純アリスさんの葬儀|アイドルのイメージを守り続けた最期とは
公開日 : 2020/7/18
更新日 : 2020/9/9
「ママはライバル」などのドラマで知られる女優・モデルとして活躍した純アリスさんが2019年7月12日にお亡くなりになりました。死因は癌でした。ハーフのモデルとして活躍し、その抜群のルックスで一世を風靡した純アリスさんの葬儀と経歴についてお話していきます。
公開日 : 2020/7/18
更新日 : 2020/9/9
目次
純アリスさんの葬儀
2019年7月12日、都内の病院で純アリスさんがお亡くなりになりました。純アリスさんはモデル・女優として活躍された方です。代表作に「ママはライバル」「哀しみのキッチン」などがあります。66歳という若さでした。
純アリスさんの死は、純アリスさんの夫であり自身も俳優である三浦浩一さんがTwitter上で発表されました。
「謹んでご報告させて頂きます。病気療養中のところ、7月12日、永眠致しました。3人の子供たち、そして周りで支えてくださった皆さんのおかげで、幸福な最期だったと思います」と綴りました。
純アリスさんは癌であると診断を受けた後も元気に気丈に振る舞っていましたが、なくなる前の数ヶ月は体力が落ちていた様子で、子供に看取られながら最期を迎えました。
純アリスさんの葬儀は遺族と知人で済ませていて、お別れ会などは実施されていません。静かに、しめやかに葬儀は営まれたようです。モデルとして一世を風靡した純アリスさんは66歳でこの世から旅立たれました。
アイドルのイメージを守り続けた最期
今アリスという名前は広瀬アリスさんのイメージが強いですが、広瀬さんの登場前は、アリスといえば純アリスさんでした。
純アリスさんは1953年生まれで、1972年、当時19歳だったアリスさんは「ママはライバル」に出演し、一気にスターダムに上り詰めました。ハーフであるが故の日本人離れした抜群のルックス、コケティッシュな演技で大人気の女優さんになりました。
その後「東京キッドブラザーズ」というミュージカル劇団に所属し、活躍の場を広げました。一線で活躍を続けましたが結婚、出産を経て最近はほとんど引退に近い状態になっていました。
純アリスさんの死因は癌ですが、何の癌なのか、どれくらいの期間の癌だったのかなど詳しい情報は明かされていません。
癌というのは日本人の二人に一人がなると言われているくらいで、みんなが戦っている病気です。しかし癌であるというだけで遺伝するんじゃないかとか、差別的な目を向ける方もいます。そのような理由から癌であることを明かせない方も多くいます。
純アリスさんは死の詳細を明らかにしませんでしたが、それはアイドルとして君臨した自分のイメージを、自分を応援してくれていたファンの中に住み続ける純アリスの姿を壊したくなかったからではないでしょうか。
永遠のアイドルのまま、純アリスさんは天国へと逝かれました。
純アリスさんの経歴
それではここからは、純アリスさんの基本的なデータ、経歴についてお話していきます。純アリスさんは、1953年6月20日に広島県の呉市で生まれます。
本名は三浦雅璃子さんといいます(旧姓久保雅璃子)。父親がニュージーランド人、母親が日本人で、父親が駐留していた時に母親と出会い、純アリスさんが生まれました。
2歳の時に両親が離婚し、父親はニュージーランドに帰国してしまい、母親も上京をして、彼女は兵庫県神戸市にある祖母の家で育ちました。
つまり純アリスさんは家庭というものを知らずに育ったのです。国籍はニュージーランドで、当時は特にハーフという概念も浸透していないので苦労が多かったようです。
スカウトされてデビュー
彼女に転機が訪れます。東京音楽大学附属高等学校に在学中、スカウトを受けてフアッションモデルとしてデビューしました。この当時の芸名は「津々見マリ」でした。
そして二度目の転機は1972年なんと言ってもドラマ「ママはライバル」です。詳しくは後述しますがこのドラマでの姿が人気を博し、モデルから大人気の女優へと変貌を遂げました。
また、このドラマの時に、清純の純と「不思議の国のアリス」から名前をもじって「純アリス」という芸名が誕生しました。当時彼女は19歳です。
21歳の時にミュージカル劇団「東京キッドブラザーズ」に入団しました。ここでも活躍の場を広げ、ヒロインとして爆発的な人気を得ました。CM、歌手デビュー、男性誌のグラビアなど、その勢いは天井知らずでした。
1980年、27歳の時に同じ東京キッドブラザーズの劇団員であった三浦浩一さんと結婚しました。その後は家庭に入り、時折CM出演するも、ほとんど芸能界は引退した形となりました。
三人の子に恵まれ、立派な子に育てあげました。そして2019年に鬼籍に入られました。
俳優一家である家族
純アリスさんの家庭は俳優一家として知られています。まず、結婚した相手は同じ劇団員であり、俳優の三浦浩一さんです。
三浦浩一さんは東京キッドブラザーズで活躍された後、「太陽にほえろ」シリーズや「水戸黄門」シリーズの脇役として存在感のある演技を見せ、サスペンスドラマ、刑事ドラマを中心に活躍されています。映画「魔女の宅急便」では声優デビューも果たしました。
最近では映画「感染列島」や「愛しの座敷わらし」などに出演しており、精力的な活動が見られます。二人の次男は三浦孝太さんです。彼も俳優です。
三浦孝太さんは高校時代のアメリカ研修で演劇の世界を志し、卒業後は殺陣の教室に通うなど、役者になる準備を進めました。テレビドラマへの出演も果たしていますが、活動の中心は舞台であり、舞台俳優と呼ぶにふさわしい活躍を見せています。
近年は歌手活動に力を入れており、自身で作詞・作曲をして積極的にライブイベントも行っています。
二人の三男は、三浦涼介さんです。彼は小学校6年生の時にオーデションを受けて芸能界デビューをしました。15歳の時に映画「おぎゃあ」でデビューを果たします。また若手俳優ユニットPureBoysの一員として歌手活動も行いました。
転機が訪れたのは2010年で、「仮面ライダーオーズ」のアンク役として、知名度が一気に上昇しました。その後もテレビドラマ、映画、舞台など幅広いステージで活躍を続けています。
家族でCM出演
純アリスさんは、夫の三浦浩一さんそして息子さん三人と共にファミリーでCMに出演したことがあります。
大手の化学メーカの石鹸のCMです。純アリスさんは料理を作って息子たちに差し出しますが、「手を洗った?」とききます。洗っていない子がいたので石鹸で手を洗うように促し、夫の三浦浩一さんも登場して五人で食卓を囲むというCMです。
純アリスさんはテレビに登場するのがとても久しぶりであり、当時話題を呼んだムービーでした。
ママはライバル
純アリスさんが一躍有名になったのは「ママはライバル」というテレビドラマでの活躍によってです。「ママはライバル」についてもご説明します。
このドラマは佐々木守さんが作、忠津陽子さんが画の日本の漫画作品でありそれを原作としたものです。集英社の「週刊マーガレット」にて連載されていました。
「ママはライバル」は1972年の10月から1973年の9月まで約一年間にわたって放送されました。TBS系列のドラマです。
岡崎友紀さんのライトコメディシリーズというものが当時あり、その第三弾として放映されたのがこの「ママはライバル」です。つまり主演は岡崎友紀さんで、そのライバル役を演じたのが純アリスさんだったというわけです。
このドラマのあらすじをご紹介します。飛行機のパイロットである父と二人暮らしの岡崎友紀さん演じるジュンが主人公です。(テレビ版では純アリスさんと名前がかぶるためツバサという名前になりました。)
ジュンの学校に純アリスさん演じるマリという転校生がやってきます。マリは何をやっても上手でジュンは勝てず、ライバル意識を燃やします。
そんなある日父親が再婚をしました。お相手はなんとマリです。ライバル意識を燃やすマリとジュンの三人同居生活が始まります。
ライバル 岡崎友紀さん
「ママはライバル」で純アリスさんとダブル主演をした岡崎友紀さんは、国民的な知名度を獲得した女優さんでした。
純アリスさんと出演した「ママはライバル」は、岡崎友紀さんが主演のライトコメディシリーズの第三弾の作品であり、このドラマシリーズは四年間も続き、テレビドラマの歴史に名を残す高視聴率番組となりました。
なんでもできる才色兼備のマリ役純アリスさんと、ドジっ子の役を演じる愛らしいジュン。どちらも甲乙つけがたいほどの高い人気を誇っていました。
純アリスさんの死因と闘病生活
夫である三浦浩一さんのツイッターより以下の通り、純アリスさんの逝去が公表されました。
「謹んでご報告させて頂きます。モデル、歌手、そして東京キッドブラザースの看板女優として活躍した純アリスこと三浦雅璃子は、病気療養中のところ、7月12日、永眠致しました。3人の子供たち、そして周りで支えて下さった皆さんのお陰で、幸福な最期だったと思います。」
死因はガンでした。ただ具体的な部位については明らかにされていません。またガンと診断が確定した時期も闘病生活の期間も明らかにされていません。
一時期は快方に向かっていたという噂もあるそうですが、三浦さんのツイート通り、最後は家族に見守られて幸せな最期を迎えられたことでしょう。
純アリスさんの死とアイドル
モデル・女優として活躍された純アリスさんが2019年、お亡くなりになりました。小さい頃の離婚で家庭を知らずに育った彼女ですが、ハーフとして抜群のルックスを誇り、芸能界では華々しい活躍を見せました。
大人気ドラマ「ママはライバル」や歌手活動、CM出演など活躍の場を広げ、日本国民のアイドルとして人気を博しました。
東京キッドブラザーズで演劇の世界にも挑戦し、結婚もしました。子供に恵まれてからは家庭に入り、立派な息子さんたちを育てました。
66歳という若すぎる死でしたが、夫の三浦浩一さんによれば、子供三人に見取られて、幸せな最期だったといいます。死も葬儀も詳細を明かさないまま、アイドルとしてのイメージを守って旅立たれました。
純アリスさんに、心からご冥福をお祈りいたします。
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