有賀さつきさんの葬儀 | 有名芸能人に起きた悲劇とその感動の結末

公開日 : 2020/6/15

更新日 : 2020/9/10

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フジテレビの人気アナウンサーで女子アナブームを巻き起こし、フリーになった後も活躍していた有賀さつきさん。スキャンダルで世間をにぎわすこともありましたが、52歳という若さで亡くなられたことは皆に惜しまれました。その最期はどのようなものだったのでしょうか。

公開日 : 2020/6/15

更新日 : 2020/9/10

目次

有賀さつきさんのプロフィール

52歳という若さで亡くなった有賀さつきさんの最期の様子が気になる人は多いと思います。それを述べる前に、まず有賀さつきさんの経歴について述べましょう。

1988年にフジテレビに入社

有賀さつきさんは1965年9月9日に愛知県名古屋市で生まれ、その後は東京で育ちました。小学校から高校までは都立校に通っていましたが、5歳から8歳の間に父の転勤でニューヨークに住んでいたため、帰国子女でもあります。そこで英語力を身に着けました。

 

またピアノを4歳から17歳まで習っていてとても得意ということです。1984年に都立九段高等学校を卒業し、フェリス女子大学院文学部英米文学科に入りました。そして1988年にフジテレビに入社したのです。

 

同期入社には河野景子さん、八木亜希子さんが居て花の三人娘と言われました。また青嶋達也さんも同期とのことです。なお有賀さつきさんはフジテレビに入る前に、文化放送の女子大生がディスクジョッキーを務める番組に出演したことがあります。

フジテレビの数々の人気番組に出演

フジテレビに入社後の有賀さつきさんは多くの番組に出演しています。FNNスーパータイムのスポーツコーナーやプロ野球ニュースなどスポーツを担当していますが、それ以外にもバラエティにも出演しています。とんねるずや志村けんのお笑い番組にも出ています。

 

有賀さつきさんの有名なエピソードとして、「旧中山道(きゅうなかせん どう)を一日中 山道(いちにちじゅうやまみち)と誤読した」という話がありますが、これは少しだけ違っていて、実際はきゅうちゅうさんどうと読み間違えたということです。

 

このことは有賀さつきさんにとって大きな出来事だったようで、その後は漢字検定準一級を取得しています。そしてさらに一級を目指していましたが、このことが有賀さつきさんの死に少しだけ関わってきます。

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フリーに転向、そして芸能界引退

有賀さつきさんは1992年にフジテレビを退社してフリーになりました。これはアナウンサーではよくあることですね。有賀さつきさんはタレントとしての活動を始めたのです。そして多くの人気番組に登場します。

 

有賀さつきさんはミュージックステーションでサブ司会を務め、他にも多くのバラエティ番組やお笑い番組に出演しました。また「さつき白書」という本も出版し、フジテレビの頃の経験をもとにしたエッセイを綴っています。

 

活躍していた有賀さつきさんですが、2000年に芸能界引退を表明します。1995年の不倫報道が関係しているとも言われますが、英語が得意だった有賀さつきさんは、翻訳家を目指すことになりました。

結婚と出産、そして離婚

有賀さつきさんは2002年にフジテレビの解説員の和田圭さんと結婚します。また二人で「実況解説!小泉劇場」という本を出版しています。これは当時の小泉政権をモチーフに日本の政治を分かりやすく解説した本で、とても好評でした。

 

そして2002年の11月に長女を出産します。有賀さつきさんは母になったのです。ところが2006年に和田圭さんと離婚してしまいます。長女の親権は有賀さつきさんが持ちました。タレント活動も本格的に再開しています。

 

後の本人の暴露話によると、和田圭さんとは結婚する気が無かったのに、妊娠していたことがわかったために結婚したということです。夫婦生活は最初から上手くいかなかったようですね。

資格マニアで多才な有賀さつきさん

有賀さつきさんは多才な人で、フランス料理のコンクール「シャルル・プルースト」のシニア部門で3位入賞しています。さらに非常にたくさんの資格を保有していました。

 

「近茶流懐石料理」本科、TOEIC930点、英語検定準1級、漢字検定準1級、モータースポーツライセンス国内A級、小型船舶操縦士2級、JAAアロマコーディネーターなど、正確にどれだけの資格を持っているのかわからないほどの資格を持っています。

 

それもそのはずで、フジテレビに居た頃に資格の勉強で忙しく、資格の勉強を理由に退社したほどなのです。有賀さつきさんは筋金入りの資格マニアだったと言えますね。またフリーになった後は母校のフェリス女学院大学で、アナウンス講座の講師を担当していました。

有賀さつきさんの闘病とその死

不倫や離婚といったスキャンダル報道にもめげずに芸能界で活躍していた有賀さつきさんですが、亡くなるまでの2年間は辛い闘病生活を送ったようです。それについて見ていきましょう。

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病気を周囲に隠していた有賀さつきさん

有賀さつきさんは亡くなる2年前の2016年から体調を崩すことが多かったそうです。周囲からも痩せたねと言われることが多かったようですが、本人はダイエットに成功したと明るく語っていたそうです。

 

またある時期からウィッグを付けるようになりましたが、周囲にはかつらを使うと髪をセットするのが楽だからと笑って説明していたようです。ところが痩せたことも、ウィッグを付けていたことも、実は闘病によるものだったのです。

 

有賀さつきさんは2017年の秋ごろに、兄弟がいないので父の介護をしなければならず、年内で引退すると周囲に話していました。しかし有賀さつきさんの父を知る人は、介護が必要な健康状態ではないことを知っていたので、不思議に思っていたそうです。しかしそれも病気で引退する事を隠すための嘘でした。

有賀さつきさんの突然の死に周囲は驚いた

有賀さつきさんは2018年の1月に、都内の病院に入院しました。その直前まで仕事をしていたので有賀さつきさんの父は不思議に思いましたが、突然、入院の身元引受人になって欲しいと頼まれたのです。

 

入院してから一週間後に有賀さつきさんの父はお見舞いに行きましたが、点滴はしていたものの元気に見えたので、すぐに退院できると思って安心したそうです。しかし有賀さんは実の父にも、本当の病名は伝えなかったのです。

 

その数日後の2018年1月30日に、有賀さつきさんは帰らぬ人となりました。実の父親ですら予想外のことだったので、有賀さつきさんの死には皆が驚きました。有賀さつきさんはその死の日まで、医療関係者以外の全ての人に病気を隠し通したまま、亡くなったのです。

 

 

病気の回復を信じていた有賀さつきさん

担当の看護師によると有賀さつきさんは入院した時にはすでに病気が重く衰弱していて、痛み止めも服用していたとのことでした。それでも回復を信じていて、病床で漢字検定1級の勉強をしていました。

 

有賀さつきさんはかつて旧中山道を読み間違えたと言われて漢字検定準1級を取りましたが、さらに上の1級を目指し、病気の痛みに耐えながら勉強していたのです。必ず治ると信じていた有賀さつきさんの強い信念が伺えます。

 

ただ有賀さつきさんは意識が亡くなる前に、まだ中学生の長女の事を気遣っていたそうです。有賀さつきさんも人の親だったということなのでしょう。

有賀さつきさんの葬儀の参列者は2名のみだった

たくさんのテレビ番組に出演し、有名人だった有賀さつきさん。しかしその葬儀は驚くべきものだったのです。

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有賀さんの葬儀の参列者はたった2人だけだった

2018年1月30日に有賀さつきさんは亡くなり、翌日の31日に通夜が行われました。ところがその通夜の参列者は、たった2人しかいなかったのです。その2人とは、有賀さつきさんの父と長女です。

 

その翌日の2月1日の告別式も、やはりその2人だけしか列席しませんでした。一般人の葬儀でもこれほど参列者が少ないことは普通無いことです。自分の死を最低限の人にしか伝えたくない有賀さつきさんの意志が感じられます。

 

葬儀に参列した有賀さつきさんの父は、他人に迷惑をかけたくないという思いが強かったのだろうと語っています。父と娘のみしか葬儀に参列させないという有賀さつきさんの意志の強さは、驚くべきものがあります。

一周忌で有賀さつきさんの父が語った真相

1年後の2019年1月30日に有賀さつきさんの一周忌が行われました。そこで有賀さつきさんの父により、新しい事実が語られました。有賀さつきさんは死の直前までフジテレビ同期の八木亜希子さんとLINE交換していたそうです。しかし親友の八木さんにも病名は伝えず、葬儀にも参列させませんでした。

 

そして有賀さつきさんの病名が明かされました。それは卵巣がんでした。実は有賀さつきさんは亡くなる3年前に、大阪の卵巣がんの名医の元で手術を受けました。有賀さつきさんの父も立ち会っていて、それで治ったと思っていたそうです。

 

有賀さつきさんは退院できたら、父と一緒に住む予定だったそうです。有賀さつきさんの父は東大卒でNTTに入社したエリートで、海外に勤務し、そのために有賀さつきさんは帰国子女になりました。それが娘がアナウンサーになる切っ掛けになったと思っているそうです。

 

有賀さつきさんの父が語る後悔と、未来への希望

有賀さつきさんの父は有賀さんのアナウンサーや芸能人としての激務を目の当たりにして、それが娘の命を削ってしまったと思っているそうです。娘の死後に娘の最後の確定申告を行い、その領収書の多さから芸能人の仕事の過酷さを再認識したとのことです。

 

有賀さつきさんの父は娘が離婚することになった時、元夫の和田圭さんを思いとどまるように説得しましたが、果せなかったそうです。和田さんが家庭内にも先輩後輩のヒエラルキーを持ち込んでしまっていると感じたようです。

 

有賀さつきさんの娘は高校生になり、インターナショナルスクールに通い、乗馬も始めたそうです。そして親権は和田圭さんに移り、二人は同居を始めたとのことです。有賀さんの娘が和田さんと仲良くやれるのか懸念されましたが、どうやら上手くいっているようです。

 

有賀さつきさんは若くして亡くなられましたが、有賀さんの結婚は無駄でなく、元夫と娘の絆は残って、その血は次代に受け継がれているのです。有賀さつきさんの生きた証はこれからも残って行くことでしょう。

女として輝いた人生を駆け抜けた有賀さつきさん

有賀さつきさんの人生とその最期を述べましたが、どう感じたでしょうか。有賀さつきさんの52年の人生は短かったですが、元夫と娘の絆は残り、将来への希望もあります。女として短くも充実した一生を送った有賀さつきさんが、あの世でどう思っているのか興味はありますね。