市原悦子さんの葬儀|大好きな樹木に囲まれて眠りについた市原さん
公開日 : 2020/6/8
更新日 : 2020/9/9
2019年1月12日、女優の市原悦子さんがお亡くなりになりました。82歳でした。市原悦子さんは、大好きな樹木に囲まれた、「樹木葬」という葬儀を行いました。市原悦子さんといえば「家政婦は見た!」で有名ですが、市原さんの経歴についても触れながら、解説していきます。
公開日 : 2020/6/8
更新日 : 2020/9/9
目次
市原悦子さん逝去
「家政婦は見た!」で知られる女優の市原悦子さんが、2019年1月12日にお亡くなりになりました。82歳でした。死因は心不全でした。市原悦子さんの葬儀は1月17日に東京の青山葬儀場で営まれましたが、多くの俳優の方がお見送りされました。
弔辞ならぬ“弔歌”を歌ったのは20年以上も市原悦子さんと親交のある、ゴダイゴのミッキー吉野さんでした。俳優の竹中直人さんも市原さんと親交があることで知られています。竹中さんは涙を流しながら、市原さんへの感謝の思いを伝えました。
市原さんは夫・塩見哲さんと同じ、関東近郊のお寺の樹木の下に眠りました。近年少しずつ注目を集めている樹木葬です。
市原悦子さんのプロフィール
市原悦子さんのプロフィールをご紹介します。市原悦子さんは1936年の1月24日に千葉県の千葉市に生まれました。
市原悦子さんは高校卒業後に早稲田大学第二文学部に進学し、演劇専修部を卒業します。その際に、銀行員である父親の薦めで銀行に就職することが決まっていましたが、演劇や舞台への夢を諦めきれずに、俳優座養成所に入ります。
そして1957年にデビューし、同年には新人賞を受賞、翌年には文化庁主催の芸術祭奨励賞を受賞し、演劇女優としての地位を確立しました。代表作は「家政婦は見た!」、「まんが日本昔ばなし」、「赤い殺意」などがあります。映画「黒い雨」では第13回日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞しています。
順調に演劇女優としてのキャリアを積み重ねていたのですが、2016年に自己免疫性脊髄炎を公表し休業します。その後、何度か復帰を果たしましたが、2018年12月に盲腸を患い、その一週間後に心不全で永眠しました。
市原さんの最後の仕事
市原さんは2014年に最愛の夫、塩見哲さんに先立たれてからも精力的にお仕事を続けていらっしゃいました。しかしその2年後の2016年、自己免疫性脊髄炎という難病にかかってしまいます。
脊髄炎は神経の束である脊髄に炎症が起きている状態であり、運動や感覚に影響が出ます。手足が動かしづらくなったり、排泄に問題が生じる場合もあります。しかし市原さんはリハビリを続け、2018年に仕事に復帰されました。
深夜のバラエティー番組のナレーションでしたが、その収録方法は自宅のマンションのベッドで行うという異例な物でした。仕事に対して強い意志を持って取り組まれる市原さんらしい出来事です。
市原悦子さんが眠る場所
市原悦子さんのお墓は生まれ育った千葉県の房総半島、その山の中にあります。樹木葬であるため、その横には木が植っていますが、傍に墓碑も立っています。墓碑には夫、塩見哲さんの名前と、市原悦子さんの名前が彫られました。
市原さんは塩見さんとご結婚されているため、本名は「塩見悦子」となります。芸能界でも有名なおしどり夫婦であった市原さんは、どうして塩見の名前で墓碑を刻んでもらわなかったのでしょうか。
それは、ファンの方を思う市原さんらしい理由からでした。家政婦役としてサスペンスドラマの女王であった市原さんには、特に女性のファンの方が大勢いらっしゃいます。市原さんのお墓を訪ねる方も多くいます。
その方々にわかりやすいように、塩見ではなく市原の旧姓でお墓を作られたのです。
市原悦子さんの経歴とエピソード
市原悦子さんは、1936年1月24日に千葉県に生まれました。高校時代から演劇を始め、早稲田大学時代は演劇学を学びました。銀行に就職が決まっていたのにもかかわらず、好きなものを諦められず、就職を断って俳優座に所属するなどの一幕もあったようです。
雑誌『新劇』、『千鳥』などで新人賞を受賞し、新劇女優として高い評価を受けていきました。また、『まんが日本昔ばなし』など、声優・ナレーターとしても活躍されました。
1983年からは『家政婦は見た!』シリーズで人気を博し、25年以上も続くサスペンスドラマの代名詞となり、これまで以上にお茶の間で名前の売れた俳優となったようです。
また、夫で演出家の塩見哲さんとは芸能界きってのおしどり夫婦として知られました。塩見さんが亡くなってからも仕事を続けましたが、その後体調を崩され、2019年、塩見さんと同じ木の下で永遠の眠りに疲れました。
市原悦子さんの反戦への思い
市原悦子さんは『家政婦は見た!』での姿の他にも、反戦の思いを表明していたことでも知られています。戦争の記憶を後世に語り継ぐこと、戦争の童話の読み聞かせをするなどです。
1936年に生まれている市原悦子さんは5歳の時に太平洋戦争が開戦され、9歳の時に終戦を経験しました。小さな子供だった市原さんは、空襲に巻き込まれて命を落としかけたこともあったそうです。市原さんはご自身の著書でこのように述べています。
「戦争をなくすこと、世界の問題と関わることも、女優の大事な仕事」『白髪のうた』(春秋社)
戦争の記憶を風化させないための活動は、市原悦子さんのライフワークでした。
家政婦は見た!の大ヒット
『家政婦は見た!』は1983年から2008年まで25年もの間続いた土曜ワイド劇場のテレビドラマです。
市原悦子さん演じる石崎秋子が家政婦としてある家庭に派遣され、最後にその過程で見聞きしたことを全て話すというストーリーですが、世相が反映されたり当時のスキャンダルが盛り込まれたりと、ユーモアに富んだ内容です
原作は松本清張さんです。石崎秋子は市原さんと同じ千葉県出身で1936年生まれという設定です。上流階級の闇や見栄。欺瞞を暴く石崎秋子は庶民のヒーローのような存在でした。
樹木葬
市原悦子さんの葬儀でも知られるようになりましたが、近年樹木葬という埋葬の仕方が注目されています。お墓に関しては、近年核家族化が進み、お墓参りやお墓の管理ができないという問題が発生しています。
樹木葬は、亡くなられた方のお気持ちを尊重しながら、お墓の管理が難しい現代において、その効力を発揮する埋葬の仕方です。
市原悦子さんは千葉県出身ですが、生まれ育った千葉の山の中の、「えのき」という樹木のもとで眠っています。夫の塩見さんと並んで、墓碑が建っています。樹木葬について、その樹木の種類などについて解説していきます。
樹木葬に使われる樹木
樹木葬の使われる樹木をご紹介していきます。ヤマツツジは樹木葬で多く使われている木です。ヤマツツジの利点は、背があまり高くならないところです。埋葬する木があまり大きくなると、根などが広く張ってしまいます。
可愛らしいオレンジ色の花を咲かせる所も人気の理由の一つです。桜も樹木葬では多く用いられています。桜は日本人は一番好きな樹木です。毎年家族が桜の木の下に手を合わせに来てくれると思うと、心が安らいできませんか。
ハナミズキといえば日本では歌が有名ですが、木はそれほど大きくなく、一年中変化を楽しめるめるため、樹木葬に人気の高い樹木です。
市原悦子さんはエノキという木を好み、実際にエノキという木のもとに眠っています。エノキの下に眠り、土に還ることを望んだようです。
樹木葬の霊園となる場所
樹木葬の霊園となる場所は主に三つあります。一つ目が比較的小規模なガーデン、二つ目が通常の墓地と同じような公園型の霊園、三つ目が自然に存在する山を中心にした里山です。
通常のお墓だと公園型の墓地という選択肢が基本ですが、樹木葬であれば色々なパターンがあります。
市原悦子さんとその旦那さんがお寺の中の木に散骨されているように、紹介した三つ以外にも他にいろいろなやり方があります。興味がある方は調べてみてもいいでしょう。
樹木葬の埋葬の仕方
樹木葬には、埋葬の仕方が主に二種類あります。通常のお墓であれば自分の区画があって、自分の墓石があって、その下で眠りますが、樹木葬はそうとは限らないのです。一つ目は「集合」というやり方、二つ目が「個別」というやり方です。
「集合」は一人一人の樹木は存在しませんが、遺骨を収めるところが他の人と区別はつかないので、ここが大きな特徴となっており、安価でもあります。
「個別」は通常のお墓の形式の墓石が樹木に変わったと考えればわかりやすいでしょう。一人ひとりに樹木と小さな墓碑があり、家族や夫婦で同じところに眠ることができるようになります。
それぞれの特徴を知ることでどの埋葬の仕方がいいかわかります。ちなみに市原悦子さんは、集合ではなく、個別という形で樹木葬を選択されました。
最期まで人を気遣っていた市原悦子さん
市原悦子さんは自分の仕事に対する姿勢を強くお持ちでしたが、気さくで多くの人から好かれる方でした。お亡くなりになる直前までお仕事をされていましたが、ちょうど亡くなった日に放送された番組で、市原さんの訃報は伏せられていたと言います。
演劇、舞台の世界で圧倒的な実力を誇り、サスペンスドラマで大変な人気を博した市原悦子さんは、最期の瞬間まで気遣いをされながら、鬼籍に入られました。
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