勝田久さんの葬儀 | 鉄腕アトムのお茶の水博士役で有名な大御所声優
公開日 : 2020/6/20
更新日 : 2020/9/9
鉄腕アトムのお茶の水博士で有名な勝田久さんは、声優という職業が認知されてなかった時代から声優を名乗り、声優の草分けと言われます。また声優業だけでなく後進の育成にも熱心でした。そんな勝田さんの葬儀はどのような様子だったのか、ここで詳しく説明しましょう。
公開日 : 2020/6/20
更新日 : 2020/9/9
目次
勝田久さんのプロフィール
アニメ『鉄腕アトム』のお茶の水博士役が有名な勝田久さんですが、勝田さんの生涯について知っている人は少ないと思われます。生誕からその最期までを見て行きましょう。
NHKのラジオドラマで声優デビューを果たす
勝田久さんは1927年4月2日に東京で生まれました。幼い頃から演劇や映画が好きで、兄と一緒に浅草によく映画を観に行ったそうです。この頃の映画の料金は50銭で、無声映画のため弁士が横で演技をするスタイルでした。勝田さんは当時から声の演技を意識していたのでしょう。
戦争が始まると、勝田さんは学徒動員で陸軍の工場で勤務しました。戦争が終わった翌年、勝田さんはラジオドラマに魅力を感じ、鎌倉アカデミア演劇科に入学して、まずは俳優を目指すことになりました。同級生には前田武彦さんやいずみたくさんがいました。夜間は新協劇団研究所の研究生としも演劇を学びました。
1947年からは東宝の演劇部に所属して、翌年の舞台『鐘の鳴る丘』でデビューしました。これが人の目に留まり、NHK東京放送劇団の公募に合格しました。そして1948年にNHKのラジオドラマ『水滸伝』の九紋竜史進役で声優デビューを果たしたのです。
代表作『鉄腕アトム』でアニメ声優デビュー
勝田久さんはデビュー後はNHKの数々のラジオドラマに出演しました。この頃の後輩に黒柳徹子さんがいたとのことで、黒柳さんはとても元気な子で誰よりも声が大きかったそうです。また黒柳さんはお嬢様だったので、お茶を頼んでも自分で淹れずに出前を頼んだりといったこともあったそうです。
そして1954年からはNHKを離れてフリーの声優となりました。勝田さんは1957年には海外のドラマ『海賊船サルタナ』で吹き替えの仕事を始めています。そしてついに1963年に『鉄腕アトム』のお茶の水博士役でテレビアニメデビューを果たすのです。
鉄腕アトムの第1話の収録は元日放送なので大みそかの収録でした。手塚治虫さんが途中で何度も台本を書き直すので再録になり、20時間もかかってしまったとのことです。手塚さんの作品へのこだわりが感じられます。
お茶の水博士が勝田久さんを代表する役となる
鉄腕アトムでは、勝田久さんはくしゃみの演技で手塚治虫さんに褒められたそうです。手塚さんはとても特徴的な大きなくしゃみをする人なので、勝田さんがそれを真似したところ、とても気に入ったそうです。
アトム役を演じた清水マリさんによると、鉄腕アトムは新シリーズが始まる度に声優を交代しようという動きがあったそうです。しかしその度に手塚治虫さんがアトム役とお茶の水博士役は変えないで欲しいとリクエストしたため、勝田さんはずっとお茶の水博士役を演じることができたのです。勝田さんの演技が手塚さんから高く評価されていたことが伺えます。
お茶の水博士は勝田久さんを代表する役になり、その後の鉄腕アトムのシリーズや関連作品で度々演じています。テレビCMや、テレビ朝日のドキュメンタリー番組『素敵な宇宙船地球号』でもお茶の水博士としてナレーションを担当しています。
お茶の水博士が人気になることで、勝田さんは『ジャングル大帝』『パーマン』『怪物くん』『ルパン三世』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』とった様々なアニメ作品に出演しています。
洋画の吹き替えやテレビドラマに多数出演
勝田久さんは洋画やドラマにも吹き替えの声優として多く出演しています。『大脱走』『ダーティハリー』『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』『ER緊急救命室』『奥さまは魔女』『刑事コロンボ』『スパイ大作戦』といった数々の有名な作品に出演しているのです。
さらに勝田さんは声優としてでなく俳優としてもテレビドラマに出演しています。『Gメン'75』『西部警察』『太陽にほえろ!』といった人気刑事ドラマや、時代劇やサスペンスなどに幅広く登場しています。
現代では俳優と声優は分かれているのですが、勝田さんはアニメから実写のドラマまで幅広い活躍をされていました。勝田さん以前は声の仕事は俳優が兼業するのが普通だったのですが、「声優」を自称したのは勝田さんが最初とも言われています。
勝田声優学院で後進の指導にあたる
勝田久さんは声優や俳優の仕事だけでなく、後進の指導に大変熱心な人でした。早くから俳優の養成所の講師をしていましたが、1982年に「勝田声優学院」を創立して学院長になりました。このような声優の学校を始めたのは勝田さんが最初と言われています。
勝田さんはお茶の水博士の優しいイメージがありますが、学校の指導はとても厳しくスパルタで、教え子の方々はレッスンの後は皆、泣きながら帰ったとのことです。その甲斐もあって、勝田声優学院からは多くの有名な声優が誕生しました。
『美少女戦士セーラームーン』の主人公役、『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサト役、『ドラえもん』ののび太のママ役が有名な三石琴乃さんや、ガンダム・エヴァンゲリオンに出演し、今はドラえもんのスネ夫役を演じている関智一さんは勝田声優学院を卒業しています。
後輩の指導や執筆業を積極的に行う
勝田久さんは勝田声優学院において基礎となる発声、発音、滑舌を徹底的に教えたとのことです。また演技の技術だけでなく、声優としての心構えも指導しました。人物を創造する仕事なので人間観察が重要であり、人をよく観察し、演技で必要な要素を引き出せるようになることを教えています。
また学院の指導だけでなくアニメ雑誌にも声優関連の記事を執筆し、声優の指導書も出版しています。勝田さんの知人の有名声優についての雑誌記事をまとめた「昭和声優列伝」は話題になりました。
勝田さんのこうした活動が認められ、2009年には声優アワードのシナジー賞を受賞しています。勝田さんの教え子の多くが人気声優となり、声優ブームの礎となったとも言われ、さらにもっと評価されてもしかるべき存在と言えるでしょう。
勝田久さんの最期
声優業や後進の指導、執筆業で活躍されていた勝田久さんですが、その最期はどのようなものだったのでしょうか。
92歳で老衰により死去
勝田久さんは2020年02月21日に老衰のため、東京都青梅市の病院で亡くなりました。92歳でした。ただしそのかなり前からお体の具合が悪かったようで、2015年には勝田声優学院を高齢を理由に閉校しています。
またその閉校の前に倒れたこともあったようで、体調が悪い時期が長かったようです。92歳で老衰と言えば大往生に感じますが、ご本人は長く辛い生活を送られたのかもしれません。「昭和声優列伝」の第二弾も出す予定でしたが、果たせませんでした。
昭和声優列伝で書かれた人気声優のエピソードの数々はこの本だけでしか書かれていないことが多く、声優ファンからはとても評価の高い本です。勝田さんだけが知っている出来事がお墓まで持っていかれてしまったのは残念ですね。
勝田久さんの告別式には250人の方々が集まった
勝田久さんの葬儀はどのようなものだったのでしょうか。勝田久さんには多くの教え子がいたため、盛大な葬儀が営まれました。
多くの教え子に来てもらうため大規模な斎場を選択
勝田久さんの告別式は2020年2月28日午前11時に青山葬儀所で行われました。喪主は妻の勝美さんです。勝美さんの希望で、出来るだけ多くの勝田声優学院の元生徒に来てもらいたいとのことで、規模の大きい斎場が選ばれました。
また多くの人が参加できるように、告別式は無宗教で行いました。その結果、告別式には250人もの勝田さんを慕う教え子が集まったのです。なお新型コロナウイルス感染対策のため、斎場には手を消毒できる場所が設置されました。
会葬者の待機所には勝田さんのメモリアルコーナーが設営され、大型モニターでは勝田さんの映像が流され、思い出の品々や写真が展示されました。また勝田さんは明るい色が好きだったことから、生花祭壇は黄色と白を基調とし、100基分の供花も添えられました。
森川智之さんが教え子代表弔辞を読み上げる
勝田久さんの告別式では教え子の代表として森川智之さんが弔辞を読み上げました。森川さんは三石琴乃さんや横山智佐さんと同期の5期生で、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし役など多くの役を演じている人気声優です。勝田声優学院では講師も担当していました。
森川さんは弔辞で勝田さんを自分の父であり師匠であると讃え、勝田さんの遺志を継ぎ、声優育成に邁進する覚悟を宣言しています。出席した横山智佐さんは勝田さんとの思い出がいっぱいで泣いてしまったとブログで綴り、勝田先生への謝辞を述べています。
なお横山さんは『サクラ大戦』の真宮寺さくら役が有名で、週刊少年ジャンプのジャンプ放送局に8年間登場し、声優という存在を一般社会に広く認知させた人気声優です。勝田さんが声優ブームを作りだしたという評価も、決して的外れではないでしょう。
人気声優を育成し声優ブームの先駆けとなった勝田久さん
勝田久さんの業績と告別式の様子を述べましたが、いかがでしたでしょうか。お茶の水博士という人気キャラクタ―を演じただけでなく、声優の学校を立ち上げて多くの人気声優を育成した勝田さんの功績は、声優界で今後も長く語られるのは間違いないでしょうね。
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