ビリー・グラハムさんの葬儀|トランプ大統領など出席者2,000人

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/7

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「アメリカの牧師」と呼ばれた、世界的なキリスト教の伝道師であるビリー・グラハムさんの葬儀が、2018年2月21日に執り行われました。葬儀は彼の故郷であるノースカロライナ州で行われ、ドナルド・トランプ大統領をはじめとした2,000人ほどの弔問客が訪れています。

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/7

目次

ビリー・グラハムさんのプロフィール

ビリー・グラハムさんは「アメリカの伝道師」とも呼ばれた、キリスト教の福音伝道師です。20世紀半ばのリバイバル運動(信仰復興運動)の中心人物で、福音について世界中を語って周りました。
 
その生涯のうちに400以上の伝道集会とその同時放送が185以上の国と地域で行われ、2億1,500万人もの人々にキリストについてを語りました。
 
また、彼の福音伝道はテレビやインターネット、著作によってさらに数百万人に伝わったといいます。
 
歴代のアメリカ大統領の就任式では祈りを捧げ、大統領が困難に直面した際には精神的な支えにもなりました。

ビリー・グラハムさんの学生時代

ビリー・グラハムさんは、1918年にアメリカのノースカロライナ州の農場で生まれました。
 
小さな頃は宗教に関心はありませんでしたが、16歳のときにパブテスト協会の伝道師であるモルデカイ・ハムの説教を受け、信仰を持つようになります。
 
現在のトリニティ大学であるテンプル・テラス独立聖書学校に入学した彼は、知り合った女性から「敬虔な働き人となるのだろうか」と告げられたことに苦しみ、神に祈りを捧げるように。
 
その後イトスギを前にして伝道説教の練習をし、その数か月後には少女を相手に福音を語るようになりました。最初の特別集会は、フロリダ州のパブテスト協会で催しています。
 
ホイートン大学では人類学を専攻、大学院の神学部修士課程を修了しました。また、在学中に知り合った女子大生と卒業2か月後に結婚しています。

ビリー・グラハムさんの伝道活動

最初の牧会は、イリノイ州のウエスタン・スプリングスのパブテスト協会で行われました。引き継いだラジオ放送を通してトロンボーン奏者のクリフ・バロウズが協力者となり、福音歌手のジョージ・ビバリー・シェーとも知り合いになっています。
 
1947年にはノース・ウェスタンスクールズの総長となり、1949年のロサンゼルスの伝道大会でその名が全米に知られるところとなりました。大会には何十万人もの人々が訪れ、もともと3週間の予定が8週間に延長されたほどです。
 
1950年には故郷のノースカロライナ州を拠点としたビリー・グラハム福音協会(BGEA)を設立。伝道活動は全米そして全世界に広がり、冷戦終結後のロシアや北朝鮮でも開催しました。
 
伝道のときはいつも現地の最近の話題を取り上げ、人々と社会が抱える問題に対しては聖書の中に答えがあり、イエス・キリストとの人格的な関わりが大切であると述べています。
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世界各地で開催された伝道会議

ビリー・グラハムさんは世界伝道会議を通して、世界中のキリスト教団体を連携させる運動にも尽力しました。
 
1966年のベルリンでは人種差別を否定し、1974年のスイス・ローザンヌでは現代福音派的キリスト教で最も有力とされる「ローザンヌ誓約」を結んでいます。
 
また、オランダ・アムステルダムでは1983年と1986年、2000年に3回世界伝道会議を開催しており、合計して208の国と地域から2万3,000人以上もの人々を集めました。
 
ビリー・グラハムさんは日本でも伝道大会を開催。1956年から1994年の間に4回開催され、国内のプロテスタント信仰者とほぼ同じ、のべ66万4,000人が彼の説教を聞いています。
 
そしてこの大会をきっかけにして1968年に日本福音同盟が創立、1974年には京都で第1回日本伝道会議が開催されることとなりました。

歴代大統領への助言

ビリー・グラハムさんは、アメリカ合衆国大統領の助言者であったことでも知られています。リチャード・ニクソンなど歴代大統領の就任式では祈りを捧げる役目を担当しました。
 
大統領が難局に直面したときは、グラハムさんに助言を求めることも多かったといいます。彼は訪れた大統領を共和党または民主党に関わらず快く迎え、祈りと共に霊的な助言を行いました。
 
2001年の9.11テロの後にはワシントンの国立大聖堂で全米そして全世界へ向けて慰めの言葉を表明しています。また、差別の撤廃を支持した人でもありました。

ビリー・グラハムさんの著書

ビリー・グラハムさんの著書は、現在に至るまでキリスト教界に影響を及ぼしています。日本語訳がされているものも多く、いのちのことば社から複数が発売されました。
 
1978年発行の「どうしたら新生できるか」は、グラハムさんの説教をまとめた1冊です。宗教上の新生をテーマに、アメリカの保守的な価値観が表されています。
 
1993年に発行された「今よみがえる黙示録の預言」では、キリストの終末預言にある「終末期」が近づいていると、現代社会に警鐘を鳴らしています。
 
2011年発行の「ほんとうの安息」は、ベストセラーとなった「神との平和」の再編集本です。神と罪、そして救いについて簡潔かつ明確に説かれています。

ビリー・グラハムさんの葬儀の様子

ビリー・グラハムさんは2018年2月21日に、99歳で亡くなりました。晩年はパーキンソン病と前立腺がんなどを患い、視力と聴力が弱まっていたといいます。
 
体調悪化により教会へ行けなくなった後は、自宅でバプテスト教会のドナルド・J・ウィルトン牧師のメッセージをテレビ放送で聞き、彼の訪問を受けていました。
 
グラハムさんは生前から、「死とは天国に住む場所を移すことだ」と語ってきた方です。
 
遺体はノースカロライナ州のビリー・グラハム図書館隣の追悼庭園に埋葬され、暮石には「Preacher of the Lord Jesus Christ(主イエス・キリストの福音伝道者)」と刻まれています。
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2,000人余りの弔問客

ビリー・グラハムさんの葬儀は、同年3月2日にビリー・グラハム図書館のそばに設置された屋外テントで行われました。
 
この白いテントは約2,600平方メートルもあり、1949年にロサンゼルスでテントを張って開催した復興集会のメモリアルの意味が込められています。
 
葬儀にはドナルド・トランプ大統領とマイク・ペンス副大統領夫妻をはじめ、政界関係者などを含む2,000人以上の弔問客が訪れました。
 
ニューヨークタイムズでは現地の雰囲気を「グラハム氏は生前のときと同様に、数千人の大観衆を集めたかのようだ」と伝えています。
 
トランプ大統領は、2014年に行われたグラハムさんの95歳の誕生日会のときに顔を合わせています。
 
ですが政治色は排除された上で純粋な追悼行事として行ったため、トランプ大統領が追加で追悼辞をすることはありませんでした。

ビリー・グラハムさんの遺体は米議事堂に安置

亡くなった後の2月28日に、ビリー・グラハムさんの遺体はアメリカ合衆国の国会議事堂に7時間安置されました。
 
そもそも議事堂での追悼式はリンカーンなどの大統領経験者とマッカーサー元帥など軍人の32例しかなく、宗教指導者の遺体が国会議事堂に安置された状態で追悼式が執り行われるのは、初めてのことだったといいます。
 
遺体が安置された議事堂でも、多くの人々の弔問を受けました。
 
トランプ大統領は、グラハムさんを偲び「米国を変え、世界を変えた」と声明を発表。「神の大使」の名前がふさわしい、まさにアメリカのヒーローであったとも表現しました。
 
また、バラク・オバマ前大統領は「グラハム師は多くの人々のために祈りを捧げた宗教者であり、神のしもべであった。彼の知恵と寛大さはアメリカの多くの国民に希望を与え、導いてくれました」と述べています。

家族による追悼辞

ビリー・グラハムさんの葬儀は、ビリー・グラハム伝道協会(BGEA)のピアニストであるジョン・イネス氏の演奏から始まり、トランプ大統領とマイク・ペンス副大統領らと共にグラハムさんの棺が入場。
 
リンダ・マクラリー・フィッシャー氏が賛美歌「Until Then」を披露した後は、晩年グラハムさんの自宅を訪問していたドナルド・J・ウィルトン牧師が、聖書の一節である「エフェソの信徒への手紙・2章4〜10節」を朗読しました。
 
グラハムさんの家族5人があいさつをし、中でも息子でグラハムさんの後継者であるフランクリン・グラハム氏は次のように述べています。
 
「テレビを通して、または大きな会場で世界中の人々が見たビリー・グラハムと、私たち家族が見ていたビリー・グラハムは同じ人でした。父の子どもはみんな父を通して世界を見ており、天にいる父をも見ています。」
 
娘のルース氏は2回目の結婚生活が破綻してしまったあと、家に戻ったときに父が歓迎してくれたこと、自分を非難することなく愛を持って接してくれたことを語りました。

ビリー・グラハムさんのお別れの形

ビリー・グラハムさんの葬儀は、生涯を通して行ってきた伝道活動そのまま、多くの弔問客に囲まれて行われました。
 
世界中の人々から愛された「アメリカの牧師」であり、歴代大統領からも精神的に頼られる存在だったことから、国会議事堂に遺体を安置された最初の宗教家ともなっています。
 
ビリー・グラハムさんの遺体を故郷のノースカロライナ州へ移動する際、車列を見ようと多くの人々が沿道に集まり、感謝の祈りを捧げました。このことも、彼の生前の活動が偲ばれるエピソードです。