加茂克也さんの葬儀|異端児らしい生き方を貫いたヘアメイクのプロ
公開日 : 2020/6/24
更新日 : 2020/9/10
加茂克也さんはヘアメイクアップアーティストとして、異端児らしい生き方を貫いたプロでした。さまざまなブランドのショーを担当し、企画展を開催したこともあります。多くの人に愛され、信頼されていた加茂克也さんの最期についてまとめました。
公開日 : 2020/6/24
更新日 : 2020/9/10
目次
加茂克也さんのプロフィール
ヘアメイクアップアーティストの加茂克也さんは、業界の第一人者として活躍してきました。しかし2020年2月に54歳の若さで亡くなっています。どのような人生を歩んだのか、プロフィールから探っていきましょう。
1988年よりモッズ・ヘア所属
1965年に福岡で生まれた加茂克也さんは、美容専門学校を卒業後の1988年にモッズ・ヘアへ所属しました。モッズ・ヘアは1968年にフランスで誕生したブランドです。「洋服を選ぶようにヘアスタイルを選ぶ」がコンセプトで、パリの技術をベースにしています。
モッズ・ヘアでは田村哲也さんのアシスタントとして、ヘアスタイリストの仕事をスタートさせました。田村哲也さんは1972年にパリのモッズ・ヘアに加入し、1978年に日本初のモッズ・ヘアサロンを原宿にオープンさせた人物です。
業界へ飛び込んだばかりのころは、田村哲也さんについていくために必死で勉強したといいます。アシスタントとして学びながら加1990年にフランスへ渡り、日本以外の国でも活動を始めました。
フランスでの経験を活かして、帰国後はさまざまなブランドのコレクションを担当し活躍の場を広げます。
1990年代からファッション雑誌などで活躍
1990年代からはファッション雑誌などのヘアメイク担当として活躍するようになりました。主な雑誌にはヴォーグやデイズド・アンド・コンフューズドがあります。作品を掲載していたのはモード誌が中心でした。
1996年にはジュンヤワタナベ・コムデギャルソンやアンダーカバーのパリコレクションを担当。さらには高級ブランドであるシャネルのオートクチュールを担当し、実績を積んでいきました。
オーダーにきちんと応えた上で作品に独自の世界観をプラスしており、加茂克也さんが作るスタイルは業界内外で高く評価されています。
2003年毎日ファッション大賞でグランプリを獲得
2003年に毎日ファッション大賞でグランプリを受賞しています。毎日ファッション大賞とはファッションに携わる人の業績をたたえるもので、グランプリはファッション界の中でもっとも優れた成果を上げた人に与えられます。
独創的なヘアデザインが受賞の理由とされました。加茂克也さんは芸術性と独創性を高く評価されていて、ヘアデザイン界の異端児と評されることが多い人物でした。普通の人とは違う着眼点があったからこそ、業界で成功したのでしょう。
毎日ファッション大賞のグランプリを受賞したのは、デザイナー以外では初めてのことでした。主な受賞者にはデザイナーの高橋盾・宮前義之・阿部潤一などがいます。
2008年以降は広告やショーも手掛ける
2008年以降は広告やショーも手掛けるようになりました。その後はフェンディやケンゾーなど高級ブランドのキャンペーンビジュアルを制作しています。2013年にはラフォーレ原宿で企画展を開催。
企画展「加茂克也展'100HEADPIECES'」では、ヘッドピース作品が約250点公開されました。ジュンヤワタナベ・コムデギャルソンやアンダーカバーのファッションショーで発表されたものが中心です。
コンセプトは「ヘアデザイナーの脳内世界」です。作品以外にもアトリエの再現スペースが公開されるなど、加茂克也さんの企画展としては過去最大のものとなりました。未公開のスクラップブックやオブジェも展示され、作品がどのように創作されるのかわかる展覧会となっていました。
2015年に事務所を立ち上げる
精力的に活動を続け、2015年にモッズ・ヘアから独立して新事務所のカモ・ヘッドを立ち上げています。新事務所の立ち上げに合わせて、ヘアデザインのほかにスタイリングとアートディレクションもおこなうことを発表しました。
独立後は東京・パリ・ニューヨークの3都市に拠点を置き海外でも活動。インタビューでは、1年の3分の1を海外で過ごしていると発言しています。海外で仕事があるにもかかわらず、日本に住むことをやめませんでした。
雑誌の対談の中で東京で過ごすことは刺激になると発言していることから、東京での生活がプラスに働いていたことがわかります。2019年11月までインスタグラムを更新しており、近年ではアンリアレイジやミントデザインズのコレクションでヘアメイクを披露するなど、忙しく活動していました。
加茂克也さんの世界観とは
日本にとどまらず海外でも仕事をしていた加茂克也さんは、独特な世界観の持ち主でした。ほかの人とは違うところがあったからこそ、ヘアメイクの第一線で活躍したのでしょう。どのような世界観だったのか、ご紹介します。
昆虫やキノコをモチーフにしたものが多い
加茂克也さんの作品は、昆虫やキノコをモチーフにしたものが多くありました。捕まえた昆虫を自宅に持ち帰っていたエピソードが複数あります。自然からヒントを得て作品に生かしていたのでしょう。
昆虫以外にも道に落ちているものや貝殻など、なんでも拾って自分の道具箱にしまう習慣がありました。インタビューの際に本人が自身の精神年齢を30歳と発言しており、いつまでも遊び心を忘れない気持ちを作品に反映していたことがわかります。
昆虫やキノコのほかに鳥の羽根を使うこともありましたが、どの作品にも美しさが感じられました。クリエイティブさを生かして、ほかのヘアスタイリストが使わないようなモチーフで表現をし続けたのです。
「最近、自然死が好きで、捕まえた虫は刺さないでそのまんま置いているんだよね。新しく集めた虫、見る? バービー人形の頭に虫を乗せてみたんだけど、顔を髪でグルグル巻きにしてあるのは木の根っこ。白いマッシュルームは森の中に生えていたやつ。赤いのとか毒キノコもあって面白いよ。ただ、ヨーロッパにある赤くて白い斑点のあるキノコがまだ見つからない」
インスピレーションを大切にする
仕事と真剣に向き合っていた加茂克也さんは、インスピレーションを大切にしていました。特定のものからインスピレーションを得ることはなく、生活の中から生まれるものを大事にしていたといいます。
ただし生活の中から生まれるものを大事にしながらも、モノには興味を示していました。モノにあるストーリーから何かを感じ取り、自分なりの世界観を構築していたのでしょう。直観を大事にしていたため、ヘアセットとメイクが完了した後にすべてやり直すこともしばしばでした。
時間がかかってでも、納得のいく作品を作ることに力を入れていたのです。目の前の仕事に真剣に取り組む姿は、多くのデザイナーやスタイリストから尊敬されました。
加茂克也さんの人柄
加茂克也さんはたくさんの人に慕われており、雑誌で対談をすることも多くありました。実際に、業界へ入ったばかりのころにアシスタントを務めていた田村哲也さんやモデルの水原希子さん、冨永愛さんなどと対談をしています。
冗談が好きで明るいけれど、仕事に対しては真剣に取り組んでいたことがどの対談でも明かされています。昆虫を捕まえるのが好きで、雑誌の撮影中にまで昆虫を捕まえていたこともあるほどでした。
ただ遊んでいるのではなく、すべての経験を作品に生かしている点が加茂克也さんのすばらしさでしょう。
54歳の若さで死去
2020年の2月に、加茂克也さんは54歳の若さで亡くなりました。突然の死は業界に大きな衝撃を与え、多くの著名人が追悼コメントを発表しました。
死因や葬儀に関する情報は公表されず
2月に亡くなったことは公表されたものの、死因や葬儀に関する情報は公表されていません。しかしモード誌の編集者である平工京子さんがブログで加茂克也さんの死について触れています。
平工京子さんのブログによると亡くなったのは2月28日で、1年間の闘病生活を送っていたということでした。加茂克也さんとは1980年代からの知り合いであるため、世間に公表されていない情報を知っていたのでしょう。
一部報道では悪性リンパ腫だったとされています。葬儀については報道されておらず、平工京子さんのブログでも触れられていないため、どのような葬儀がおこなわれたのかは不明です。
多くの著名人が加茂克也さんを追悼
加茂克也さんが亡くなったことを受けて、多くの著名人が追悼コメントを発表しました。追悼コメントを発表したのは、冨永愛さん・松島花さん・水原希子さん・松田翔太さんなど。ヘアメイクの技術だけでなく人柄も魅力的だったため、多くの人が死を悼んだのでしょう。
著名人のほかに、一緒に仕事をしたデザイナーやフォトグラファーもコメントを出しています。
雑誌やブランドは追悼イベントをおこなう
加茂克也さんがヘアスタイリストを務めていた雑誌では、追悼記事が掲載されました。雑誌の「Numero TOKYO」では、メッセージ編・クリエイション&名言編・ファッションビジュアル編に分けて記事を掲載。
加茂克也さんの作品とともに、人生を振り返りました。銀座にオープンした「UNIQLO TOKYO」では追悼展示を開催しています。LifeWearコレクションで作品を手がけた経緯があり、追悼展示が実現しました。
展示では加茂克也さんが手がけた作品のほか、アトリエをイメージして作られた愛用品を見ることができます。複数の雑誌やブランドが追悼イベントをおこなっており、ヘアメイク業界に与えた影響の大きさがうかがえます。
加茂克也さんはヘアメイク界の偉人だった
世界で活躍した加茂克也さんは、ヘアメイク界の偉人でした。独創的なデザインと確かな技術で業界を引っ張っていた加茂克也さんを失い、業界には悲しみが広がっています。葬儀に関する情報はありませんでしたが、多くの人が加茂克也さんを追悼していることでしょう。
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