青木篤志さんの葬儀|全日本プロレス主催の追悼セレモニーの様子とは
公開日 : 2020/5/11
更新日 : 2020/9/9
2019年6月、プロレスラーの「青木篤史さん」がバイク事故によってこの世を去りました。葬儀は家族葬で行われたものの、その後に全日本プロレス主催で「追悼セレモニー」が開催されています。今回は、青木篤史さんのプロフィールと、追悼セレモニーの様子をご紹介します。
公開日 : 2020/5/11
更新日 : 2020/9/9
目次
青木篤史さんのプロフィール
プロレスファンなら、青木篤史さんの追悼セレモニーがどのように開催されたのか、誰が登場したのか等、興味が尽きない所でしょう。追悼セレモニーの様子を紹介する前に、青木篤史さんのプロフィールからご紹介していきます。
プロ入りまでは「アマレス」と「自衛隊」を経験
青木篤史さんは「東京都大田区」の出身です。高校時代からアマチュアレスリングで活躍しており、その身体能力をいかんなく発揮していました。高校卒業後は陸上自衛隊の「市ヶ谷第32普通科連隊」に所属、その時期に参加した2000年の全国社会人オープンレスリング選手権大会69kg級で優勝を飾っています。
その後、2005年にはプロレス団体「プロレスリング・ノア」に入門し、「スターネス」「ブルーサンダー」の異名をもつ秋山準さんの付き人としてレスラー人生をスタートさせました。
2005年にプロデビュー
青木篤史さんがプロレスのリング上でデビューしたのは「2005年12月24日」のことです。年末興業の晴れ舞台で、当時同じ新人であった「太田圭則」と組んで「三沢光晴&田上明」とのタッグマッチに挑んでいます。
順調に戦績を積み重ねていった2007年には、付き人をしていた先輩レスラー「秋山準」との対戦が実現。それを皮切りに「青木篤史”閃光十番勝負”」が開催されます。結果は1勝9敗でしたが、KENTA・カズハヤシ・ブライアンダニエルソン等の錚々たるメンツとの10番勝負にプロレスファンは歓喜しました。
2009年にはタイガーマスクとの試合も
2009年以降は一般人も知るような大物プロレスラーとの対戦も組まれることになります。新日本プロレスの「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に出場した際には、あの「タイガーマスク」との対戦カードが実現しました。結果は敗戦だったものの、その後の戦績で決勝トーナメントに勝ち進み、ベスト4に選ばれています。
2010年にはジュニアヘビー級のタッグリーグで優勝
2010年は青木篤史にとって最も喜ばしい時期だったと言えるのではないでしょうか。5月23日に行われたAAA世界タッグ選手権において潮崎豪とタッグを組んで、チャンピオンである「森嶋猛・石森太二」のタッグに勝利。第6代のAAA世界タッグ王座に輝いています。
同年7月にはIWGP世界ジュニアヘビー級王座に挑戦して敗れているものの、その後の「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」にKENTAとタッグを組んで出場して優勝を飾っています。
ノア退団後は「全日本プロレス」へ
長年にわたって主戦場としてきた「プロレスリング・ノア」でしたが、2012年12月24日のディファ有明大会を最後に退団しています。その後は主戦場を「全日本プロレス」に移し、2013年の「新春シャイニングシリーズ」で参戦が発表されています。
同年の4月にはアジアタッグ王座を得ており、それを皮切りに7月に全日本プロレスへ正式入団を果たしています。
2014年には念願の世界ジュニアヘビー級王座に
2014年当時、青木篤史さんが属する「世界ジュニア・ヘビー級」の王者は日本のみならずアメリカ・メキシコでも有名な「ウルティモ・ドラゴン」でした。挑戦権を得た青木篤史さんは5月29日の後楽園ホールでウルティモ・ドラゴンを変形腕ひしぎ逆十字固めで撃破、第37代の世界ジュニアヘビー級王者となりました。
同年7月には「Jr. TAG BATTLE OF GLORY」で優勝し、世界最強タッグ決定リーグ戦への出場を果たしました。同リーグ戦はスーパーヘビー級が多数在籍していましたが、体格で劣るジュニアヘビー級でありながら一歩も引かずに存在感を発揮、戦い抜いています。
死の直前まで、数々のタイトルで王座に輝く
2018年2月3日には、自身3度目に世界ジュニアヘビー級王座の座についています。同年8月には岩本煌史に敗れて王座陥落となるものの、2019年5月20日には岩本に勝利、王座を奪い返すことに成功しています。
2019年6月3日に命を落とすまで、プロレスファンを沸かせる活躍を続けました。
葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた
突然の訃報にご家族、親族がもとより、多数のプロレスファンが悲しみに包まれました。葬儀・告別式については遺族の意向により、近親者のみの家族葬で執り行われています。大観衆を沸かせてきた青木篤史さんですが、葬儀はしめやかなものになりました。
死因は交通事故!葬儀は家族葬にて執り行われた
青木篤史さんが亡くなったのは、2019年の6月3日の22時頃です。バイクで走行中にトンネルの側壁に激突、都内の病院に搬送されたものの死亡が確認されました。
葬儀については、紹介した通り家族葬で執り行われました。家族葬とは、一般の弔問客を呼ばすに家族・親族だけで葬儀を行うスタイルです。生前はプロレス一筋で多忙な青木篤史さんでしたから、最後に家族とゆっくりとした時間を過ごせたことでしょう。
青木篤史さんのお墓はどこ?
青木篤史さん・プロレスの大ファンであれば、「一度でいいからお墓に献花したい」と思うでしょう。お墓の場所が気になるところですが、残念ながら青木篤史さんのあ墓は詳細には公表されていません。
お墓は先祖代々の場所を選ぶ方もいれば、まったく別の場所を選ぶ方もいます。最近では「海洋散骨」や「樹木葬」等、新しい形の葬儀も注目され始めています。
青木篤史さんが天寿を全うされた時、どのような選択をしていたのかは今ではわかりません。「人は突然亡くなる」、この想いを胸に、早いうちからご自身の葬儀・終活について考えてみてはいかがでしょうか。
全日本プロレスが「追悼セレモニー」を開催
悲しみにくれるプロレスファンでしたが、青木篤史さんが遺したプロレス魂を再び見られることになりました。2019年の6月18日、後楽園ホールで開催されていた「2019 DYNAMITE SERIES」にて、青木篤史さんの追悼セレモニーが行われたのです。
弟子の岡田祐介が光留とのシングルマッチ
この追悼セレモニーのメインイベントとしてリングに上がったのは、青木篤史さんの弟子である「岡田祐介」でした。大先輩である「佐藤光留」とのシングルマッチで戦っています。
実力差は明白!光留の必要な関節技の嵐
まだ経験が浅い岡田祐介と、青木篤史さんの盟友と言われた佐藤光留では実力に大きな名がありました。佐藤は容赦ない蹴り技で岡田の腕を執拗に狙って体力を奪っていきます。隙ができたと見るや関節技のラッシュをしかけて勝負を決めにきます。
岡田祐介が青木直伝の必殺技を放つ
完全に劣勢の岡田祐介でしたが、負けん気と意地で立ち上がり、青木さん仕込みの「ドロップキック」や「ランニングエルボー」等の大技で反撃に転じます。佐藤光留は全てを受け切った上で、バックドロップでリングにたたきつけます。
最後は、腕十字で佐藤光留の勝利となりました。試合後は佐藤と岡田が向き合って互いに礼をし、がっちりと抱き合ってシングルマッチは終わりました。青木篤史さんの盟友と弟子の戦いに、プロレスファンは歓喜の渦に包まれました。
対戦を終えた光留からの「ありがとう」
シングルマッチ後にマイクを撮った佐藤光留は、青木さんへの想いをぶつけています。「青木さん、ホントに寂しいよ!」「防衛期日の11月の終わりまで、そのベルト、絶対に誰にも渡さないでください!」と、熱い思いを天国の青木篤史さんにぶつけました。
プロレスラーたちからの追悼メッセージ
その後も、青木篤史さんと縁のあるプロレスラーたちが続々と追悼のメッセージが届いています。追悼セレモニー後には「ドリーファンクジュニア」さんからの追悼メッセージとともに、無数の紙テープがリング状に降り注いでいます。
惜しくもシングルマッチに敗れた、弟子の岡田もリングに立ち、「もっとプロレスを教わりたかった」「もっと甘えたかった」「自分の力でプロレスを勉強してもっともっと高みに生きたいと思います」と、天国の青木さんへ力強く宣言していました。
光留が青木と出るはずだったタッグリーグへの想いを話す
本来、佐藤光留さんは、青木篤史さんとタッグを組んで「ジュニアタッグリーグ」に出場する予定でした。しかし、青木さんはもうこの世にはいません。そこで、青木さんの遺志を継ぐ形で弟子の岡田裕也が佐藤光留とタッグを組んで試合に出ることが発表されました。
佐藤さんはリング上で、「何もないところから作った来たんで、(青木さんと佐藤さんの)2人で。」「いつか僕も、岡ちゃん(岡田祐介さん)もリングからいなくなる、その日まで作り続ける、進化し続ける」と高らかに宣言しています。
追悼セレモニーにはタレントの山田邦子さんの姿も
タレントの「山田邦子」さんは、青木篤史さんの「姉貴分」として知られていました。ご本人も追悼セレモニーに参加されましたが、リングサイドでは涙するシーンもあったようです。
お二人は太田プロ所属の「須藤公一」さんが紹介する形で知り合ったそうです。プロレス好きな須藤さんとの縁で、山田邦子さんにはプロレスラーの友人が多いそうです。青木篤史さんも、そうした友人の1人でした。
青木篤史の訃報に見る「プロレスラー」の生きざま
青木篤史さんは、不慮のバイク事故でこの世を去りました。ご本人的にはまだまだやりたかったことが山ほどあったに違いありません。しかし、紹介した「追悼セレモニー」をみれば、青木さんがプロレス界をひた走ってきたからこそ出会えた仲間との絆を見ることができます。1日1日を必死で生きることがいかに大切かを実感させられます。
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