松原裕さんの葬儀|音楽界で“楽しいこと”を追求し続けた男
公開日 : 2020/5/28
更新日 : 2020/9/2
神戸市にあるライブハウス「太陽と虎」の社長として知られる松原裕(まつばらゆたか)さんが2019年4月4日に逝去されました。音楽フェスティバルの開催やライブハウスのオーナーとしてミュージシャンからオーディエンスまで、たくさんの方に愛された松原さんの葬儀とその人生についてお話ししていきます。
公開日 : 2020/5/28
更新日 : 2020/9/2
目次
松原裕さんが逝去
2019年4月4日、松原裕(まつばらゆたか)さんが腎臓がんのためお亡くなりになりました。葬儀は4月6日に近親者にて営まれましたが、同年12月23日に神戸国際会館にて、自由参加のお別れの会が行われました。
松原裕さんは、神戸市のライブハウス「太陽と虎」のオーナーであり、「太陽と虎」を運営する会社「パインフィールズ」の代表取締役でもありました。音楽フェスティバル「COMIN’ KOBE」の実行委員理事長も務め、音楽業界、ライブの業界では大変有名で、多くのミュージシャンから慕われていた方です。
腎臓がんのために、39歳という若さで永遠の眠りにつきました。彼が行ってきた音楽界への貢献や、病気すらも面白く語るような、“何事をも楽しむ”姿勢をお伝えできたら幸いです。
ライブハウス太陽と虎
松原裕さんといえば、まず何よりも神戸市のライブハウス「太陽と虎」のオーナーとして知られています。「太陽と虎」は音楽の街として知られる神戸の中でも最も有名と言っても良いライブハウスです。
オールスタンディングで250名が入るハコですが、音楽関係者やバンド好きの若者だけでなく一般に名が知れ渡るバンドが、かつても、有名になってからも出演しています。設立は最近で歴史は深くないのにこれほど多くのミュージシャンから慕われているのは、松原さんの人柄によるものです。
設立と名前の由来
「太陽と虎」は2010年に設立されました。バンド活動をしていた時に知り合った松原裕さんと風次さんという方が30歳になった年に二人で立ち上げました。店長は風次さんで、オーナーと、「太陽と虎」の運営会社の社長も松原さんです。
二人は対バンをした時に知り合い、その後同じライブハウスで働いて親交を深めました。二人の夢は、自分のライブハウスを持つこと。その夢が叶ったのが2010年であり、ライブハウス「太陽と虎」であるのです。コンセプトは「音楽動物園」です。
風次さんは店長であると同時に園長であると自負されています。
関係の深いバンドたち
「太陽と虎」に関係が深く、地上波にも登場するような有名なバンドが数多くいます。「太陽と虎」と親交が深い地元のバンドには、テクノとロックを融合させた、全員が神戸大学出身という高学歴バンド「パノラマパナマタウン」がいます。
また彼らの音楽に中毒されるファンが続出している「フレデリック」は、数々のフェスに引っ張りだこで、いつも最高潮に盛り上がるキュウソネコカミなどもいます。さらに、日本だけでなく世界規模で活躍しているHi-STANDARDなども、「太陽と虎」に度々出演しています。
打ち上げへのこだわり
松原さんや風次さん「太陽の虎」の人気が高いわけは、その打ち上げにあります。彼らはとにかく楽しいこと、仲良くなることを大切にしています。松原さんは自身のバンド時代の経験もあり、打ち上げで色々なアーティストと仲良くなることが重要であるということに早くから気がついていました。
彼はきっと「重要である」などという言葉は使わずに、「いっぱいの人と仲良くなった方が楽しいやん」と簡単におっしゃるでしょうが。風次さんもコスプレをして毎回の打ち上げに参加したり、「太陽と虎」の打ち上げはとにかく盛り上がるようです。
COMIN’ KOBEの開催
松原裕さんを語る上で欠かせないのが、阪神淡路大震災で支援を受けた神戸からの恩返しの意味を持つ、毎年入場無料で行われる大規模音楽イベント、「COMIN’ KOBE」です。彼は開催当初から実行委員理事長を務め、このフェスティバルの成功に尽力してきました。
「COMIN’ KOBE」は会場が複数あり、各会場にもステージが複数設けられて、全部で10を超えるステージがある大規模な音楽イベントです。とても有名なアーティストも、今から売れようと努力を重ねる若者たちも同じように舞台に立てる貴重な機会でした。
このイベントでは毎年募金を募り、東日本大震災と熊本自身の被災地の小学校などに寄付を行っています。
松原裕さんの命を奪った腎臓がん
松原裕さんが39歳という若さで亡くなったのは、腎臓がんという病気のためです。日本人の死因のトップ3に存在するがんですが、腎臓がんはその中では非常に罹患される方が少ない病気です。がんの中では約1%と言われています。
がんは、特に男性は肺がんに罹る方が圧倒的に多く、胃がん、肝臓がんなどが続きます。あまり認知されていない腎臓がんですが、その原因や症状、治療法についてご紹介していきます。松原さんは闘病生活を続けながらもブログを更新し続けました。
松原さんのブログからも、腎臓がんがどれほど恐ろしい病気なのかを知ることができるでしょう。
腎臓がんの概要
腎臓がんとは、その名のとおり腎臓の中にできるがんのことです。腎細胞ががん化して、悪性腫瘍になってしまうことをがんと言います。似た名前で「腎うがん」というのがありますが、それとは異なる病気です。
腎臓がんにかかられるのはがん全体の約1%で、男性の方が女性よりもかかりやすいです。また、この病気は40歳を超えてから発症される方が多く、喫煙者は非喫煙者に比べて約二倍のリスクがあります。
症状の項でもご説明しますが、腎臓がんの怖いところは、自覚症状がほとんどないため、発見される頃には病気がかなり進行しているというところです。
腎臓がんの原因
腎臓がんの主な原因は、喫煙や肥満、高血圧など、生活習慣に関わることです。また、腎臓の機能が落ちて人工透析を行なっている方が併発しやすいです。原因を見てわかるように、長い時間をかけて形成される毎日の習慣が、病気を誘発しているようです。
喫煙者の発症リスクが非喫煙者に比べて二倍であることは解説しましたが、肥満の方はそうでない方に比べて、約四倍もの発症リスクがあることも報告されています。また、ある遺伝子に関わる難病とも関連があることがわかっています。
腎臓がんの症状
腎臓がんの症状ですが、初期症状はほとんどありません。これがこの病気の恐ろしいところです。自覚症状がないため、人間ドックや定期検診の機会が無いと、発見することが非常に難しいのです。
腎臓がんが進行すると、血尿が出る、お腹にしこりができる、背中が慢性的に痛む、などの症状がでます。腎臓がんは初期症状がほとんどないため、腎臓がんが転移した先のがんが先に見つかる場合もあります。腎臓がんは肺や骨に転移することがあります。
腎臓がんの診断方法
腎臓がんの検査診断をするのは、画像検査が基本となります。診察を経て、腎臓がんが疑われる場合には、まずエコー検査が行われます。超音波検査とも言います。その後、造影剤を飲んでCT撮影を行います。
造影剤にアレルギーがある方などはMRI検査も併せて行う場合があります。MRI検査の方が詳細なデータが採れます。そのほかにも、病理検査や血液検査、PET検査なども合わせて行い、確定診断がなされます。
がんであるため、触診や問診ではもちろん判別できません。体の内側を撮影する検査が用いられることになります。
腎臓がんの治療
腎臓がんの治療は、根治を目指すためにはそのがんの進行度にかかわらず、基本的に手術が必要です。手術には2種類あり、がんがある腎臓すべてを取り除く「根治的腎摘除術」と、腫瘍を含んだ腎臓の一部分を切除する「腎部分切除術」があります。
この二つは、腫瘍の大きさによって選択されます。再発したり、転移が認められる場合は合わせて薬物療法が用いられます。これは「免疫療法」などであり、「抗がん剤治療」とは違います。腎臓がんに効果的な抗癌剤は今のところないと考えられています。
腎臓がんを予防するには
腎臓がんを予防するためには、生活習慣を見直すことが大切です。喫煙、肥満、高血圧が主な原因であるということがわかっています。定期的な運動や、バランスの取れた食事、禁煙などが予防に当たるでしょう。
また、腎臓がんは早期発見・早期治療が大変難しいため、定期的な検診を受けることがとても重要です。
闘病生活をつづったブログ
松原裕さんは、自身の闘病生活をつづったブログを更新していました。4月4日に亡くなられた松原さんですが、彼のブログは9日に更新されました。ブログのタイトルは「お母さんへ」です。生前に書いた記事を、松原さんから託された友人がアップロードしたのです。
ブログには母親への感謝の思いや、子供の頃の思い出が書かれていました。松原さんは病気になる前からコラムやブログを書いていましたが、腎臓がんになってからもその様子を、決して深刻になることなく書き続けていました。
病気のことも楽しく面白く
松原さんは腎臓がんという重い病気になってしまったのですが、そのブログのテンションはいつも高く、読んでくれている人を楽しませようという気概に満ち溢れていました。病気のことも包み隠さず書いていて、その怖さ、苦しさも伝わってくるのですが、必ず記事にはオチがついています。
松原さんの人柄、多くのミュージシャンから慕われた人徳が表れているブログです。
“楽しいこと”を追いかけ続けた松原裕さん
松原裕さんは、2019年の4月に鬼籍に入られました。その若すぎる死はたくさんの人を悲しませましたが、それを上回ってあまりあるくらい松原さんは多くの人を勇気づけ、楽しませ、笑顔にしてきました。
“楽しいこと”“おもろいこと”を追いかけ続けた松原裕さんが神戸に、そして日本の音楽シーンに残したものは計り知れません。心からご冥福をお祈りいたします。
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