田口光久さんの葬儀|「メーランおやじ」こと元サッカー日本代表GK
公開日 : 2020/6/28
更新日 : 2020/9/10
サッカーの元日本代表のゴールキーパーだった田口光久さんは、呼吸不全で67歳という若さで亡くなりました。引退後はバラエティー番組などにも出演し、サッカーファン以外の人たちからも親しまれた田口光久さんはどのような人生だったのかをご紹介します。
公開日 : 2020/6/28
更新日 : 2020/9/10
目次
田口光久さんの経歴
元日本代表のゴールキーパーとして活躍し、引退後は指導者として多くのサッカー選手を育てた一方、バラエティー番組へも出演し人柄の良さと、ポッチャリキャラで人気を博しました。サッカーファンだけではなく、多くのファンに親しまれた田中光久さんはどのような人生を歩んだのかご紹介していきましょう。
サッカーとの出会い
田口光久さんは、1955年2月14日に秋田県河辺郡河辺町(現秋田市河辺)に誕生しました。 サッカーと出会ったのは、幼い頃近所に住んでいた少し年上の友達に誘われて彼のシュート練習にGKとして付き合わされたことでした。田口光久さんは生前、サッカーとの出会いについて「そのまま本職になった」と語っていました。
高校卒業後、三菱重工サッカー部(現浦和レッドダイヤモンズ)に入部
秋田県秋田市出身の田口光久さんは、地元のサッカーの名門校である秋田市立秋田商業高等学校に入学。高校時代にめきめきと頭角を表し、「秋田商業に田口あり」と言われるほどの全国区の名プレーヤーとなります。 高校卒業後、1973年に三菱重工(現浦和レッズダイヤモンズ)に入部します。実は大学進学が内定していましたが、「母子家庭だったから、母親に苦労かけられないと思った」と三菱重工のサッカー部への入部について生前語っています。 当時、三菱重工サッカー部(三菱のゴールマウス)は、メキシコ戦士(1968メキシコ五輪同メダリスト)だった横山謙三元日本代表監督がゴールを守っていたため、補欠選手でしたが、入部して3年目の1975年にGKポジションを奪取し活躍しました。 三菱重工時代には77年から7年連続で「日本リーグベストイレブン」に入り、78~79年には「日本リーグ」「日本リーグカップ」「天皇賞」の3冠を達成しました。
日本代表で活躍
三菱重工のサッカー部に入部してから3年目の1975年に正GKとなった田口光久さんは、翌1976年には日本代表に選出され、1975年9月8日の韓国戦で途中出場。この時、田口光久さんは20歳と206日で国際Aマッチ出場は当時の最年少デビュー記録でした。 その後、また1982年〜1984までの間は主将として日本のサッカー界の低迷期を支え、国際Aマッチ59試合(GK歴代4位)に出場し、B・Cマッチを含めると通算161試合に出場し活躍しました。 当時のサッカー日本代表主将の仕事は数多く、遠征先での食事会の手配から帰国便に乗る順番の調整など、チームマネージャー兼務のような仕事も田口光久さんはこなしていました。
引退後は、解説者の傍ら指導者としての道へ進む
引退後はJリーグや高校サッカーの実況解説も務めた傍ら、日本代表の主将を務めた経験を元に、指導者としても能力を発揮し1984年から秋田経法大付高サッカーの監督を務めます。1989年からの4年間は青森山田高サッカー部監督を歴任。その後もルネス学園、遊学館高校、国際学院高校と2011年3月までユース世代の育成に力を注ぎ、強豪校の基礎を築き上げました。
バラエティー番組で人気者に
引退後は身長175㎝とGKとしては小柄ながらぽっちゃりとした体型で人気となり、テレビのバラエティー番組でも活躍しました。 特に1991年~1993年頃にかけて出演した日本テレビ系の「とんねるずの生でダラダラいかせて」のPK対決コーナーでは、木梨憲武の相棒としてGKを担当しペレやジーコら世界の名選手と勝負を繰り広げる大人気コーナーで、サッカーの認知度やJリーグの人気向上に大きく貢献し、サッカーファン以外の方たちからも人気を集めました。
2014年には解体工事が始まる国立競技場での最後のイベント、レジェンドマッチにも出場
2014年5月31日に行われた、建て替え前の国立競技場での最後のイベントだった「SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”」のレジェンドマッチに出場しました。 現FC岐阜監督のラモス瑠偉氏や、奥寺康彦氏、中山雅史氏、宮本恒靖氏をはじめ、JFA会長の大仁邦彌氏なども出場し数々の名勝負で国立競技場含め日本サッカー界を沸かせた選手たちが集結した同試合で、田口光久さんはGKとして素晴らしい戦いを見せてくれました。
現役時代は「俊敏性に優れた選手」だった
田口光久さんは、身長175cmとサッカーのゴールキーパーとしてはあまりにも小柄だったため、現役時代は相手チームへの重圧を与えることを狙って178cmと高めに設定してプロフィールに記載していたというエピソードがあります。 田口光久さんは、当時から小柄でポッチャリとした体型だったので「だんご」という愛称で親しまれていましたが、その体型からは想像もつかない程の「優れた俊敏性」を持っており反応がとても早くまた足も速かったそうで、高校時代には俊足だったため練習試合ではGKなのにフィールドプレイヤーとしても出ていました。 田口光久さんは「ゴールキーパーは身長が高いことではなく、俊敏な身体動作、ディフェンダーとのコンビネーションなどの総合力が大事である」という持論を持っていました。 その為、ヴァヒド・ハリルホジッチ(元日本代表監督)が唱えた「ゴールキーパーは身長190cm以上でないと良い選手とはいえない」という主張に対して反論し、持論を展開したことでも有名です。
ラーメン好きで有名だった
田口光久さんはラーメンが大好物で行った先々の御当地ラーメンを必ず食し、「とんねるずの生でダラダラいかせて」でのPK企画ではラーメンを業界用語で「メンラー」というところを「メーラン」と間違って発言しとんねるずにいじられたことにより、「メーランおやじ」の愛称がつけられ親しまれました。 サッカーの現役時代の田口光久さんを知らない人たちは、「メーランおやじ」という愛称の方が印象的な方も多いかもしれません。 またお酒が大好きで田口光久さんのブログには「料理とお酒」というテーマで、美味しい料理と地酒を楽しんでいるようすがアップされていました。
田口光久さんの死因は呼吸不全だった
64歳という若さでこの世を去った田口光久さんの死因は呼吸不全でした。しかし、呼吸不全はひとつの疾患ではなくさまざまな疾患の結果として呼吸器能の低下が起き、十分な酸素を臓器に送れなくなった状態ですので、一般的に原因になった病名とともに使う状態名です。 田口光久さんは、東京都内の病院にて亡くなったということなので呼吸不全になる要因の病気を患っていた可能性は十分にあります。 2018年2月の誕生日を機に大好きだったお酒をやめたという田口光久さんは、やはり何らかの病気だったのかもしれませんが、死因は呼吸不全としか公表されていませんので死因に至った病気については明らかにされていません。
田口光久さんの告別式には元チームメイトらが参列
田口光久さんの葬儀及び告別式は長男の直樹さんが喪主を務め、2019年11月18日に東京都新宿区にある「最勝寺会館」にあるで執り行われました。 告別式には、田口光久さんが所属していた三菱重工サッカー部や日本代表の元チームメイトが多数参列し、早すぎる田口光久さんの死を惜しみました。
田口光久さんへ寄せられたコメント
田口光久さんが亡くなったことを受けて、ファンの方はもちろんのこと親交のあった方たちからもたくさんのコメントが寄せられていますのでご紹介します。
「生ダラ」で共演した木梨憲武さんのコメント
田口光久さんといえば、「生ダラ」の木梨憲武さんのパートナーとして出演していた印象が強い方が多いと思います。 田口光久さんの訃報を聞き、とんねるずの木梨憲武さんは自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組で「長年、生ダラでPKをやっていた元代表の田口さんが亡くなって、明るい大先輩だったんですけど最近ずっと会っていなかったんですが、本当に残念でしょうがないです。田口さん本当にご冥福をお祈りいたします」と追悼のコメントをしました。
JFA(日本サッカー協会)のコメント
生前、日本のサッカー界に大変貢献した田口光久さんの突然の死去に、「ここに謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼の意を表しました。
田口光久さんと現役時代を共にした原博実氏のコメント
田口光久さんの後輩で、同じ三菱重工そして日本代表でチームメイトとして活躍し現在は公益社団法人日本プロサッカーリーグ副理事長で日本サッカー協会常務理事でもある原博実さんは「強烈な個性の持ち主。強気で、先輩にも平気で減らず口をたたき、しかも要領がいい。でも、憎めない愛すべき人でした」と田口光久さんのキャラクターについて語りました。 また「田口光久さんはプロ向きでした。もう少し早く生まれていたなら確実にプロになっていました。今でもあんな強烈なキャラクターのGKは見たことがない。太くて短い人生まさにそういう人生だったのかもしれないですね」と、田口光久さんを良く知る方ならではの、あたたかい言葉で故人を偲びました。
田口光久さんはサッカー界の発展に力を注いだ人生だった
田口光久さんは現役時代も名キーパーとして活躍し、現役引退後は数々のサッカー名門校の監督として数多くのユース世代の育成に関わり、日本サッカー界の発展のために全力を注ぎました。 ゴールキーパーとしての才能はもちろんのこと、指導者としても素晴らしい活躍をした田口光久さんのご冥福をお祈りいたします。
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