吉沢久子さんの葬儀|葬儀・告別式は行わないという思いや生き方

公開日 : 2020/5/16

更新日 : 2020/9/8

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家事評論家や執筆業などをして活躍されてきた吉沢久子さんが心不全で亡くなられました。享年101歳でした。高齢になっても元気で毎日、楽しく暮らしていた吉沢さんにはしっかりとした生き方がありました。吉沢久子さんの葬儀や思いなどについて詳しく紹介しています。

公開日 : 2020/5/16

更新日 : 2020/9/8

目次

吉沢久子さんのプロフィール

吉沢 久子(よしざわ ひさこ)さんは評論家、随筆家として活躍された方です。青年月日は1918年1月21日で、出身は東京都江東区深川です。文化学院を卒業されています。16歳より働き、事務員や速記者などをされました。

 

その後に文芸評論家の古谷綱武さんと結婚されて家庭生活の中で暮らしの問題点や食文化などについて執筆や講演活動、ラジオ、テレビなどを通じて提案してきました。数多くの著書を残してきました。共著や監修の書籍も多数出しています。

 

吉沢久子さんは執筆活動を主にしてきていて、家事や料理、老いていく事などについて数多くの著書を残されています。数多くの作品や言葉、そのあたたかい人柄が多くの方の心に残っています。吉沢久子さんについて詳しく見てみましょう。

婚約者の影響で予防医学を学び始める

1941年に速記者として働いていました。外科医を目指していた婚約者が戦争中に亡くなり、予防医学の栄養学を学び始めました。後に夫となる古谷綱武さんの秘書をしながら文化学院や東京栄養学院、東京学校で学びました。

 

戦時中に綱武さんが召集された時には秘書として家族が疎開した中、1人で留守番をして家を守りました。戦争末期に綱武さんの弟の綱正さんが社員寮を空襲で焼かれて同僚ら男性を3人下宿させました。

 

給料が入れば疎開先の家族へ送金し、ヤミ物資の購入をして綱武さんが帰るまで下宿人や家を守りました。戦争中は食糧が無くて何を食べなければならないのかという事など食べる事について知識を得る事となり、この時の辛い経験がその後に大きく役立つ事となりました。

古谷綱武さんと33歳で結婚

51年に古谷綱武さんと33歳で結婚しました。綱武さんは前の妻と離婚をして若い久子さんと再婚をしたのでマスコミに騒がれ、綱武さんは表舞台に出る事が減りました。綱武さんは執筆活動に専念するようになりました。

 

久子さんは自宅にマスコミなどが来た時に栄養学を活かした料理を作りました。これがきっかけでレシピ新聞や雑誌に書いてほしいという依頼が入るようになりました。新聞記者が家事評論家と呼ぶようになり「家事評論家」としてデビューしました。


料理や家事について自身が学んできた経験を活かして分かりやすく記事で伝えました。そして、デパートの消費者相談員の先駆者になりました。研究や実践してきましたが、主婦たちは受け身で69年に「家事評論家 廃業宣言」を書きました。

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テレビにも進出

家事などの執筆以外にテレビ界からも依頼がくるようになりました。TBSのテレビ料理教室の司会と台本を書き、NHKのきょうの料理の講師として活躍しました。家事評論家を廃業したのは50代になりカボチャや、魚の頭をスッと切れなくなった事も理由です。

 

その後は、講演や消費生活相談、夫と共に作った「むれ」の刊行、執筆業を行いました。97年より朝日新聞家庭欄で老いとは何かを問いかける「吉沢久子の老いじたく考」、昔は何でも自分でしてきた事について自分史と重ねて書いた「台所戦後史」を執筆しました。


家事評論家時代には、「美しい日々のために 少女の日の生活設計」や「生活のけいかく」、「わが家の食生活 食卓プランの考え方」、「奥さま一年生 家庭管理のコツ」、「くらしの365日」、「暮らしのカレンダー」、「生活のくふう」などを書かれています。

84年より一人暮らしが始まる

84年に夫と死別して一人暮らしが始まりました。80年代から快適な老後の過ごし方で注目を集めました。より執筆活動に集中するようになり、亡くなる直前までたくさんの著書を出しています。代表的な作品を紹介します。

 

「私の冠婚葬祭ノート」、「花の家事ごよみ」、「家事を楽しむ私の方法 暮らし上手の知恵ノート」、「老いをたのしむ暮らし上手」、「素敵な老いじたく」、「老いて幸せ」、「家事レポート 50年」。

 

「伝え残しておきたいこと」、「ひとりで暮らして気楽に老いる」、「私の気ままな老いじたく」、「おいしく食べて元気に老いる」、「100歳の生きじたく」などの数多くの著書を出しています。料理や家事以外にも老いていく事についても沢山の著書を残されました。

100歳になってからも執筆活動を続ける

100歳近くになっても執筆作業が衰える事がありませんでした。2017年2月から10月まで7冊も出版して100歳を迎えました。翌年に心不全で亡くなられるまで7冊も別々の出版社より刊行しています。海竜社「春夏秋冬しあわせを呼ぶ生き方」や中央文庫「今日を悔いなく幸せに」。

 

主婦の友社「100歳。今日も楽しい 達人吉沢久子」、PHP研究所「100歳のほんとうの幸福」、中央公論新社「100歳の100の知恵」、集英社文庫「吉沢久子100歳のおいしい台所」、新日本「楽しく百歳、元気のコツ」などです。

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吉沢久子さんの源

吉沢さんの源となるものは、毎日の三度の食事です。97歳に吉沢さんは自分が年を取ったとあまり感じないと言われていました。それは、食べる物が美味しいのでお話しも暮らしも楽しく感じるようです。高齢になっても美味しく食べられるのはとても幸せな事です。


吉沢さんの献立では旬のものを上手く使い、美味しいものを美味しく食べる事が一番大切に考えられています。 野菜本来の味を引き出す為には一番出汁を使うと良いと言われていました。健康を考えられて工夫された調理やその時に話される言葉にはとても説得力があります。

 

吉沢さんは毎日の食事は基本的に薄味にしていて、たまに濃いめの味付けをして楽しんでいたようです。ソースが効いた焼きそばも好きだったようで、フライパンでしっかりと焼いて上手にひっくり返していたようです。

吉沢久子さんの葬儀や思い

1918年の大正7年生まれの吉沢久子さんは16歳から働き始めて、辛い戦争も生き抜いてこられました。その中で、「食べる事」について考えて学ぶ事が多かった吉沢さんは家事や料理などについて数多くの執筆活動をされてきました。

 

高齢になり101歳で亡くなられるまで、執筆活動を続けておられました。その姿には芯が通っていて、多くの方に素晴らしい言葉を残してこられました。吉沢さんは生前から周りへ迷惑をかけない事や分け隔てなくどんな方にも丁寧に対応されていました。

 

そういった姿や考え方には多くの方が感銘を受けました。30代頃よりたくさんの著書を残されていて、どれも素晴らしいものです。そんな吉沢さんの最期や葬儀、告別式は行われたのか、吉沢さんの想いなどについて詳しく見てみましょう。

吉沢久子さんの最期は?

生活評論家として30代半ばから雑誌や新聞などに執筆してきた吉沢久子さんが、都内の病院で心不全で3月21日に亡くなられました。享年101歳でした。病室では亡くなる前日まで納豆おこしを朝や夕方に食べられていたようです。

 

最後まで体に良い物を摂る事を心がけていたようです。3月20日の夜に眠りにつくとそのまま安らかに旅立たれました。21日の1時50分の事だったそうです。大往生の作法で最後まで芯の通った生き方をされていました。

吉沢久子さんの想い

吉沢さんは生前、親族に自分が亡くなった時には葬儀や告別式はしないでほしいと話されていたようです。また、40年以上前に大学の解剖学教室に登録していたようで、亡くなればすぐに献体の連絡をしてほしいともお願いしていたようです。


吉沢さんが80代になった頃より、甥の妻の青木真智子さんが身の回りの手伝いをしに週に1度通われていたようです。吉沢さんは葬儀などは突然行うものなので、急に知らせて迷惑をかけるのが辛いとは話されていたようです。


吉沢さんは亡くなった後の事まで考えて人に迷惑をかけないという生き方を貫かれました。吉沢さんの希望通りに葬儀や告別式を行わないで、すぐに大学の解剖学教室に献体の手配を行ったようです。

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青木真智子さんが吉沢さんについて振り返る

甥の妻の青木真智子さんは吉沢さんとの会話を振り返りました。吉沢さんは死んだ後は何も分からないのにお坊さんがお経を読まれても意味がない等と話されていたようです。青木さんはこの言葉を聞いて葬儀などは絶対にしない方が良いと感じたようです。

 

青木さんが吉沢さんから学んだ事は、物事を表面だけで見てはだめだという事です。人の嫌な面を見ると付き合いたくないと感じてしまうけど、良い部分はどんな人にもあるからそこを見ると良いと吉沢さんから言われたようです。

 

大正7年生まれの吉沢さんは16歳より働き、古谷綱武さんと結婚しました。古谷さんの来客には豪華な料理ではなく、その時に手に入る食材を工夫して調理していたようです。また、吉沢さんは富や地位に関わらず、どんな方にも丁寧に対応していたそうです。

葬儀や告別式は行わないという吉沢さんの考え

数多くの執筆活動をして、テレビなどでも活躍されていた吉沢久子さんはとても優しくて笑顔が素敵な方でした。そんな吉沢さんは葬儀や告別式は行わないという周りへの配慮を最後まで考える方で、芯の通った生き方をされた方でした。