桂三金さんの葬儀 |デブキャラを確立し貫いた最後の笑いとは
公開日 : 2020/5/13
更新日 : 2020/9/8
自身デブキャラをネタにした創作落語や、デブネタで会場を大爆笑させていた桂三金さん。常に皆を笑わせ愛された落語家の葬儀には、たくさんの方が参列しました。デブキャラとデブネタを確立し、貫き通した桂三金さんの葬儀、最後の笑いとはなんだったのでしょうか。
公開日 : 2020/5/13
更新日 : 2020/9/8
目次
桂三金さんのプロフィール
桂三金さんは大阪府東大阪市出身、自らを「落語界の橋田壽賀子」「肉食落語家」と呼ぶ落語家です。本名は奥野 武志(おくのたけし)さん、1971年1月6日に生まれ48歳で他界しました。身長168cmで体重120kgを超える肥満体型から生まれた「デブキャラ」を活かしたネタが人気で、「巨漢落語家」としても知られています。
大きな体つきに見合うように存在感も大きい桂三金さんは、先輩・後輩・同期から悪い話しを聞いたことがない慕われ方でした。面倒見が良く「困った時の三金」と誰からも頼られる一面も持った存在としても知られています。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、上方落語協会会員でもある桂三金さんの主な活動は、落語ばかりではありません。年に1回行われる「独演会」を始め、「古典の個展」「できちゃったらくご!」「繁昌亭デブ・サミット」「ラクゴレンジャー」 など、幅広いものでした。
多趣味を活かした芸風
桂三金さんは多趣味としても知られています。プロレス観戦、音楽鑑賞、ゴスペルソング、ストリートダンス、パーカッションなど、アクティブなイメージのものから静的なものまで幅広いのが特徴的です。
桂三金さんは、古典落語はもちろんのこと、創作落語でも人気を集めていました。趣味と落語を融合したのが「ゴスペル落語」「ダンス落語」。一番の個性である肥満体型を活かした「奥野君シリーズ」は有名です。自身をネタにし、本名である「奥野」で繰り広げられる創作落語はファンも多く、人気でした。他にも「バルーンショー」や「司会」「役者」と活動の場を広げていきました。
歌って踊れる落語家「桂三金」の誕生は、多趣味を活かしデブキャラを確立したことです。大きな体を動かすダンスネタは会場を大笑いの場にし、体型を利用してマツコ・デラックスを装った「ミツコ・デラックス」の漫談芸も人気がありました。
六代桂文枝に入門
桂三金さんは1994年6月、桂三枝(現在は六代桂文枝)さんに入門しました。中学校、高校と落語研究会に属し、関西大学では「落語大学」、就職先の金融機関では「お笑い研究会」に入り落語を続けますが、「落語家」になる夢をあきらめることができなかったのが大きな理由です。
高座名は、金融機関に勤務していたことがゆえんとなり、「桂三金」とつけられました。その後、落語家ユニット「落語X世代」を桂三扇(かつらさんせん)さん、桂 三若(かつら さんじゃく)さんと結成し、活動しています。
噺家生活25周年
桂三金さんは、亡くなった2019年に噺家として25周年を迎えていました。「桂三金独演会」を例年通り10月26日に開催し、桂文枝さんが作った「大・大阪辞典」を披露しています。会場は満席で、笑いにあふれていました。
11月第2週は天満天神繁昌亭の昼席、「落語家25周年記念ウイーク」に同期8人の噺家と出演。桂三金さん自作の新作落語、「新党結成」が最後の落語となりました。
数々の受賞歴
1994年に六代桂文枝さんに入門してから4年後の2000年、落語家と若手お笑い芸人の登竜門と言われる 「NHK新人演芸大賞」で優秀新人賞を受賞しました。そして4年後の2004年「第41回なにわ芸術祭」では新人賞を受賞。「なにわ芸術祭」は5部門からなる総合芸術祭で、落語・日本舞踊・クラシック音楽・洋舞・ジャズの各部門で新人賞が毎年選出されていました。
さらに4年後の2008年には「第3回繁昌亭大賞」で創作賞を受賞します。この賞は、入門25年以下の落語家を対象とし、創作落語を繁昌亭で演じた落語家、ネタ作りに精進している落語家におくられる賞です。創作落語を得意とする桂三金さんらしいといえる受賞でしょう。
間に合わなかった第14回繁昌亭大賞
2008年の受賞から11年経った2019年、桂三金さんは「第14回繁昌亭大賞」を受賞しました。繁昌亭大賞とは、入門25年以下の落語家を対象とした賞です。天満天神繁昌亭の名を広め、質の高い落語を演じた落語家におくられます。
入門して25年、「落語家25周年記念ウイーク」を率先してまとめ、奮闘し、高座でお客様を喜ばせて場を大笑いにした成果が認められたのです。しかし、受賞が決まったのは桂三金さんが亡くなってから十数日すぎてからのことでした。
表彰式と授賞記念落語会に、桂三金さんは出席できません。代理として奥野雅子さん(妻)が出席し、盾とトロフィー、賞金を、上方落語協会の笑福亭仁智会長から受け取りました。
葬儀は噺家に囲まれ涙も笑いも
48歳という若さで急に亡くなった桂三金さんの葬儀は、師匠である桂文枝さんの号泣と会場に集まった方の涙の中、執り行われました。悲しみに沈んだ場であっても、お人柄がしのばれるシーンもあり、桂三金さんならではの葬儀となったといえるでしょう。
しめやかな通夜
2019年11月11日、桂三金さんが所属するよしもとクリエイティブ・エージェンシーがファックスで各主要メディアに訃報を伝え、突然の死が知らされました。そして翌日12日午後7時、通夜がしめやかに執り行われたのです。
場所は大阪市北区長柄西1丁目6-14にある大阪北玉泉院。宗派を問わず参列者の数に合わせて会場を選べ、見事な美しい大曼荼羅ステンドグラスが特徴的な葬儀式場です。喪主は妻である奥野雅子さんが務め、笑福亭仁智さん、笑福亭鶴瓶さん、桂文珍さん、桂米団治さんなど約550人が参列しました。
会場で目に入るのは、鮮やかな黄色の着物をまとった桂三金さんの遺影です。通夜の祭壇中央に置かれ、まわりの花といっしょに参列者を迎えるかのような明るさが印象的だったといえるでしょう。会場には故人にゆかりのある手ぬぐいや浴衣、活躍を思い出させてくれるトロフィーや賞状も飾られました。
温かい言葉で送られた葬儀
桂三金さんの葬儀・告別式は、通夜と同じ大阪北玉泉院で執り行われました。一門を代表して弔辞を読んだのが紋付羽織はかま姿の師匠、桂文枝さんです。林家菊丸さんは同期を代表して弔辞を読みました。号泣の中、弔辞の温かい言葉が式場に響きます。
出棺では、桂三金さんの棺は桂文枝一門に抱えられ、出囃子(でばやし)がかかる中、進みました。参列者約300人が合唱をし、出囃子を耳にしながら故人を見送るのは、落語家ならではのお別れといえるでしょう。
告別式で桂三金さんは、最後の笑いをとります。式場では通常、棺を2階から1階へとエレベーターで降ろすのですが、桂三金さんは120kgを超える巨漢です。「重すぎて乗せられない」との会場からのアナウンスに、参列者が大爆笑をしました。桂三金さんらしい、デブキャラのネタが繰り広げられた瞬間でした。
あまりにも突然で早すぎる別れ
亡くなる一日前の11月8日まで、桂三金さんは高座で演じ、ブログも更新しています。しかし11月9日の朝、自宅で体の不調を訴え家族に救急車を呼んでもらい、搬送先の病院でその日の夜に亡くなりました。意識が戻ることの無いまま、他界したのです。
死因は脳幹出血
桂三金さんがなくなった原因は脳幹出血でした。脳幹出血は脳幹の箇所に出血が生じ、出血後は急速に昏睡状態に陥り、手術も難しく、出血量が多いと死亡することもあります。芸能界では、59歳でミュージシャンの桑名正博さん、40歳でプロレスラーの橋本真也さんが同じ脳幹出血で亡くなりました。
脳幹は生命活動の基本となる呼吸や血圧を保つ箇所で、脳幹に起こる出血は脳出血の中でも重篤になる可能性があります。命が助かったとしても、植物状態や意識が戻らないなど重篤な状態になる可能性がいのが懸念される病気です。
原因は高血圧が主なものです。高血圧の期間が長くなり脳の血管がもろくなれば、脳の動脈が破れる可能性も高まります。血管からあふれ出た血液は脳内に流れ、神経細胞を圧迫して意識障害などを引き起こすのです。
桂三金さんは最後まで笑いを届けた
桂三金さんは自身の肥満体を活かしデブキャラを確立し、デブネタでお客様を大爆笑させていました。2011年に開催された「太喜利(ふとぎり)」では、太った芸人たちに混じり汗だくになって大喜利をわかせています。この公演では、体重100kg以上の方を無料招待するなど特別感もありました。その他、「デブ新喜劇 ~12人の動けるデブたち~」にも桂三金さんは参加しています。
落語家としての人生をかけた「デブキャラ」で大切になるのはプロポーションです。太ってい続けることが必須になります。スポーツ選手が努力して体型を維持し、プレイするように、桂三金さんもまた、体型維持のため無理して食べていたため周りの人も心配をしていました。
そんな中、突然の病で倒れそのまま他界してしまった桂三金さん。誰一人として悪く言う人もなく、皆に慕われ、涙とともにお別れするところ、最後の最後にとっておきの笑いをとりました。まさか葬儀の場で、体が大きいぶん棺も大きすぎてエレベーターに乗せることができないというオチがあるとは、桂三金さんにしかできないデブネタでした。
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