松島茂さんの葬儀|スポーツ中継の中心的存在だったアナウンサー
公開日 : 2020/6/19
更新日 : 2020/9/9
文化放送のアナウンサーとして活躍した松島茂さんは、肺腺がんのため47歳の若さで亡くなりました。多くのスポーツ選手と交流を深め、たくさんの人に愛されてきた松島茂さんが亡くなるまでどのような人生を歩んだのかみていきましょう。
公開日 : 2020/6/19
更新日 : 2020/9/9
目次
松島茂さんのプロフィール
文化放送アナウンサーの松島茂さんは2020年2月23日、47歳の若さで亡くなりました。在職中に逝去した松島茂さんがどのような人生を歩んだのかみていきましょう。
1994年に文化放送へ入社
松島茂さんは中学・高校・大学と早稲田へ進学し、早稲田大学ではアナウンス研究会に所属していました。研究会の同期には、現在フリーアナウンサーとして活動している加藤暁さんがいます。
大学を卒業して1994年に文化放送へ入社しました。アナウンサーの同期には、現在は報道記者として活躍している吉田涙子さんがいます。先輩には長谷川太アナウンサー、後輩には飯塚治アナウンサーがいました。
松島茂さんは入社後、アナウンサーとしてさまざまな番組に出演しました。アナウンサーとなった松島茂さんですが相撲好きとして知られており、大学でおこなわれた相撲大会に出場した経験があります。
アナウンサーになっていなかったら横綱になっていたと本人がたびたび発言しています。また、愛犬家としても知られていて、文化放送から発売されたカレンダーには飼っていた犬と写るほどでした。
プロ野球や箱根駅伝の中継を担当
主に担当したのはプロ野球や箱根駅伝の中継です。「文化放送ライオンズナイター」と「箱根駅伝実況中継」ではメインの実況を担当し、感動の瞬間を伝えてきました。「文化放送ライオンズナイター」は西武ライオンズファンに人気のプロ野球中継です。
取材方法が丁寧なことから、ファンだけでなく西武ライオンズの選手にも信頼されていました。松島茂さんはアナウンサーとして、新記録が打ち出された瞬間に多く立ち会っています。
2015年には西武ライオンズの秋山翔吾外野手がシーズン最多安打記録を打ち出した瞬間の実況をしました。2019年にはパシフィックリーグで西武ライオンズが2連覇した瞬間を中継しています。スポーツ実況の中心的存在として実況をおこなっていたことがわかります。
オリンピックの様子を中継した経験も
プロ野球や箱根駅伝のほか、オリンピックの実況もおこないました。実況をしたのは2004年のアテネオリンピックと2016年のリオデジャネイロオリンピックです。メダルを獲得した瞬間をラジオで中継していたこともあり、東京オリンピックでの実況にも意欲的でした。
2020年に開催される予定だった東京オリンピックでも実況をおこなうのを楽しみにしていましたが、夢は叶いませんでした。
スポーツ実況以外にもさまざまな番組に出演
プロ野球・箱根駅伝・オリンピックなどさまざまなスポーツの実況をしてきた松島茂さんですが、ほかにもたくさんの番組に出演しています。若手アナウンサーの頃は「梶原しげるの本気でDONDON」というラジオ番組に出演。
ラジオ番組では探検隊員の「松島一直線」として活躍しました。競馬や競艇の実況中継をした経験もあり、2006年におこなわれたFIFAワールドカップでは、リポーターとして現地に赴いています。
2007年からは「岩本勉のまいどスポーツ」にアシスタントとして出演し、のちにプロデューサーとして番組を支えました。
多くのスポーツ選手と交流
スポーツ中継をする中で、松島茂さんは多くのスポーツ選手と交流を持ちました。有名なのは西武ライオンズの秋山翔吾選手と箱根駅伝に出た東洋大学の柏原竜二さんです。箱根駅伝で柏原竜二さんは「二代目山の神」と呼ばれ活躍しました。
大学卒業後も二人の関係は続き、松島茂さんがプロデューサーとアナウンサーを務めた番組「箱根駅伝の道」では柏原竜二さんがナビゲーターに起用されています。松島茂さんが亡くなった際にはネットで文章を公表しました。
さらに、柏原竜二さんの妻となる八木菜緒さんと「岩本勉のまいどスポーツ」で共演していた縁でキューピット的存在となり、番組内で2人は結婚を発表しています。かかわる機会のあったどんな人たちとも仲を深められたのは、松島茂さんの人柄によるものでしょう。
松島茂さんが亡くなった経緯
アナウンサーとして活躍していた松島茂さんですが2019年10月にがんが発覚し、2020年2月に亡くなっています。がんが発覚してから亡くなるまでの期間はわずか4ヶ月でした。どのような経緯で亡くなったのかご紹介します。
2019年10月に肺腺がん発覚
2019年9月24日に西武ライオンズがパシフィックリーグで2連覇した瞬間を伝えていた松島茂さんですが、この頃から息苦しさを感じるといった体調不良が続いていました。体調不良の原因は、10月におこなった健康診断で発覚します。
発覚したのは肺腺がんでした。肺腺がんとは肺の分泌腺にできるがんであり、肺がんの一種で女性がかかりやすいとされています。初期症状はないことが多く、気づいたときにはがんの進行が進んでいる怖い病気です。
化学療法などの効果が出にくいため、医療が発達した現在でも肺腺がんの生存率は低いです。喫煙習慣のある人が肺がんになるイメージがありますが、肺腺がんは喫煙の習慣がなくても発症します。
松島茂さんは喫煙の習慣がありませんでした。お酒も飲まず、健康的な生活を送っていたにもかかわらず肺腺がんになってしまったのです。同じがんになった有名人には野際陽子さんや河村隆一さんがいます。
2019年12月から治療に専念
肺腺がんが発覚した後も病気のことは公表せず、仕事を続けていました。2019年10月22日にはプロ野球の実況をおこなっています。最後の仕事となったのは2019年11月25日の「岩本勉のまいどスポーツ」でした。
「岩本勉のまいどスポーツ」はスポーツの情報を伝える番組です。日本ハムファイターズで投手を務めた岩本勉さんと共演しており、2人の掛け合いが面白いと人気の番組でした。12月からは治療に専念し、体調不良で仕事を休む旨をツイッターで伝えています。
療養中はたびたびツイッターを更新し、文化放送やスポーツに関わるツイートをしていました。治療に専念している間も仕事に復帰するつもりで過ごしていたのです。入院中の松島茂さんを見舞った多くの人が、早く仕事復帰したいと言ってたことを明かしています。
2020年2月死去
仕事に復帰するため肺腺がんと闘っていた松島茂さんですが、急激に容態が悪化して2020年2月23日午前7時20分に逝去します。松島茂さんのツイッターを妻の早苗さんが更新し、2月24日に訃報が伝えられました。
47歳という若さで亡くなったことに多くの人が驚き、悲しみに暮れました。2月24日に放送された「岩本勉のまいどスポーツ」では長谷川太アナウンサー・長麻未アナウンサー・太田英明アナウンサーが出演して訃報を伝えています。
2週連続で追悼特別番組が放送され、親交のあった人たちが松島茂さんを偲びました。番組で共演していた岩本勉さんは放送で、入院中の松島茂さんを見舞っていたことを泣きながら報告し、仕事に対する真面目な姿勢を称えています。
ほかに柏原竜二さんや東尾修さんがスタジオや電話から、松島茂さんとの思い出を語りました。東尾修さんはプロ野球の中継時に共演した経緯があります。
松島茂さんの葬儀には約100人が参列
松島茂さんの葬儀は2020年2月28日におこなわれました。どのような葬儀だったのかみていきましょう。
葬儀は埼玉県川口市で営まれる
葬儀は2020年2月28日、埼玉県川口市で営まれました。会場はセレモニー川口ホールで、喪主は妻の早苗さんが務めました。戒名は放音稲茂居士で、アナウンサーとして活躍していたことと茂という名前を組み合わせています。
葬儀には約100人が参列
葬儀には「岩本勉のまいどスポーツ」で共演していた岩本勉さんや「文化放送ライオンズナイター」解説者の松沼博久さんら約100人が参列しました。スポーツ実況をしていたこともあり、箱根駅伝で活躍した柏原竜二さんなど多くのスポーツ選手も参列して死を悼みました。
かつて西武ライオンズで活躍し、現在はレッズに所属している秋山翔吾さんはプレシーズンゲーム初安打の球を届けています。葬儀の司会は文化放送の先輩アナウンサーである長谷川太さんが務めました。
長谷川太さんは葬儀後に更新したブログの中で、人生で初めての葬儀の司会が後輩である松島茂さんの通夜なのはやりきれないと記しています。
文化放送は本社に記帳台を設置
松島茂さんが20年以上勤めた文化放送には、訃報を受けて2月25日から3月6日まで記帳台が設置されました。設置されたのは東京都港区にある文化放送本社の総合受付横です。松島茂さんの実況を楽しみにしていたファン約1500人が記帳に訪れたといいます。
一般の人は葬儀への参列ができなかったため、記帳に多くの人が訪れたのでしょう。訪れた人の多さからも、松島茂さんがたくさんの人に愛された人物であったことがわかります。
松島茂さんは多くの人に愛されたアナウンサーだった
真剣に仕事と向き合い、アナウンサーとして多くの感動の瞬間を伝えてきた松島茂さんはたくさんの人に愛されました。47歳という若さで亡くなりましたが、スポーツ実況の中心的存在であったことは多くの人の胸に刻まれているでしょう。
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