いときんさんの葬儀|いときんさんの葬儀にメンバーやファン大勢
公開日 : 2020/5/16
更新日 : 2020/9/9
ET-KINGのリーダーのいときんさんが癌性心膜炎で亡くなられました。いときんさんは闘病しながらも音楽活動を続けていました。そんないときんさんの姿は多くの方に勇気を与え、いときんさんの葬儀には大勢の人が集まりました。いときんさんについて詳しく見てみましょう。
公開日 : 2020/5/16
更新日 : 2020/9/9
目次
いときんさんのプロフィール
ET-KINGのリーダーのいときんさんが2018年1月31日にがん性心膜炎でお亡くなりになりました。まだ38歳という若さだったため、多くの方にショックと悲しみを与えました。沢山のファンから愛されていた、いときんさんですがどういった方だったのでしょうか。
いときんさんのプロフィールや、大勢の方から人気のヒップホップグループ「ET-KING」などについて詳しく見てみましょう。亡くなられた経緯や葬儀、お別れ会についても紹介していますので、確認してみてください。
社会人になりグループを結成する
いときんさんの本名は山田 祥正さんです。生年月日は1979年3月3日で血液型はA型です。出身は兵庫県三田市で、三田市の上野台中学校を卒業し、兵庫県の有馬高等学校を卒業しました。卒業後は大阪の福祉専門学校へ進学して柔道整復師の免許を取得しました。
1999年に社会人になりました。いときんさんはバンド活動をしていてギターを弾いていました。その後にTENNさんとKLUTCHさん、ET-KINGを立ち上げました。2005年にET-KINGの仲間と一緒に生活をしてBUCCIさんと寝室を共用していました。
バンドのリーダーでトラックメイクをほぼ一人で担当し、プロデューサー、構成などもしていたいときんさんはグラフィティーや彫師、格闘家の経験もあります。芸名の由来は、漫画「僕といっしょ」の登場人物の伊藤茂と似ていたためです。
ET-KINGについて
1999年にいときんさんとTENNさん、KLUTCHさんの3人でユニットとして活動を始めました。その後、センコウさんとBUCCIさん、DJ BOOBYさんが加わり6人になり2003年頃にコシバKENさんが入り7人でバンドをしていました。
2005年に流派NIGHTのオーディション企画でグランプリに輝き2006年にユニバーサルミュージックよりメジャーデビューをします。07年「愛しい人へ」でダウンロード100万件を記録しました。10月にDJ BOOBYさんらの母校の泉南市立泉南中学校でサプライズライブを行いました。
08年アニメのヤッターマンの主題歌を歌いました。TENNさんは013年8月にSPEEDの上原多香子さんと結婚しました。014年4月29日の「ET-KING結成15周年記念全国ツアー」をもち、充電期間を設けるために活動休止しました。
いときんさんのメンバーのTENNさんが亡くなる
2014年9月25日にTENNさんがマンションの駐車場で首を吊っているのが発見されて亡くなられていたようです。妻の上原多香子さんやバンドメンバー、ファンなどに宛てられた遺書が残されていて、これによりバンド活動は一時休止されました。
2015年7月1日に6人での活動を再開する事を発表しました。休止中に自分達のスタジオを完成させてレーベルも設立しました。「イトキン」から「いときん」に改名してプロデューサー名義を高平 真作に改名しました。
いときんさんのプロデュース名義「高平真作」の使用開始
TENNさんが亡くなり、親友との悲しい別れにいときんさんもメンバーも受け入れられませんでした。ですが、6人では足りないと思うけれど7人分の根性を込めて音楽を作っていく事を決意して再開する事になりました。
プロデュース名義の高平真作(たかひら・しんさく)は名前鑑定でも運勢が良いと出たため、決定したようです。6人の初シングル「喝采」より使われてTENNさんの一周忌の前にはアルバム「宴会歌集」を出しました。TENNさんも録音に加わっていました。
いときんさんの最期について
いときんさんはET-KINGバンドのリーダーでトラックメイクやプロデューサー、構成などと様々な事を担当されていてとても才能の豊かな方でした。ET-KINGはTENNさんを失った事もあり、活動を休む期間もありました。ですがTENNさんの分も頑張ろうと再スタートをきりました。
「いときん」と改名してプロデューサー名も新しくしました。ですが、2017年6月に肺腺がんが見つかり、病気と闘いながらも音楽活動を続けていました。ライブなどにも体調の良い時には積極的に参加されていて、そんな姿は多くの方に勇気を与えました。
ですが、2018年1月31日にがん性心膜炎で大阪の病院で亡くなられました。38歳という早すぎる死に多くの方が驚きと悲しみの声をあげました。いときんさんの最期の様子について詳しく見てみましょう。
健康診断で癌が見つかる
いときんさんは定期的に健康診断を行っていて2017年6月に行った健康診断で肺腺がんがみつかりました。7月の検査ではステージ4に進んでいてリンパ節や脳にも転移していると分かりました。8月3日には肺腺がんのため治療に専念する事を決意しました。
闘病を続けながらアルバムのレコーディングや12月28日の大阪・Zepp Nambaでのライブツアーや2017年11月の「こっちこい」、2月発売予定のアルバムのレコーディングにも参加していました。ですが、これがいときんさんにとって生前最後となってしまいました。
がん性心膜炎により亡くなられた
いときんさんは闘病を続けながらも、体調の良い時にはライブなどに積極的に参加されていて、そんな姿は多くの方に勇気を与えました。
しかし、2018年1月19日に急に体調が悪くなり、病院へ運ばれました。懸命に治療されるも31日の午前11時28分にがん性心膜炎のため亡くなられました。大阪府和泉市内の病院で看取られて38歳という若さで亡くなられました。あまりにも若く、多くの方に驚きと悲しみを与えました。
いときんさんが闘病していた「肺線がん」とはどういう病気か
肺線がんは4つの肺がんの中で最も一般的ながんです。肺がんと聞くと喫煙者に多いと思われていますが、肺線がんはそれだけが原因ではないのです。オムロンの公式サイトでは喫煙による肺がんの発症の危険性はタバコを吸わない人と比べて男性で4~5倍、女性で3倍程と言われています。
肺腺がんは男性で2~2.5倍、女性で1.5倍程度で喫煙している、いないに関わらずに肺線がんになるケースが多いです。この事から健康診断を定期的に受ける事など、普段から気をつけるように呼びかけられています。いときんさんの死により、関心がより向けられた病気です。
タバコを吸っている方も吸っていない方も、なる可能性があるので気を付けなくてはいけない病気です。また、いときんさんのように若くてもかかってしまう可能性もあるので、普段から定期的に検査を受けておくと安心です。
いときんさんを死に追いやった「がん性心膜炎」とは
がん性心膜炎とは、癌が心膜に浸潤もしくは播種した状態のことです。がんが心膜腔に達すると心嚢液が増加します。初期は無症状ですが,次第に心嚢液が増えることで右心室が圧迫され、循環障害が現れるようになるのです。そのため、身の置き所のない倦怠感に苦しむようになり、これを心タンポナーデと呼び、心嚢液を取り除かないと循環の不全により死に至ります。
進行癌患者にまれに合併するがん性心膜炎は予後が悪く、特に心タンポナーデを発症すると,無治療の場合,数日で死に至るのだそう。
また、初期の心膜炎の症状は、風邪の症状と似ているため、注意が必要です。単なる風邪の症状だと思っていたら、実は急性心膜炎だったというケースも珍しくなく、胸の痛みや違和感、発熱などがあったら、早めに医療機関を受診するようにしましょう。さらに、心膜炎を引き起こしてしまうウイルスや細菌への感染を防ぐためにも、日頃から手洗い・うがいを心がけていくことが大切ですので、注意しましょう。
いときんさんの葬儀について
たくさんの人々に勇気や希望を与え、多くの人から愛されていたいときんさんの葬儀告別式には、大勢のファンが集まりました。いときんさんの葬儀告別式について詳しく見てみましょう。
いときんさんの葬儀告別式には大勢のファンが
いときんさんの通夜は3日の午後7時から行われて、葬儀告別式は4日の午前10時半から少し雪が降る中、大阪市のやすらぎ天空館で行われました。会場の入口近くにはメッセージの記帳台も用意されました。
葬儀告別式ではぼんちおさむさんやハイヒール・モモコさん達やファン達の計5000人により見送られました。メンバーのセンコウさん、BUCCIさん、KLUTCHさん、DJ BOOBYさん、コシバKENさんが棺を運びました。
いときんさんの葬儀で「ギフト」を合唱
メンバーが棺を運び出すと、ファンは一斉に「いときん!」と叫び、メンバーも大号泣されていました。その後自然にファンから「ギフト」の合唱が始まり、メンバーも泣きながら歌いました。合唱が終わると、メンバーはファンに向けて「ありがとう」と何度も繰り返し感謝しました。
葬儀ではメンバーが弔辞を読んでいき、最後のコシバさんがみんなで歌おうと呼びかけてギフトをアカペラでメンバーの5人で歌われました。棺にはマイクやハッピ、帽子も入れられました。
いときんさんの死を悲しむ声がたくさん寄せられた
親交のあったお笑い芸人の千原せいじさんは「本当に辛い」とコメントされ、苦しそうに下を向きました。バナナマンの設楽統さんは早すぎる死に悲しみの声をあげていました。次長課長の河本準一さん、エハラマサヒロさんは衝撃を受けた事をツイッターでつぶやきました。
葬儀に出席したモモコさんは明るくて太陽みたいな人と語り、涙を流していました。この他にも芸能界からたくさんの悲痛な声が上がりました。多くのファンにも衝撃を与えて、悲しみの声やいときんさんを見送りたいと告別式には沢山の方が集まりました。
「いときんの分もET-KINGは頑張る」と決意
ET-KINGはリーダーのいときんさんを失い、今後の活動はどうするのかとファンなどから心配の声もあがりました。ですが、いときんさんやTENNさんの分も頑張りたいと解散はせず、続けていくと決意を表しました。
メンバーのKLUTCHさんは「偉大な男が残した言葉やメッセージが数多くあり、それを伝えていきたい」と話されました。センコウさんは「2人が亡くなってもそこで止まる事は2人も喜ばない」と、これからも頑張りたい気持ちを話されました。
コシバKENさんは「なんかいいね」という曲を作った時のいときんさんとの思い出を振り返り、改めていときんさんの凄さを語りました。他のメンバーも頑張りたい気持ちを語っていました。2019年に20周年を迎えたET-KINGは1月から全国ツアーを開催しました。
葬儀ではいときんさんを想う気持ちが感じられた
いときんさんは明るくてあたたかみのある人柄で多くの方から愛されていました。病気と懸命に闘う姿も多くの方に勇気と元気を与えてくれました。メンバーはいときんさん、TENNさんへの想いは変わらず頑張っています。ET-KINGは2020年の6月にもライブを予定しています。
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