織本順吉さんの葬儀❘延命治療を受けずに老衰で迎える最後の時
公開日 : 2020/6/4
更新日 : 2020/9/9
2019年3月18日午後、老衰のため織本順吉さん逝去されました(享年92歳)。数々のテレビドラマや映画に精力的に出演し続け、幅広い役柄を自在にこなし、90歳を過ぎても現役であり続けた名俳優の最後は一体どのようなものだったのかを詳しく解説します。
公開日 : 2020/6/4
更新日 : 2020/9/9
目次
織本順吉さんのプロフィール
日本映画の創世記から俳優として活躍してきた織本順吉さんは、映画ファンであればその作品に触れる機会も多く、その最後は気になるところではないでしょうか。まずは、織本順吉さんのプロフィールをご紹介し、その功績を解説していきます。
織本順吉さん:出生
織本順吉さんは、1927年2月9日神奈川県横浜市に生まれます。本名は中村正昭(なかむら まさあき)、芸名の「織本順吉」は、出身地の折本町から姓をいただき「織本」とし、志賀直哉の小説「大津順吉」から、名をいただき「順吉」にされたそうです。
身長174センチ・体重72キロ・血液型はB型。
学歴は神奈川県立工業学校卒業(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)
織本順吉さん:幼少期~青年期
織本さんは、工業高校時代の1944年3月から7月までの4ヶ月間東芝通信機で働きますが、その折に工場内で開催された慰安芸能会という催し物で、なんと優勝して賞金まで獲得してしまいます。
その後は、工員として懸命に働き演劇とは無縁の生活を送りますが、勤労動員時代の上司に事務職を推薦されてからは、当時東芝で活発だった労働組合を手伝うようになり、次第に労働組合の文化部が主催する職場演劇にも参加、その後は仕事を終えてから演劇学校に通うなどして、俳優業を目指すことになります。
新劇団結成から遺作まで
ひょんなことから会社の劇団に入り、演技の魅力に魅了さることになる織本順吉さんですが、どのような経緯で俳優としての階段を駆け上ったのでしょか?ここでは、織本順吉さんの俳優としてのキャリアを舞台デビューから遺作まで、駆け足で解説します。
初舞台は新協劇団
仕事をしながら趣味である演劇を続けてきた織本順吉さんですが、ある日職場である「東芝」から解雇されてしまいます。この職場の解雇をきっかけに、織本順吉さんは本格的に役者を目指し始めるます。
映画やドラマの印象が大きい織本順吉さんですが、初めは新協劇団の舞台役者としてデビューします。時代はまだテレビの娯楽が普及する以前の1949年のことです。ちなみに初めての演目は、「破戒」の丑松の役でデビューを果しています。
その後、1954年に新協劇団を退団して新たに劇団青俳を結成し、役25年にわたり同劇団の幹部俳優として、多くの演目に出演し演劇界でのキャリアを積み重ねてきました。この際の劇団青俳には後の大スターとなる「岡田英次」「西村晃」「木村功」「高原駿馬雄」なども在籍しています。
映画デビューは「美しき歳月」
織本順吉さんの映画デビュー作は小林正樹監督の松竹「美しき歳月(55年)」、ドラマの初出演はNHKの放送開始直後の作品「ビルマの竪琴(55年)」に水島上等兵役で初出演しています。
近年ではドラマではフジテレビ「最後からー(12年、14年)」に出演し、中井貴一さんと息の合った軽妙な掛け合いを繰り広げ、老いてなおその演技力と存在感を示しています。
代表作は「仁義なき戦い」
数々の映画やテレビドラマに出演してきた織本順吉さんですが、代表作が何になるのかは非常に困ってしまいます。しかし、どれか一つをあげるとするならば、1970年当時の社会現象になるほど人気映画「仁義なき戦い」でしょう。
この映画中で、織本順吉さん演じるやくざの親分がきっかけとなり、以降悪役の依頼が殺到することになります。現代映画ならやくざ、時代劇なら悪代官といった具合に、徐々に織本さんの芝居は悪役一本に偏ってしまうのです。
このような状況を好まない織本さんは、次第に悪役に飽きてしまい、ある撮影現場で悪役の演技をすることなく、ニコニコと朗らかな演技をしてプロデューサーに怒られたそうです。それ以降、映画監督の間には「織本は悪役をやりたくないらしい」と言われるようになり、結果的に幅広い役柄を頂ける役者になったと言われています。
ちなみに、悪役を演じるようになった経緯について織本さんは次のようなコメントをしています。何とも実直な性格が現れた、瀧本さんらしい素敵なコメントです。
僕は若くして頭がハゲてきました。だからといって、髪を植えるわけにはいかない。それなら、太ったら、悪役ができるんじゃないかと思って、太りました。ですから、若い時の作品を観ると、自分だと気づかないくらい太っているんです。 それで、悪役に向くようになっていきました。悪役というのは、条理に適わないことを無理に人に押しつける役だとおもいます。ですから、押しつけがましい芝居をしていたと思います。
織本順吉さんの遺作
2019年に長女である中村結美さんが撮影した、ドキュメンタリーの続編「老いてなお 花となる 第二章~俳優・織本順吉92歳~」が放送されましたが、これはあくまでもドキュメンタリーとしての映像といえます。
俳優、織本順吉さんの遺作は2017年にテレビ朝日系列で放送された「やすらぎの郷」への出演が最後の仕事となり、この作品が遺作となりました。このドラマで織本順吉さんは壮絶な臨終のシーンを演じきり絶賛されています。
実は、このドラマを最後まで演じることができるのか、織本さんの家族は心配して脚本家の倉本聰さんからメッセージをいただいています。そのメッセージとは「老いを得て咲く花もある。そこにいるだけでいいのです」なんとも織本順吉さんにふさわしく、演劇を知り尽くした倉本聰さんらしい言葉です。
実際に、織本さんは老いた老人を演じきり、老人しか出すことができない雰囲気を見事に披露します。やはりリアルに老人の役を演じきるには、90歳を超えた織本さんにしかできない領域の演技だと納得させられます。
織本順吉さんの最後
数々のテレビドラマや映画に出演し、その高い演技力と抜群のセリフ覚えで、生涯を映像の現場にささげてきた名俳優の最後とはどんなものなのでしょうか。ここでは、織本順吉さんの最後の様子・死因・葬儀などに触れて行きます。
最後の様子
織本順吉さんが亡くなったのは、2019年3月18日午後0時2分となっています。生前の織本順吉さんは、足腰がかなり弱り自宅での歩行も困難な状況なため、病院へ入院していたそうです。その入院中徐々に体の機能が低下していき、最後は眠るようにこの世を去ります。死因は「老衰」です。
延命治療を拒否
「役者は出番が終わったら静かに去っていくべきだ」という言葉通り、「老衰」でお亡くなりになった織本順吉さんは、病院に入院してから一切の延命治療を拒否して、ご自身の寿命を忠実にまっとうしてこの世を去りました。
その様子を見ていた担当医からは「見事な老衰でした」とのお墨付きをいただき、92歳の寿命を、自らの意思を反映し安らかに終わらせます。
葬儀・墓所
沢山の映画・ドラマに出演し、制作サイドからの信頼もあつく、特に多くの俳優に支持されてきた織本さんですが、以外にも葬儀は近親者のみで密葬を行っています。
この際には「故人の遺志により弔問・香典・供花・供物はご辞退申し上げます」との告知がなされたことを考えると、葬儀は親族でもごく身近な家族葬の形態で行われたようです。なお、墓所については所属事務所側も親族側も、特に発表することはありませんでした。
織本順吉さんへ寄せられたコメント
密葬で行われた織本順吉さんの葬儀は、親しい家族のみが出席する葬儀のため、芸能人が行う大規模一般葬のような弔事を読む場面や、お別れの言葉をかける場面はありませんでした。それでも、作品を共にした方や家族からコメントが発表されましたので紹介いたします。
織本順吉さんを回想する中井貴一
中井貴一さんは公式ブログにて次のようなコメントをしています。
「撮影が終わる度に『貴一さん、俺この番組大好きなんだよ。番組が続く限り、出してよね』と、よく仰っていらっしゃいました」「再びご一緒出来ず、その事だけが悔やまれます」 「スタンバイ時間に助監督が椅子を差し出しても『ありがとう、俺は立ってる方が良いんだ。』と仰って、チャーミングに笑われた笑顔が忘れられません」と振り返り、「最後まで、本当にお見事でした。ご冥福を、心よりお祈り致します」と慎んだ。
また、織本順吉さんの娘でもある中村結美さんは次のコメントをしています。
「本当に幸せな役者人生でした。90歳まで現場に出られたのは、老いた俳優をいたわり、お付き合いくださった全ての方々、そして作品をご覧くださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました」
織本順吉さんの家族
最後に織本順吉さんのプライベートについても触れておきます。あのような偉大な俳優の奥様やお子様はどのような方なのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
織本順吉さんの奥様とお子様は?
織本順吉さんの奥様は一般人とのことで、詳しい情報はわかりませんでした。また、記事の冒頭でも触れていますが、お子様は女の子がおり、その娘さんは現在放送作家として活動されている、中村結美(なかむら ゆみ)さんです。
娘が撮影したドキュメンタリー作品
父である織本順吉さんを娘である中村結美さんが撮影したドキュメンタリー「老いてなお 花となる~織本順吉 90歳の現役俳優~」がNHKBS1で放送されています。
この作品の中で、監督である中村結美さんは、90を越える俳優であり父である織本順吉さんを淡々と記録していきます。作中には、ありのままの家族の姿を映し出されていて、家族のみが撮影できる、織本順吉さんを身近に見ることができます。
作中のエピソードには、自身の親が老いていく様が鮮明に記録されており、若干のいざこざもありながら、家族とは何なのか、老いとは何なのかを身近に感じさせるドキュメンタリー作品です。俳優織本順吉ではなく、一人の老人としての織本さんがいます。
淡々と撮影する映像を織本さんも病院のベッドでご覧になり、非常に満足する作品であるとコメントを残しています。親子であっても俳優と監督という特殊な関係は、生涯を映像に捧げた織本順吉さんとっては、むしろ心地よい関係なのかもしれません。
最後まで役者として生きた織本順吉さん
90歳を超えてもなお現役で俳優を続け、迫真の演技でその生涯出演本数2000本以上の最後を締めくくった名脇役は、最後まで俳優業をまっとうして、最後は自然の流れに身を任せてお亡くなりになりました。
入院後はベッドで過ごされることも多かったですが、自身のドキュメンタリー映像を見ながら「俺は幸せな役者。感動して眠くなんかならない」と感想を述べるなど「現役俳優」を貫こうとする姿勢は、生涯変わることはありませんでした。
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