木内みどりさんの葬儀|エコで簡素的な自分らしいお葬式だった

公開日 : 2020/6/22

更新日 : 2020/9/9

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映画や舞台以外にテレビなどでも活躍されていた女優の木内みどりさんが急性心臓死のため、69歳で死去されました。日本の葬儀の在り方に強い問題を持っており、遺書などで自分の最期のお葬式のやり方を伝えていましたので、木内みどりさんの人生と合わせてご紹介します。

公開日 : 2020/6/22

更新日 : 2020/9/9

目次

木内みどりさんのプロフィール

映画やテレビ出演など、多岐にわたって活躍されていた木内みどりさんが、急性心臓死で亡くなりました。前日まで元気な姿を見せていただけに、驚いた方も多かったです。そこで、木内みどりさんのプロフィールをご紹介します。

劇団四季を退所後に舞台やテレビで活躍

木内みどりさんは16歳のときに劇団四季に入団をし、「王子とこじき」という作品が初舞台です。劇団四季を退所後は、1971年東宝の「されどわれらが日々 - 」より 別れの詩で女優デビューを果たしました。19歳でドラマ初主演をし、女優の道を確立されました。

 

映画や舞台以外にテレビ出演も数多く、「天才たけしの元気が出るテレビ!」ではバラエティーでその存在感を出していました。木内みどりさんは、役柄さばさばとはっきりと物を言う役が多かったですが、素顔もきっぷの良さで知られ評判が高い方でした。

 

女優業以外にもバンドを結成されたり、父親の死をきっかけに日本尊厳死協会に入会されたり、チベット関連の活動など多岐にわたり常に様々な取り組みに力を注いできた方です。

 

 

脱原発の活動にも参加

3・11の東日本大震災をきっかけに、木内みどりさんは脱原発についても積極的に活動を始めます。政治や社会についても、自分が思う本音を語ってきました。2014年4月11日には、ロンドンまで足を運び、脱原発集会でスピーチを務めるほど活動の幅を広げていました。

 

福島の原発事故について、事故の記憶を忘れたり起きたことから逃げてはいけないと訴えかけ、脱原発のために木内みどりさんにできることを行っていくと宣言されていました。このような活動は脱原発にとどまらず、広島原爆での活動も行っていました。

 

このように、女優業以外に日々の生活で問題となっていることと向き合い、活動を続けてきた方で、女優の役柄ではなく素顔もはっきりと自分の考えを伝えることができる方でした。日本の政治や社会の問題と常に向き合ってきた方です。

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れいわ新選組のイベント司会を務める

れいわ新選組代表の山本太郎さんと木内みどりは親交があり、第25回参議院議員通常選挙中に行われた「選挙フェス」の司会も務めています。山本太郎さんと街頭演説にも参加されており、女優業以外に政治活動にも参加されていました。

 

木内みどりさんが亡くなった際、山本太郎さんは自身が世の中を変えていく姿を見届けてほしかったとツイッターで伝えており、木内みどりさんについても自由を愛している表現者であると今までお世話になった気持ちを伝えています。

 

固定概念にとらわれず、様々な意見をもったり自分なりの自由なスタイルを政治でも伝えてきた木内みどりさんです。まだまだその活動を共にされたかった方も多く、死去されたときは多くの方が悲しみました。

木内みどりさんの死因は急性心臓死

木内みどりが亡くなる前日は、広島市のスタジオで朗読の収録をされていることをツイッターで伝えていたほど、いつも通りの仕事をされています。その後、懇談会に出席してから広島市内を散策し、原爆ドームなどの写真をツイッターに投稿されています。

 

ホテルに到着した数時間後に、木内みどりさんは急性心臓死で亡くなりました。この急性心臓死とは、昔からよく伝えられている「ぽっくり病」で原因がわからない突然死です。心筋梗塞であれば、1時間以内に救急車で搬送されると9割の方が助かる病気です。

 

突然死は原因がわからない発作から1時間から2時間程度で亡くなってしまいます。木内みどりさんは元気で仕事もこなしていたのに、突然亡くなってしまい周りの方を驚かせることになったのです。

 

木内みどりさんが考える葬儀の在り方

木内みどりさんは、亡くなる前から葬儀についての問題について周りの方に伝えてきました。昔からの風習に縛られず、自分がこうするべき葬儀についてどのように考えてきたのか詳しくご紹介します。

エコで簡素な葬儀を希望

木内みどりさんは、死後のことを生前からしっかりと考えており家族にもその内容を伝えてきていました。もともと一般の葬儀について多くの疑問を感じていた木内みどりさんは、ラジオなどでも発言するほど、現代に合った葬儀についてを語っていました。

 

仏事の古くからある葬儀のしきたりの在り方が嫌いで、新しい葬儀のスタイルを夫と常に語っており、現代に合った葬儀屋をやりたいと思うほど、エコで簡素化された風習に縛られない葬儀について常に語っていた方です。

 

しかし、急逝ということもあり誰もがその訃報に驚きました。ですが、常に家族に自分がやりたい葬儀の在り方を伝えていたため、その希望にそった内容で執り行うことができ、最期まで木内みどりさんのこだわりで葬儀を終えることができました。

葬儀も戒名もいらない新しいスタイル

木内みどりさんは、一般的な葬儀や戒名は自分に不要という考えを持っていました。お墓に入りたくもなければ、骨壺に入るのも嫌だと常に周りの方にも伝えるくらいこだわりが強かったです。山に散骨してことから、散骨予定の山の下見するほど終活に力を入れていました。

 

亡くなった後に行ってほしいことを遺書にまとめるほど、葬儀へのこだわりはとても強い方でした。骨壺に関しても、墓石の下に入るという発想は全くなく夫婦でで墓じまいの話し合いをされていたほど、自分が亡くなってからのことを常に周りに伝えていました。

 

それだけ、葬儀に対する昔の風習を破り、常に新しいスタイルで自由な葬儀にやり方を周りの方に伝えることができた方です。家族の理解もあり叶うことができたのも、常に家族に自分の遺志を伝えてきたから行うことができました。

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好きな音楽と美味しいお酒でお別れ

木内みどりさんは、葬儀などは特に行わず親しい人たちが集まり、木内みどりさんが好きだった音楽や美味しいものを一緒に過ごしながら見送ってほしいという遺書を書くほど、新しいスタイルのお別れ会を提案されていました。

 

亡くなる前から自分の葬儀についてしっかりと考え、終活をされています。それだけ、自由の表現を愛しているからこそ、固定概念にとらわれずみんなが楽しい時間を過ごしたり周りの方に迷惑をかけないように考えてきた結果が合われています。

 

近年、終活について早い段階から行う方も増えてきていますが、自分の遺志をしっかりと家族がかなえてあげることができるため、時間があるなら昔の風習に縛られず自分がしてみたい葬儀について考えてみるチャンスです。

葬儀の費用が高い

葬儀の費用は高額で、一般的な葬儀も地方によって金額は異なりますが、平均すると100万円から150万円ほどかかります。参列する方が増えるとさらに費用は増え、芸能人となれば300万円では済まない場合もあります。

 

木内みどりさんは、人が亡くなり葬儀のプランを考えて多額の費用を支払わなければならないのか疑問を持っていました。葬儀はそもそも誰のためにやるのかを考え、故人の遺志を尊重し家族がどのような葬儀にしなくてはいけないかを考えないといけません。

 

生前からこの葬儀の費用を木内みどりさんは問題視し家族にも伝えていた結果、一般的な葬儀よりも費用は安く抑えることができ、棺おけも機能的なものを取り入れています。葬儀のカタチではなく不要なところにお金はかける必要はないと木内みどりさんらしい葬儀でした。

木内みどりさんのお別れ会には800人が参列

木内みどりさんの葬儀は家族葬で行われていますが、あとからお別れ会を催しています。その参列者は多く、自由の表現を愛する木内みどりさんらしいお別れ会について詳しくご紹介します。

火葬は死去した広島で

木内みどりさんは、出張先の広島で急性心臓死でした。通常であれば、東京に遺体を運び葬儀を行いますが、終活をしてから遺言書を残されたこともあり、夫と娘の二人で話し合った結果広島で火葬を行いました。

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家族葬で簡単なお葬式

偶然にも広島の火葬場が1件空いており、突然の死去でしたが火葬を無事に行うことができました。そのため、親友の2人も急遽家族葬に参列され、東京ではなく広島で葬儀を行ったのです。このように広島で葬儀を行うこともできたのも、家族に遺志を伝えていたからでしょう。

 

2019年11月18日に亡くなり、19日火葬をされてから東京に帰京します。そこから、親しい友人を2名ほど呼んで小さなお別れ会を開催されました。芸能人関係者の方はその後にお別れ会を行いますが、まずは家族だけで木内みどりさんの望んでいた葬儀を行うことができたのです。

お別れ会は2部制

家族葬を行い、その後芸能人関係者を呼んでお別れ会が催されました。主催者がいないホームパーティーとなっており、国際文化会館(東京都港区)で2部制に分かれて行われています。仕事関係の人を中心で、合計で800人以上の方が参列されました。

 

お別れ会では、木内みどりさんが希望したグレン・グールドのピアノの音楽を流し、出演した作品のダイジェスト版を編集して流しました。木内みどりさんが希望した葬儀を家族は叶えてくれました。新しい葬儀のスタイルでもあり、リラックスした雰囲気のお別れ会でした。

 

チベット仏教を信仰されたいた木内みどりさんは、遺灰をまくことを希望しておりそれも家族が5月に行う計画を周りの方に伝えています。亡くなった方をいつまでも追悼するのではなく、忘れてほしい木内みどりさんの考え方はこれからの葬儀に反映されるでしょう。

新しいスタイルの葬儀を貫いた木内みどりさん

木内みどりさんの葬儀へのこだわりは大変強いものがありました。女優業をこなしながら、日々自分の生活についての問題点を考えている方で、それを実現しようとする姿が素晴らしいです。葬儀の昔ながらの風習を破る姿やそれを叶える家族も素敵です。

 

現代に見合った自由の表現について様々なことを考えさえてくれる木内みどりさんの姿は本当に素晴らしいものでした。これから葬儀の内容もどんどん変わっていくかもしれません。