ケーシー高峰さんの葬儀|病気、死因は?生い立ちや芸能活動と最期、葬儀について

公開日 : 2020/5/22

更新日 : 2020/9/10

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2019年、肺気腫のため86歳で亡くなったケーシー高峰さん。独特の芸風で知られるケーシーさんの生い立ち、芸能活動から病気と葬儀について解説します。どのようにしてお笑いの道へ進んで活躍し、病気を経て亡くなったかをみていきます。また、葬儀についても確認します。

公開日 : 2020/5/22

更新日 : 2020/9/10

目次

ケーシー高峰さんのプロフィール

タレントのケーシー高峰さんが、2019年9月に85歳で亡くなられました。人気者のケーシーさんですが、どのような人生を送ってきたのでしょうか。この項では、ケーシーさんの生い立ちから、お笑いの世界に進むまでを見ていきましょう。 また、ソロの漫談家になるまでの過程も確認します。そこに至るまでには、いくつかの試行錯誤があったようです。

ケーシー高峰さんの生い立ち

ケーシー高峰さん(本名・門脇貞男)は、1934年2月25日に山形県で生まれました。母、兄弟をはじめ、一族の多くが医者の家系に生まれたケーシーさんは高校卒業後、家業を継ぐべく、日本大学医学部に進学させられます。 しかし、のちに芸術学部に転部します。その理由は、医学部の教授との不仲とジャズやラジオにのめりこんで勉強がおろそかになったからのようです。安定した医者の道を捨てて、自分の望む方へ方向転換したようですね。

お笑いの道へ

1957年に大学を卒業したケーシーさんは芸人を志します。漫才コンビを結成しますが、2つ続けて解散してしまいます。その後、司会業に転身し、ジャズ喫茶を中心に活動します。 さらにその後、1968年「ケーシー高峰」に改名して漫談家に転身しました。名前の由来は、医者のドラマ「ベン・ケーシー」と、ファンであった女優の高峰秀子さんからつけられたといいます。ここでついに、我々の知るケーシーさんのキャラクターが誕生した訳ですね。最初からソロの漫談家ではなかったのは意外ですね。知らなかった人も多いのではないでしょうか。

異色の漫談師として

いくつかの試行錯誤を経て、漫談家としてのスタイルに行き着いたケーシーさん。ここでは、その芸能活動について見ていきましょう。ケーシーさんは、どのような活動で人々を笑わせ、楽しませてきたのでしょうか。また、俳優としての活動にも注目していきます。

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独自のスタイル

漫談師に転身してケーシーさんは、白衣姿でホワイトボードを用いた医事漫談で世を楽しませます。下ネタと駄ジャレを交えた独特の芸風は多くの人の印象に残っています。愛称は「ドクター」で、「セニョリータ」「グラッチェ」などの怪しいラテン系の言葉を駆使して人気を博しました。 医者をモチーフにした、このような芸風は当時、とても斬新だったのではないでしょうか。お色気系の下ネタというと、通常は敬遠されがちですが、ケーシーさんの場合は反対に人を和ませて笑わせてしまっていました。このような芸風とキャラクターはあまり他に例がなく、唯一無二の存在と言えるのではないでしょうか。

俳優としても活動

ケーシーさんは漫談師だけでなく、俳優としても活動していたことをご存じでしょうか?当初はピンク映画などで、ヤブ医者などコミカルな役柄を多く演じました。その後、シリアスな役どころもこなせる役者として活躍しました。人気ドラマ「木更津キャッツアイ」にも出演しています。 俳優としてノーマルな役を演じることが多くなるにつれて、逆にコメディアンとしては泥臭い芸風を極めていき、高い評価を獲得しました。ケーシーさんの中で、二つの顔でバランスをとっていたのでしょうか。

病気とケーシーさん

この項では、ケーシーさんの病気との闘いを見ていきます。ケーシーさんは病気とどのように付き合ってきたのでしょうか。また、病気と芸に、どのように折り合いをつけていたのでしょうか。医事漫談家のケーシーさんがどう病気と向き合ったかを確認します。

病気との闘い

ケーシーさんの死因は、肺気腫でした。若い頃から愛煙家として知られ、肺を患っていました。また、腰痛が悪化し、2003年に腰部脊柱管狭窄症と診断されていました。さらに、2005年に舌癌がみつかっていました。様々な病気を抱えていたことが分かりますね。 舌癌の療養仲に舞台に立った際には、黒板を前に身振り手振りと筆談だけで笑いを取りました。「芸人はつらいところを見せてはいけない」というポリシーの持ち主であり、自分の病気も笑いにすることもあったそうです。まさにプロフェッショナルですね。芸人という自分の仕事にプライドを持っていたのでしょう。

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自分の病気もネタに

前述した通り、ケーシーさんは自分の病気でさえも笑いのネタにすることがありました。舌癌にかかった際には、「私の癌は...子宮癌です」「顔は悪性です」などと言って笑いを取っていました。肺の疾患で酸素吸入器をつけ、椅子に座りながら演じたこともあったそうですが、悲壮感を見せずに逆に笑いに変えてしまう姿勢はプロの鑑と言えそうです。 このように、自分のネガティブな要素も笑いにする姿勢は、ケーシーさんが漫談師という仕事を愛していたから生まれたものでしょう。

最期と葬儀

ケーシーさんの最期はどのようなものだったのでしょうか。また、葬儀はどのようにして行われたのでしょうか。ここでは、ケーシーさんの最期と葬儀をみていきます。葬儀の模様と、お別れ会が行われたのかも、確認しましょう。

ケーシーさんの最期

ケーシー高峰さんは2019年4月8日、福島県いわき市の病院で肺気腫のため、85歳で亡くなりました。前年の9月以降は仕事を控えて自宅で療養していたが、3月の初めに入院していたということです。 最期は奥さんや親族、弟子や関係者にみとられて穏やかな顔で息を引き取りました。4月初めには妻の詠子さんに「ババア、早く帰れ」などと軽口をたたくこともあったそうです。最期は親しい人達に見送られていったようですね。

ケーシーさんの葬儀

ケーシーさんの葬儀は近親者のみの家族葬で行われました。喪主は妻の詠子さんで、お別れ会は行われませんでした。一般の人達が参加できるお別れ会がなかったのはさみしい気がしますが、家族の意向ですので仕方無いですね。 30年前から、「空気がきれいで魚がうまい」といわき市に移住していて、最後は仕事をキャンセルして療養していました。最期の漫談は前年9月で、酸素吸入器の警報ブザーが鳴るまで漫談を楽しんでいたようです。なじみの土地で親しい人に見送られて、旅立っていきました。

ケーシーさんの旅立ち

独特の芸風で世を楽しませてきたケーシー高峰さんの生涯と最期を振り返ってみました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。ケーシーさんは親しい人に見送られて旅立ったようですね。ケーシーさんの最期が穏やかなもので安心した方も多いのではないでしょうか。