読み上げました。幡谷祐一さんの全ての立ち振る舞いや言葉の数々が自分たちの教訓であり道しるべになっていること、今後は幡谷グループの社員一同が一致団結して各社の発展に尽力することを誓うと述べました。

 

茨城県選出の衆議院議員で防衛庁長官や大臣を歴任した額賀福志郎さんは、幡谷さんの死は日本にとっても茨城にとっても大きな損失であり、巨星 落つという思いにかられているのは自分だけではないはず、皆さんには今後も幡谷さんの経営理念を守り抜いてほしいと語りました。

 

トヨタ自動車の豊田章男社長は、トヨタを支え育ててくれた恩人を失い、この悲しみは言葉で言い表しようがない、今後の茨城トヨペットの成長を確信していて、トヨタ自動車としても協力を惜しまないことをご霊前に申し上げると誓いました。

自らが販売する車の構造まで知り尽くした幡谷祐一さん

茨城県選出の参議院議員の岡田広さんは、生涯学を忘れず死ぬまで現役を貫いた幡谷祐一さんを讃え、常に理想を持って実現をしてきた幡谷さんに多くの事を学ばせていただいたと、その死を惜しみました。

 

茨城トヨペットの元社員の自動車整備士の堀内修さんは、幡谷さんにキャブレータの故障の報告をしてもそれだけでは納得せず、自らが部品一つ一つを確認していた姿を語り、幡谷さんはただ車の販売店の経営者と言うだけでなく、車のメカニックな部分にまで惚れ込んでいた様子を伝えました。

 

83歳で大学院に入ってエンジンの研究をするほどだった幡谷さんは、自分が売る自動車の仕組みまで理解しないと気が済まなかったのでしょう。老齢にしてのこのパワーと熱意は、皆が見習うべき姿勢と言えますね。

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来場した多くの方々が幡谷祐一さんを偲んだ

永田恭介筑波大学長は、幡谷さんは企業人でありながら教育の振興に大きく貢献された、86歳で博士号を取得した幡谷さんは学生や教職員たちにとって手本だったとその功績を讃えました。

 

水戸京成百貨店の西村寛会長は、かつて幡谷さんから正直で誠実に、コツコツやるようにというアドバイスを頂き、今でもそれが教訓となっているとその死を惜しみました。

 

幡谷祐一さんの長男で喪主を務めた幡谷定俊さんは、父は儒学者の佐藤一斎の言葉「老いて学べば、死して朽ちず」を実践し、挑戦し続けていましたと語り、来場した皆さんに謝辞を述べました。

幡谷祐一さんの記念碑が建立された

幡谷祐一さんが亡くなられた翌年の2019年5月12日に、幡谷さんの茨城県信用組合理事長就任から30周年を記念して、記念碑が建立され、除幕式が行われました。

 

記念碑は高さ5.7メートルの幡谷さんの姿の銅像で、大学の学帽に学衣服をまとっています。これは老いてもなお学んだ幡谷さんの功績を讃えたものです。

 

除幕式には長男の幡谷定俊さん、橋本昌前茨城県知事、渡辺武茨城県信用組合理事長といった多くの方々が訪れました。除幕式では鹿島神宮の鹿島則良宮司によりお祓いとお清めが行われ、巫女による舞が披露されました。

 

このような立派な記念碑が作られたことで、天国の幡谷さんはきっと誇らしげに思っていることでしょう。

幡谷祐一さんは実業家としてだけでなく研究者、教育者としても活躍した

茨城県の経済界、教育界に多大な貢献をした幡谷祐一さんの経歴とその最期を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。幡谷さんは経営者として成功しただけでなく、老いてなお大学で学び、学校を援助するなど教育を重視していました。我々も幡谷さんを見習って、生涯ずっと学び続けて行きたいものですね。