川地民夫さんの葬儀|病気に苦しめられながらも最期まで俳優を貫いた

公開日 : 2020/6/19

更新日 : 2020/9/10

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石原裕次郎さんの勧めから俳優をとデビューし、様々な作品を残した川地民夫さん。映画に出演した作品は数知れず、舞台やCDデビューもされています。マルチな才能を持っていた川地民夫さんのプライベートなども含めて、最期はどのようなものだったかをまとめました。

公開日 : 2020/6/19

更新日 : 2020/9/10

目次

川地民夫さんのプロフィール

79歳で亡くなった川地民夫さんは、様々な映画作品に出演し、映画人としての人生を歩んできました。ヤクザの役からウルトラマンまで、様々な役を演じているのにも注目できるため川地民夫さんのプロフィールをご紹介します。

デビューのきっかけは石原裕次郎さん

川地民夫さんがデビューするきっかけになった人物は、昭和の大スターである石原裕次郎さんでした。大学1年生の頃に逗子の家の隣に住んでいた石原裕次郎さんのが縁で、日本の制作会社であるに日活株式会社に入社します。

 

デビュー作品は「陽のあたる坂道」で、石原裕次郎さん主演で3時間を超える青春映画です。そこから数々の映画に出演し、その他にも歌手の小林旭さんと沢本忠雄氏さんで「三悪トリオ」としても売り出していました。

 

映画では青春物やアクションなど主演を演じてきました。その後は、脇役に力を注ぎ演技にも独特の個性に磨きがかかったこともあり、鈴木清順監督に重用されていました。そのため、映画の本数は衰えることがなく多くの作品に出演されています。

 

 

まむしの兄弟シリーズは人気の作品

川地民夫さんが出演された「まむしの兄弟」はヤクザ映画ですがコメディー要素が入ったストーリー仕立てで、他のヤクザ映画とは異なり叙情的な印象を受ける作品です。菅原文太さんとと川地民夫さんが大暴れする毎回大暴れし人気の作品です。

 

「まむしの兄弟」はシリーズ全9作品で、1997年に柳葉敏郎さんと中村繁之さん主演でリメイク版も製作されたほど、根強い人気があります。イキのいいワルっぷりなのに、コミカルな掛け合いでテンポがよく映画を楽しむことができます。

 

ダイナミックな殴り込みのシーンもあり、常に映画を見ていて目を離すことができません。まむしは世の底辺で生きる者として観る者の心を揺さぶる映画になっています。人気アクションコメディ・シリーズが気になる方は一度見てみましょう。

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映画の他に舞台も

川地民夫さんは、石原プロや三船プロを経てから、多くの舞台にも出演されていました。ミヤコ蝶々さんの相手役は15年にも渡って務めたことから、役者としての存在感を不動のものにしてきました。それだけ、舞台や映画になくてはならない存在ということがわかります。

 

そのため、多くの舞台作品にも出演し、鈴木監督の作品で常連俳優でしたが映画以外にも活躍の場を広げていました。独特の個性でアクの強い演技を多くの作品に残してきました。

2006年には「東京港」でCDデビュー

日活の2枚目スターとして活躍した川地民夫さんは、 芸能生活50周年記念曲としてCDデビューを果たします。2006年に「東京港」でデビューをし、ジャケット写真はチョイ悪親父の雰囲気を出しており、さすが俳優と思わせるほどです。

 

歌唱力もあり、今まで歌手デビューをしていなかったことが不思議に思うほど、その魅力に引き込まれた人は多かったです。歌詞も人生の内容を感じさせてくれる素敵な曲に仕上がっていて、昔からのファンもさらにその魅力を再確認したはずです。

 

その後2008年に浅茅陽子さんと「浮世めおと草」という曲でデュエットを果たします。デュエット曲は、二人ともベテラン役者で本業ではありませんが、いい味わいを出していると評判がよく二人にぴったり合った曲でした。

ウルトラマンシリーズにも出演

川地民夫さんは昔からヤクザ映画に出演しており、怖い役ばかりを演じてきました。ちょい悪親父の雰囲気が強かったですが、テレビでは1996年から1998年までウルトラマンのシリーズにサワイ・ソウイチロウ総監として出演されていました。

 

ウルトラマンの映画も2000年にウルトラマンティガウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY・2008年は大決戦!超ウルトラ8兄弟に出演されており、出番が多いわけでもない川地民夫さん演じるサワイ総監の人間味を感じさせる魅力に引き寄せられた方も多いです。

 

どのような役でも演じることができる川地民夫さんの実力は、すごく昭和の銀幕スターだけではなく、平成のウルトラシリーズでも欠かせない存在でした。長年に渡って様々な役をこなすことができる俳優さんはなかなかいません。

プライベートでは事実婚・破局・3度の結婚を経験

数多くの映画作品に出演してきた川地民夫さんのプライベートも充実されています。自身も健康上で苦しい期間があった中でも、映画の作品に出演し続けた頑張りをご紹介します。

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事実婚からの破局

川地民夫さんは、映画などで共演した女優の中原早苗さんと事実婚状態でお付き合いをされていましたが、結婚はせず早期に破局されました。友人である菅原文太さんと当時はよく飲み歩いていたこともあり、お付き合いは続きませんでした。

一般女性と結婚し子供を授かる

女優の中原早苗さんと破局をしてから、一般女性と川地民夫さんは結婚しました。子供は女児を2人授かりましたが7年で結婚生活に幕を閉じました。川地民夫さんが付き合った来た方は、綺麗な方達ばかりで結婚や離婚を繰り返すわけもかなりの男前だったかが伺えます。

離婚後に再婚をするが死別

一般女性と離婚されてから、宝塚出身の麻生薫さんと結婚します。川地民夫さんが行きつけの飲食店を運営されていたのが麻生薫さんの母親でした。そこから飲食店の手伝いをされていた麻生薫さんと付き合いが始まり、1975年1月に挙式し再婚しました。

 

麻生薫さんは1984年に卵巣癌を発症し、1988年10月13日に天国に旅立ちました。その悲しみからか、川地民夫さんの体の状態も悪く脊椎のケガや胃潰瘍などを患われ、映画などの作品への出演が減りました。健康上の問題で苦労されましたが、克服し仕事にも復帰されます。

 

毎年映画の作品に出演されてきた川地民夫さんも、自身の病と闘い復帰してからは、昔のように無理をせず、体に気を使いながらマイペースにお仕事を続けていましたので、数は減っても様々な作品に出演し活躍されました。亡くなる1年前までテレビやVシネマに出演しました。

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長い独身生活からの再々婚

宝塚出身の麻生薫さんが亡くなってからは長く独身を通していた川地民夫さんも、2001年に3度目の結婚をします。お相手は日本とフランス系アメリカのハーフの一般女性で、体と相談しながら仕事をし、穏やかな日々を過ごしました。

 

最期を看取ってくれたのも日本とフランス系アメリカのハーフの一般女性レスリーさんで、川地民夫さんは葬儀や告別式を家族や多くの人に送られて天国へ旅立ちました。喪主を務めたレスリーさんは、川地民夫さんが亡くなるまで一生懸命気丈に頑張っていたと伝えています。

川地民夫さんの葬儀は200人が参列

川地民夫さんの葬儀・告別式には多くの有名人も参列しました。昔から多くの映画作品に出演しており交友関係も広かったため、どのようなお葬式になったのかその内容をご紹介します。

葬儀・告別式は多くの方が参列

川地民夫さんは、2018年2月10日に脳梗塞のため死去しました。本名・河地猛=かわち・たけし)さんで享年79歳でした。神奈川・斎場二葉会館で営まれ、葬儀・告別式に参列した方は200人で親交のあったタレントさんが多く参列しました。

 

「三悪トリオ」として活躍されてきた元俳優の沢本忠雄さんが弔辞を読み、天国の故人に語りかけていました。川地民夫さんの人柄について語り、涙ながら戦友としての思い出を天国でも誇りに忘れないでと伝えました。葬儀・告別式の会場からその涙の声が漏れていました。

 

戒名は「映徹勇猛居士(えいてつゆうみょうこじ)」で、映画に人生を支えてきた意味があり、川地民夫さんそのものを語っています。仕事に情熱的で、周りの雰囲気を明るくする天性からみんなに愛されていた存在ということが葬儀でもよくわかります。

様々な人から愛されていた川地民夫さん

川地民夫さんと親交があった坂本一生さんによると、『どんなことがあっても、あきらめるな』と会うたびに勇気をもらっており、親父みたいな存在でいつも励まされていました。今まで映画人として歩んできた人生を川地節のように語る方でした。

 

そのため、天国に行っても周りの方を明るく笑顔で絶えないようにしながら、川地節を語り続けていると葬儀・告別式に参列したタレントの方々は語ります。それだけ、多くの方と交友を持ち、周りの方と楽しい時間を過ごしてきたことがわかります。

 

三悪トリオとして人気があった川地民夫さんの遺影は、ちょい悪親父ではなく2006年に撮影された優しい笑顔の写真でした。昔からの役柄を見ると怖いイメージが強いですが、実際は明るく素敵な人で多くの人に愛されていたことがわかります。

映画人として歩んだ人生の川地民夫さん

多くの映画に出演し、CDデビューや舞台など様々な活躍を見せてくれた川地民夫さんは、様々な方に愛されながら情熱をもって作品に取り組んでいた姿がよくわかります。亡くなる少し前までも映画に出演されたいた情熱はすごいです。

 

映画人として歩んできた人生ですから、天国でもその武勇伝などをネタに楽しく過ごされているかもしれません。数々の名作をまた見返して川地民夫さんの偉大さを感じてみましょう。