寺島康郎さんの葬儀|国内外で活躍していた指揮者・詳細やお別れ会

公開日 : 2020/5/17

更新日 : 2020/9/10

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指揮者として活躍していた寺島泰明さんがロッククライミング中に転落されて亡くなられました。様々な楽団の指揮をされていた寺島さんとはどんな方だったのでしょうか?寺島泰明さんのプロフィールや葬儀の様子について詳しく見てみましょう。

公開日 : 2020/5/17

更新日 : 2020/9/10

目次

寺島康郎さんのプロフィール

寺島康郎さんは1960年に名古屋で生まれました。1983年に国立音楽大学を卒業して1988年6月にナゴヤシティ管弦楽団、今のセントラル愛知交響楽団で指揮をするようになり本格的に指揮者として活動が始まりました。


1989年1月に東京フィルハーモニー交響楽団副指揮者オーディションでファイナリストに入選しました。1990年に渡欧してウィーンマイスタークルスに参加しました。ウィーン国立音楽大学教授のユリウス・カルマー氏の下で精進しました。


オーディションに合格してウィーンのコンサートでウィーン プロアルテ オーケストラを指揮して素晴らしい評価を受けます。スイスのマスター プレイヤーズ・ミュージック アカデミーやウィーン国立音楽大学のカール・エストライヒャー氏の下で更に鍛錬を続けます。

様々な楽団を指揮した

98年5月に同楽団の定期演奏会を指揮して更に高い評価を受けました。 他には仙台フィルハーモニー管弦楽団や東京ヴィルティオーゾ室内管弦楽団、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団等を指揮されています。

 

また、日本オペレッタ協会やグレーターつくばオペラ劇場、立川市民オペラの副指揮者も務められています。指揮法をK・エストライヒャー氏やJ・カルマー氏、R・シューマッヒャー氏、H・グラーフ氏、高階正光氏、柴田俊治氏、古谷誠一氏、湯浅勇治氏に教わりました。

活躍の場は国内にとどまらなかった

他には東京シティオペラ協会首席指揮者や日野市民オーケストラ、羽村フィルハーモニー管弦楽団、太田芸術学校付属ジュニアオーケストラ常任指揮者、八王子フィルハーモニー管弦楽団指揮者、東京国際大学吹奏楽団音楽監督、八王子フィルハーモニー合唱団指揮者を務めました。


その他にも数多くのオーケストラで指揮をしていて多くの方から高評価を得ていて注目されていた指揮者です。東京指揮研究会の会員でした。国内だけではなく海外でも活躍された指揮者で、突然の訃報に驚きと悲しみを受ける方が多いです。

寺島康郎さんの葬儀・告別式

寺島康郎さんは子供の頃より山が好きだったようです。そんな寺島さんは指揮者になってからもロッククライミングを続けていたようです。ロッククライミングのベテランだった寺島さんですが、4月7日のトレーニング中に岩から転落してしまい亡くなられました。

 

寺島康郎さんが亡くなられた時の詳しい状況や、葬儀・告別式などについて改めて振り返ってみましょう。多くの方より高く評価をされていた寺島康郎さんですが、大勢の方が亡くなられたというニュースにショックと悲しみを受けました。

 

寺島康郎さんを追悼するために、友人で指揮者の田久保裕一さんが演奏会を企画しました。その時に演奏された曲や会場の様子などについても紹介しています。詳しく見てみて、寺島康郎さんについて振り返ってみましょう。

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寺島康郎さんの詳しい死因

寺島康郎さんの死は事件性はなく、ロッククライミング中に転落されて亡くなられたようです。寺島さんの妻が2019年4月7日の夜遅くに夫の寺島康郎さんが帰ってこない事に心配して110番通報されました。

 

2019年4月8日の早朝より埼玉県警飯能署員がロッククライミングをしていたと思われる場所を12人で捜索をしていました。すると午前6時40分頃に埼玉県日高市高麗本郷の日和田山の岩場で、寺島康朗さんが頭から血を流してあおむけに倒れられてるのが発見されました。

 

すぐに安否を確認しましたが、すでに亡くなられた後でした。寺島さんの妻によると4月7日に1人で山に行き、夕方頃より連絡がつかなくなっていたようです。その後の報道でも転落死と伝えられています。

寺島康郎さんの葬儀やお別れ会

寺島康郎さんの通夜は4月13日の18時より行われて告別式は4月14日の10時より行われました。会場は東京都西多摩郡瑞穂町の瑞穂斎場です。遺族と親族のみで行われたようです。会葬される方のために御焼香台と記帳台を用意していたようです。香典や供花などは辞退するとの事でした。

悲しみの声が寄せられる

寺島康郎さんが亡くなられて、多くの方がコメントされました。国分寺フィルハーモニーからは突然の事で受け止めきれないという思いや寺島康郎さんの音楽に対する姿勢、一緒に作り上げて完成させた音楽は忘れられなく、感謝の気持ちがつづられていました。

 

また、今までに教えてこられた生徒からもツィッターなどで沢山のコメントが寄せられていて、突然の訃報に驚いた事やご冥福をお祈りする事、教えていただいた事への感謝の気持ちなどが寄せられていました。

 

どの方も、ロッククライミング中に亡くなられた事に驚いていて衝撃を受けられたようです。58歳という若さだったため、まだまだ活躍されるはずだったのに、このような事になってしまい驚きと悲しみが広がりました。

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寺島康郎さんのための演奏会が開催された

指揮者の田久保裕一さんが寺島さんの追悼演奏会を行う事を企画しました。寺島康郎さんの奥様と相談して「集い」という形の演奏会にする事となり、「寺島康朗さんのために音楽で集う会」という名前に決まり、寺島さんの人柄や今までの取り組みにより多くの方が集まりました。

 

演奏された曲は田園やエルザの大聖堂への入場、サウンドオブミュージックなどで寺島さんが吹奏楽用にアレンジしていたサウンドオブミュージックではエーデルワイスやマリア、すべての山に登れが演奏されました。

 

とても大切にされていた曲ばかりだったようです。 最後はすべての山に登れという曲で会場全員で合唱したようです。大勢の方が寺島康郎さんのために集まり、涙を流しながら歌ったようです。改めて寺島康郎さんの偉大さを感じました。

ロッククライミングの危険性が改めて問われる

ロッククライミングやボルダリングは近年ブームになっていて遊べる施設も多くなっています。マットなどの設備が整っている施設内でのクライミングならまだ安全なので万が一、事故が起きても助ける事が可能ですが、屋外となると難しいです。

 

簡易マットを敷いていたとしても着地に失敗するなど様々な危険性が考えられます。1人で山に行かれたという寺島さんは色々と分かっていたと思いますが、他の方と一緒に行かれていればと残念でなりません。改めてクライミングの危険性が問われます。

寺島康郎さんの葬儀は親族のみで行われた

国内だけにとどまらずに海外でも活躍されてこられた寺島康郎さんの葬儀は遺族や親族のみで行われました。その後に、寺島さんを追悼する演奏会なども開かれて改めて寺島さんを想う方の気持ちが届いたのではないでしょうか。偉大な指揮者を失い、とても悲しいニュースでした。