木村進さんの葬儀|ありがとう!感謝で見送られた喜劇役者の最後とは

公開日 : 2020/5/28

更新日 : 2020/9/9

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吉本新喜劇の元座長だった木村進さん。2019年5月19日に腎不全のため逝去されました(享年68歳)。お通夜や葬儀は大阪市で執り行われ、往年の名コンビだった吉本芸人の間寛平さんや沢山のファンの方達によって見送られました。木村進さんの最後までをお伝えします。

公開日 : 2020/5/28

更新日 : 2020/9/9

目次

木村進さんのプロフィール

木村進さんは、福岡県福岡市の出身です。38歳の時に脳内出血で倒れるまでは吉本新喜劇の座長として大変人気の喜劇役者でした。間寛平さんとは名コンビとして名をはせており、1975年から1980年代にかけて、吉本新喜劇舞台からバラエティ番組とお茶の間の人気者でした。

 

沢山の人達に慕われていた木村進さんの最後や葬儀については、どのような様子だったのでしょうか。木村進さんの最後や葬儀についてお伝えする前に、プロフィールを紹介します。

16歳の時に高校中退をして劇団に入門

木村進さんは、祖父の代から続く福岡市の「博多にわか」という伝統喜劇の家系に生まれました。祖父は初代・博多淡海、父は二代・博多淡海、母は博多淡子、妹は博多和美という、お笑い界の「サラブレッド」であったため、木村進さんも高校を中退して、祖父の劇団に入門することは自然だったことでしょう。

 

ただし、後に「父の重圧」に耐えかねて、19歳の時に父の許可を得ずに当時松竹芸能のライバルだった吉本新喜劇へ転籍してしまいます。一時は博多小淡海と名乗り芸を磨いていたのですが、「親の七光り」などの重圧はとても辛かった日々だったようです。

23歳の時に吉本新喜劇の座長になる

10代の頃から元々、芸事をはじめていて素質があった木村進さんは、転籍した吉本新喜劇での下積み生活は早々に終わります。23歳で吉本新喜劇の座長となった木村進さんは、喜劇俳優の間寛平さんと名コンビとして吉本新喜劇の黄金時代を駆け巡るのでした。

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人気絶頂期は寛平さんとの名コンビ

木村進さんは、関西テレビでは特に見ない日はない!ほど人気絶頂期をむかえます。吉本新喜劇の他にも、ひと月に多い時で60本とバラエティ番組番組に出演するなど、とてもハードなスケジュールだったようです。

 

吉本新喜劇では、間寛平さんとの夫婦役コンビが有名で、ゴールデンコンビと呼ばれていました。また、関西のローカルバラエティ番組「あっちこっち丁稚」では、日曜日のお昼に放送された人気番組で、木村進さんと間寛平さん、坂田利夫さんなど3人も丁稚(でっち)漫才はお茶の間の人気でした。

 

また、若い頃の間寛平さんが吉本興業を辞めようと思っていた時に、木村進さんから激励されて思いとどまったというエピソードがあります。後に木村進さんとは運命的な出会いと間寛平さんは語っていて、硬く絆が結ばれていたことがうかがえます。

吉本新喜劇の黄金時代を築いた

木村進さんは、伝統喜劇の役者であった父親譲りで、おばあさん役が有名でした。人懐こい博多弁と間寛平さんとの夫婦役での掛け合いが人気で、沢山のお茶の間に笑いを届けました。

38歳の時に脳内出血で倒れる

木村進さんは、1988年に福岡市での公演中に脳内出血で倒れました。月に60本ほどの番組出演の多忙スケジュールをこなしたり、長年の飲酒や脂肪分が多い食事を摂っていたことが原因と言われています。この頃は、吉本新喜劇からの要請もあったため、父の跡を継ぎ、「三代目博多淡海」を襲名しました。

 

全国を襲名公演のために巡回していた木村進さんは、最終公演地である故郷の博多市公演の最中での脳出血で倒れます。一命は取りとめましたが、歩くことが困難な半身不随となり車椅子が手放せない生活になってしまったのです。これがきっかけで、吉本新喜劇を退団と同時に吉本興業を退社しました。また、三代目博多淡海も返上します。

車いす生活からの復帰

木村進さんは、38歳での脳内出血が原因で車いすの生活になりました。当時の妻とも離婚されて、テレビや公の場から姿を消してしまいます。しかし、往年の友人である間寛平さんが声をかけたことがきっかけで再び舞台で演じることになったのです。

 

1999年48歳の時、間寛平さんの記念舞台で電動車椅子で登場した木村進さんは、短い時間ながらもゲストとして出演されました。以降もたびたび間寛平さんと共演を果たし、木村進さんは障害者役など、短い時間ですがドラマや映画に出演されました。

 

また、「木村進劇団」を設立し吉本新喜劇に所属していた時代のメンバーと一緒に、障害者施設や自治体を訪問して講演活動も行なっていきました。その後、足を骨折してしまい休養せざるを得なくなりますが、木村進さんは阪神淡路大震災で命を救われたこともあり、活動に意欲的で、舞台への再起を願っていました。

木村進さんの晩年と最後とは

木村進さんのプロフィールとともにこれまでの経緯を紹介していきました。二枚目俳優とうたわれた新喜劇役者だった木村進さんは面白くて人気者で何でもできるスターでした。車いす生活になってからも盟友の間寛平さんの応援により役者として舞台復活を遂げ、元気な姿を見せるようになりました。

 

木村進さんの晩年や最後はどのような様子だったのでしょうか。

施設での療養生活

木村進さんは2度の離婚経験をされており、独り身でした。同居されていた母親が亡くなった2011年頃からは車いす生活でもあったため、大阪市内の施設に入り生活をされていたようです。舞台復帰への意欲があり、おばあさん役がはまり役だった木村進さんは「いつでも仕事ができるように、いつでも呼ばれたら仕事ができる」と思いを口にしていたそうです。

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死因は腎不全だった

同年14日に木村進さんの妹、龍子さんが施設から「木村進さんの様子がおかしい」と連絡が入り、駆けつけたところ、「頭が痛い」としきりに訴えるため、大阪市内の病院へ救急搬送されました。この時、木村進さんは妹である龍子さんのことは分かっていなかったようです。

 

妹の龍子さんは医師から「覚悟をするように」と告げられていました。16日には間寛平さんや吉本新喜劇の関係者が見舞いに訪れましたが、木村進さんは間寛平さんのことは分からず、反応がなかったとの事です。翌日19日に容体が急変して、妹の龍子さんが側で看取り、腎不全のためそのまま息を引き取りました。

木村進さんの葬儀・告別式は盛大に

木村進さんはその魅力から、沢山の吉本新喜劇の役者やファンに慕われていました。葬儀も沢山の人達に見送られて盛大に執り行われ、最後の出棺では霊柩車に向けて、感謝の言葉が飛び交う場面もありました。

葬儀は大阪市都島葬祭コスモール都島にて

木村進さんは、5月19日午後3時14分に腎不全のため大阪市の入院先の病院で亡くなりました。(享年68歳)木村進さんの訃報はニュース番組や新聞で報道され、大阪市都島葬祭コスモール都島にて通夜は21日の午後7時から、葬儀・告別式は22日の午前11時30分から、喪主は妹の龍子さんが執り行うと公開報道されました。

 

遺影は、木村進さんが20代の頃の写真を妹の龍子さんが用意されました。晩年の木村進さんは髪を伸ばして、またおばあさん役に戻るときのためにと話していたそうです。沢山のファンや喜劇役者に愛された木村進さんの葬儀は、盛大に沢山の方に見送られることになったのです。

 

葬儀会場の都島葬祭コスモール都島は大阪市を中心とした葬儀社です。小さな規模の葬儀から家族葬など、大勢の人数での葬儀までさまざまなニーズに対応する葬儀を提供してくれます。木村進さんの葬儀は沢山の参列者や記者の人達が集まれる規模の会場だったことがうかがえます。

間寛平さんら新旧吉本新喜劇メンバーが集まった

木村進さんの葬儀には、現在はタレントの間寛平さん、吉本新喜劇メンバーの池乃めだかさん、木村進さんと並ぶ2枚目役者だった船場太郎さんの他に、漫才コンビのオール巨人さん、落語家の桂文珍さんなど沢山の著名人が集まり故人を偲びました。

 

「最後まで舞台への思いがあった」と妹の龍子さんは語っており、間寛平さんも、木村進さんの父親が演じていた博多にわかを「一緒にやろう」と話していたそうで悔しい思いを語っていました。

 

通夜・葬儀では記者から取材を受けた著名人が多くコメントを伝えています。

 

・吉本新喜劇座長の川畑泰史さんは「小さい頃からあこがれの存在でファンでした。僕がこの世界へ入るきっかけとなった人です。直接お会いすることはなかったですが、ありがとうございました。としか言えません。」

・吉本新喜劇の女優、末成由美さんは「私にとっては心の師匠でした。ご冥福をお祈り申します。」

・落語家の桂文枝さんは「お年寄りから若い役まで何をやってもお上手です。歌を歌っても上手でした。まだ若いのに残念です。」

・吉本新喜劇のすっちーさんは「木村さんはどんな方ですか?と、どの先輩に聞いても「なんでもできる人」と返ってきました。」

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「進兄さん!ありがとう!」感謝で見送られた

木村進さんの葬儀会場の外には沢山のファンが会場を取り囲むように集まりました。納棺の際には「進兄さんありがとう!」と呼びかける声が響き、妹の龍子さんはファンに向かって、感謝の一礼をして霊柩車に乗り込む場面がありました。

木村進さんの葬儀は沢山のファンや友人に見送られた

吉本新喜劇の黄金時代を沢山の笑いで包んできた木村進さん。葬儀も盛大に、沢山の共に苦労してきた仲間と友人たちが見送る最後になりました。さまざまな葬儀の形がありますが、木村進さんの葬儀は沢山の友人が故人を偲び、生前の絆を深める大切な思い出になったことがうかがえます。