夏木陽介さんの葬儀 | 学園ドラマ「青春とはなんだ」で有名な俳優
公開日 : 2020/6/21
更新日 : 2020/9/10
夏木陽介さんは学園ドラマの先駆けと言われる「青春とはなんだ」で主演を務めた俳優です。自身で芸能事務所を立ち上げ、後進の育成やマネージメントも意欲的に行いました。レーサーの顔もあった夏木陽介さんの葬儀とは、どのような様子だったのか紹介していきます。
公開日 : 2020/6/21
更新日 : 2020/9/10
目次
夏木陽介さんのプロフィール
夏木陽介さんは昭和に活躍した俳優の1人で、2018年1月14日に死去しました。その活動の幅は広く、個人で芸能事務所を立ち上げ、自身のマネージメントの他に、後進の育成も行い多くの俳優、女優を世にデビューさせています。
夏木陽介さんのプロフィールや生い立ちを有名になったきっかけと共にご紹介していきます。
夏木陽介さんの性格
夏木陽介さんは、気が強く喧嘩っ早いことで知られていて、出演していたドラマ作品のプロデューサーと口論して降板になったり、撮影を邪魔した見学客と喧嘩したエピソードなどが付き合いのあった俳優から語られています。
立場や年齢に左右されず、正しいと思ったことは貫き通す物怖じしない姿勢は、頼りになる存在としても見られ、先輩、後輩どちらからも信頼されていました。
夏木陽介さんのデビューのきっかけ
夏木陽介さんは東京都町田市にある桜美林高等学校の出身で、卒業後は明治大学経営学部に進学しています。大学在籍時に10代向けの雑誌「ジュニアそれいゆ」のモデルとしてスカウトされ、俳優の道を歩み始めました。
モデルとして活動しながら、大学卒業後に映画の製作などを行っている「東宝株式会社」に入社しました。夏木陽介という芸名は、その時に名付けられています。入社した後にすぐ映画デビューして、俳優としての実績を積んでいきました。
黒澤明監督や熊谷久虎監督の作品に出演したことで顔が知れ渡り、テレビからも出演依頼が来て、ドラマに出るようになりました。その後は出演したドラマが大ヒットして、俳優として成功を収めています。
ドラマ「青春とはなんだ」が大ヒット
「青春とはなんだ」は、夏木陽介さんと藤山陽子さんのW主演の学園ドラマで、石原慎太郎さんの同名の小説を元にして制作、放送されました。夏木陽介さんは高校の英語を担当する教師役です。
ドラマは高視聴率を記録して、「青春とはなんだ」の映画版「これが青春だ!」も制作されました。「これが青春だ!」もヒットして、夏木陽介さんは教師役としての印象が強い俳優として認識されるようになったのです。
それまではビジネスを優先した考えで、ほとんどテレビドラマには出演していなかったのですが、1968年以降は意欲的に出演しています。そのおかげもあり、お茶の間でも広く知られる有名な俳優として人気も上昇していきました。
生涯独身を貫いた
幅広く活動していた夏木陽介さんは、生涯結婚することはなく、独身でした。俳優の仲間の間では女性には淡泊、車に熱心と言われていたそうです。しかし相当モテていたそうで、英語も堪能だったので、海外の女優とも仲良くしている様子が度々見られていました。
1つの物事に固執せず、広い視野を持って活動する生き方は、夏木陽介さんの魅力を高めていました。
車好きで有名だった
俳優として世の中に知れ渡った夏木陽介さんは、自動車が好きなことでも有名で、レーサーの活動もしていました。それも趣味の範囲ではなく、企業のサテライトチームの監督を務めていて、ドライバーの育成も手掛けていたのです。
夏木陽介さんのレーサーとしての活動、車遍歴をご紹介していきます。
ラリーレーサーとしてパリダカールラリーに出場
パリダカールラリーは「世界で一番過酷なモータースポーツ競技」として有名なラリーレイドの競技大会で、1日500kmから1,000kmのコースを何日も走り続けるものです。夏木陽介さんは1985年と1986年に出場しています。
また1987年から1993年は、三菱のサテライトチーム「チーム三菱・シチズン夏木」の監督を務め、篠塚建次郎さんを復帰させています。篠塚建次郎さんは復帰後、日本人初のパリダカールラリー優勝者となりました。
俳優では事務所を立ち上げ後進を育成して、レーサーとしても監督になりドライバーの育成やサポートをするという偉業を成し遂げ、どちらの業界からも高く評価されています。依頼は多く、レーサーの仕事が忙しいので俳優業を控えめにすることもありました。
車遍歴は驚きの豪華さ
夏木陽介さんの車遍歴は輝かしいもので、豪華な車を次々と愛車にしていました。16歳で日産自動車のダットサン15型フェートンを愛車にして、22歳でMG-TD、24歳でジャガー XK120、ルノー4CV、フォードサンダーバードと若い内から様々な車に手を出しています。
25歳ではポルシェ356、26歳ではMGMGAと絶え間なく愛車を変えていて、最終的には79歳でジャガーEタイプを愛車にしていました。夏木陽介さんの車遍歴はテレビ番組で取り上げられることもあり、大の車好きとして知られています。
2017年には80歳でしたが、車の手入れは欠かさず、ドライブも頻繁に行っていたそうです。
後年には軽い脳梗塞が見つかっていた
俳優、レーサーとして活動を続けていた夏木陽介さんですが、後年には脳梗塞が見つかり、治療をしていました。夏木陽介さんの病気に関する情報をご紹介していきます。
入院治療や摘出手術もしていた
夏木陽介さんは2009年に軽度の脳梗塞が見つかり、治療のために短期の入院をしています。さらに2010年には左腎臓に悪性腫瘍が発見され、摘出手術を受けました。元々胆石に悩まされていて、その経過を観察するための検査で腫瘍が発見されたのです。
2014年には個人で立ち上げていた芸能事務所「夏木プロダクション」を解散したことで、体調を心配されていましたが、2015年に再度事務所を立ち上げました。病院で寝たきりということはなく、その後2017年のまで活動を続けています。
それまで元気に活動していた夏木陽介さんですが、同年の10月に肺炎で入院して、回復後のリハビリ中に倒れ、検査の結果で腎細胞癌が発覚し、再び入院しました。入院中は食事もしっかりとり、回復する予定でしたが12月27日に容体の変化、1月14日に亡くなりました。
訃報は公式ブログで発表
夏木陽介さんの死去は、公式のブログ「夏木陽介、風の中を走る」で発表されました。交流があった小説家の山川健一さんの代筆により死去したことを綴っています。タイトルは「夏木陽介氏が逝去されました」というもので、驚きと悲しみが入り混じった内容です。
夏木陽介さんの末期の様子が語られていて、10月には自動車関係の仲間で集まったこと、12月に見舞いに行った際には元気な様子で冗談を飛ばしていたこと、最後は家族に見守られて亡くなったことなど、丁寧な文章で、詳しく載せられています。
山川健一さんは夏木陽介さんのことを最高の先輩で、親友で太陽のような人と語っていて、その仲の良さが伺える内容でした。また葬儀とは別のお別れ会の準備も山川健一さんは手伝っています。
公式ブログには多くのコメントが寄せられた
山川健一さんが代筆した夏木陽介さんのブログには、ファンや交流のあった関係者からのコメントが寄せられています。ダンディーで格好良かった、子供の頃からファンでした、などの温かいコメントで溢れ、夏木陽介さんの人気が分かります。
夏木陽介の葬儀の様子は?
俳優、事務所の社長、レーサーとしてなどの顔を持つ多才な夏木陽介さんの葬儀がどのようなものだったのか、ご紹介していきます。
葬儀の規模
夏木陽介さんの葬儀と告別式は、近親者だけで執り行われ喪主は弟の博さんが務めました。家族葬となり、詳しい規模や内容は公表していませんが、親しい人だけでしめやかに行われたものとされています。
夏木陽介さんの訃報を聞いた関係者、先輩や後輩の俳優、レーサー仲間などからもブログと同様に、死を悼むコメントが寄せられ、テレビでは追悼番組が放送されました。11月までは元気な姿を見ていた人もいて、ショックを隠せない様子の声も上がっています。
交流があった俳優の原田大二郎さんは「兄貴として接してくれた」「永遠の若者だった」と生前とても良くしてもらったことを語り、別れを悲しんでいました。
お別れ会には多くの人が参列
夏木陽介さんのお別れ会では、司葉子さん、宝田明さん、竜雷太さん、中村雅俊さん、原田大二郎さん、藤田三保子さん、星由里子さん、篠塚建次郎さんなど「青春とはなんだ」「これが青春だ!」の共演者や他の映画作品で交流のあった総勢320人が集まりました。
お別れの会は夏木陽介さんの思い出話に花が咲き、本人の人柄を表すような明るい会となりました。宝田明さんからは英語が上手でアメリカの女優と仲が良かったと言う話を語り、中村雅俊さんは生き方自体がかっこいいなどとそれぞれの思い出を話しました。
会場には夏木陽介さんが出演した作品のポスターや、愛車のジャガーなど50点以上が飾られていました。会の最後には「青春とはなんだ」の劇中歌として使われた「貴様と俺」を全員で合唱して、締めくくられました。
学園ドラマの先駆け作品で主演を務めた夏木陽介さん
夏木陽介さんの俳優やレーサーとしての活躍、葬儀やお別れ会の様子などをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。夏木陽介さんの出演した学園ドラマは豊富に出ている学園系の作品の先駆けとなった作品で、現在までに大きな影響を与えてきたことでしょう。
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