近藤利一さんの葬儀 |突然の訃報に悲しみ・驚きの声が多数寄せられた

公開日 : 2020/5/10

更新日 : 2020/9/10

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競馬界で有名な近藤利一さんが77歳でお亡くなりになりました。沢山の有名な馬を所有していてG1でも優勝したり優秀な成績を残す馬も多かったです。競馬ファンにとっても突然の事で驚きと悲しみの声が多いです。今回は、そんな近藤利一さんについてくわしく解説しています。

公開日 : 2020/5/10

更新日 : 2020/9/10

目次

近藤利一さんのプロフィール

競馬界で特に有名な近藤利一さんとはどんな方だったのでしょうか?生年月日や職業、所有していた馬や成績などについて詳しく解説しています。たくさんの功績を残された近藤利一さんについて改めて深く見てみましょう。

生年月日や職業について

近藤利一(こんどう りいち)さんの生年月日は1942年9月1日です。職業は、はつり・建築解体工事会社の代表取締役会長をされていました。また、馬主としても大変有名な方で1憶円以上の馬を購入される事も多く、競馬界では有名な方でした。

 

賞賛や感心という意味のアドマイヤという冠名で有名な方です。所有している馬には「RK」の刺繍入りのメンコをつける事が多いです。1984年に中央競馬の馬主資格を取得しました。前の妻の近藤英子も馬主をしていて皐月賞でヴィクトリーが優勝しています。

 

特にイルーシヴウェーヴの2017を5億8000万円で落札された事もあり、大きな話題になりました。武豊騎手が乗り、たくさん受賞しましたが成績が落ちてからは武豊騎手が乗る事はなくなりました。「馬主業の師匠」と呼ばれていた近藤さんは77歳で亡くなられました。

「アドマイヤ」で有名な近藤利一さん

近藤利一さんは「アドマイヤ」の冠名で有名でした。G1級競争優勝馬ではアドマイヤボサツやドマイヤコジーン、アドマイヤベガ、アドマイヤドン、アドマイヤグルーヴ・アドマイヤホープ・アドマイヤマックス・アドマイヤムーン・アドマイヤジュピタなどが挙げられます。

 

重賞競走優勝馬ではアドマイヤボスやアドマイヤマンボ・アドマイヤカイザー・アドマイヤゴールド・アドマイヤビッグ・アドマイヤジャパン・アドマイヤフジ・アドマイヤメイン・アドマイヤキッス・アドマイヤオーラ・アドマイヤホクト・アドマイヤモナーク・アドマイヤコマンド・アドマイヤスバル・アドマイヤコスモスなどで数多くのアドマイヤを所有していました。

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馬主としての成績

馬主としての成績は1996年にアドマイヤボサツが中央競馬の重賞、1999年にアドマイヤベガが東京で優駿しました。2005年にGIで21レースのうち15レースに所有馬を出していてリーディングオーナーランキングでは総合で5位、個人馬主では1位を獲得しました。


また、海外のG1にも出ていて2007年にアドマイヤムーンがドバイデューティーフリーで優勝して宝塚記念でも優勝しました。その後にはアドマイヤムーンをダーレー・ジャパンに金銭トレードをしました。


2008年にアドマイヤフジやアドマイヤモナークなどが重賞して、その後も数多くの所有馬が重賞を取り、活躍しました。中央競馬のG1で通算10勝目となり、青葉賞や土日重賞制覇も達成していて沢山の功績を残しています。

どんな人物?馬主以外の関係は?

近藤利一さんは競馬に対して大変こだわりが強い方で騎乗について騎手や調教師とよく論戦する場面も多かったです。また、マナーを大切にしている方でした。社会奉仕や慈善事業にも積極的な方で大阪市役所や所有馬のファンクラブなどに賞金の一部を寄付されていました。

 

調教師の橋田満さんに所有している馬を預ける事が多かったです。また。騎手は武豊を推していてディープインパクトとアドマイヤムーンが出走登録をしていた時には武豊を譲らないという発言をされていました。結果はディープインパクトがレースに出場しませんでした。

 

親交があったのは元プロ野球投手の佐々木主浩さんです。アドマイヤマジンを共同で所有されています。また、大相撲力士の小錦の後援会長を務めていた事もあり、日本相撲協会から木戸御免証を贈られた事もあります。

武豊騎手との関係は?

近藤利一さんと武豊騎手は不仲だったと言われていました。ですが、亡くなられた際の武豊騎手のコメントには「多くの思い出があり、残念」などという言葉があり、不仲には感じられませんでしたが、なぜ不仲と言われるようになったのでしょうか。


それはアドマイヤオーラとアドマイヤムーンが皐月賞を4着でクイーンエリザベス2世Cでは3着に敗退したため近藤さんが武豊騎手を批判しました。その事がきっかけになり確執ができて近藤利一さんの馬に乗らなくなったと言われています。

 

また、アドマイヤムーンの譲渡問題も武豊騎手との不仲の原因とされています。アドマイヤオーラが敗退した皐月賞はアドマイヤムーンを譲渡する少し前なので、アドマイヤオーラが負けた事がアドマイヤムーンの取引に影響が出てもおかしくありません。

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社台グループとの関係は?

近藤利一さんと日本の競馬会を指揮する社台グループの関係もあまり良くないと言われています。近藤さんは海外のG1を制覇したアドマイヤムーンをドバイのゴドルフィンというグループに40億で譲渡しています。


社台グループとしてはレースから引退した馬を種牡馬として引き取れたのでこの取引に対してよく思いませんでした。2002年にアドマイヤムーンの父のエンドスウィープを失っていた事もあり、タイミング的にも悪くて社台グループは優秀な種馬を逃してしまいました。

 

この事がきっかけで社台グループからの待遇が悪くなってしまいました。近藤さんは庭先販売で成功していたのに良血馬がいてもセリで購入するしかなくなりました。このような事がきっかけで馬主として少しづつ失速していったと言われています。

近藤利一さんの死因やお別れ会について

近藤利一さんは98年の朝日杯FSを制してG1を初制覇しました。99年にはアドマイヤベガで日本ダービー、アドマイヤグルーヴでエリザベス女王杯連覇、最近ではアドマイヤマーズが朝日杯FSとNHKマイルCを制していて沢山の功績を残されてきました。


武豊騎手ファーストと言われた時代もありました。1憶円を超える馬を落札する事も多くて、豪快でいつも競馬界の中心にいました。近藤さんは金子真人さんや里見治さんなどと同じく中央競馬の大物の馬主でした。

 

近藤利一さんは77歳で亡くなられました。静かに告別式が開かれたようで、参列したかった方も多かったです。近藤利一さんがどうして亡くなられたのかやお別れ会、今後についてなどを詳しく見てみましょう。

癌と闘っていた近藤利一さん

近藤利一さんは実は癌と闘っていました。亡くなられた時には死因などの細かい事や葬儀については報道されていませんでした。後で関係者によりその死因や告別式について知らされて多くの方が驚き、悲しみました。

 

近藤利一さんの死因は癌です。関係者によると、近藤さんは3月に血尿が出て検査を行い、腎臓がんが見つかりました。5月には手術を行い7月には抗がん剤治療が終わっていました。その後に転移していき病状が悪化していったようです。

 

今年の夏から闘病生活を送られていて、亡くなられたのは大阪市内の病院で10月17日の早朝にお亡くなりになられました。病気と闘いながらも仕事や馬主としてたくさんの功績を残されていました。そんな近藤利一さんの死は残念でなりません。

近藤利一さんのお別れ会について

近藤利一さんの告別式は12月17日に大阪本願寺の津村別院で執り行われました。広くて大きい葬儀場で行われて、会社の関係者や競馬関係の方など数多くの方達が参列されていました。西山茂行さんや武豊騎手、松岡雅昭さんなども参加されていました。

 

会場に多くの方が追悼の意を示しに来られていて、近藤利一さんの存在の大きさを改めて感じられました。様々な事がありましたが、競馬に対して真剣に向き合う姿や慈善事業を行う姿に多くの方が感動されていて、亡くなられた事を悔やむ声が多数寄せられていて偉大さを感じます。

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訃報を聞いた世間の声は?

近藤利一さんが亡くなられて世間の声は大変残念だという声やアドマイヤコジーンが優勝した安田記念の事などの功績をたたえるコメント、色々な事があり話題になっていた事などが取り上げられていました。ご冥福をお祈りいたします。

所有していた馬達の今後は?

近藤利一氏さんが亡くなられた時には38頭の競走馬を所有されていましたが、JRAの規定では故人の馬主の名義変更には1か月の猶予期間が設けられています。過去のケースでは所有していた馬を相続人ではなく親しい競馬関係者に譲渡された事もあります。


近藤さんは佐々木さんと共同で馬を所有していたのでそういった方達に譲る事もあると考えられ、騎乗できなかった騎手の今後の活躍にも期待されていました。1カ月が経過すると1頭が抹消され37頭は近藤旬子さんに名義が変更されていていました。

 

近藤利一さんの妻は近藤英子さんでカンパニーやリンカーンなどを所有していました。ですが、色々とあり近藤旬子さんが夫人になっていました。香港マイルの表彰式では旬子さんが出席されていました。

競馬会のドン「近藤利一さん」

近藤利一さんは競世界で沢山の功績を残されてきました。関係者や調教師などに対して厳しい発言でも有名でしたが、亡くなられて多くの方が悲しまれています。告別式には沢山の方が集まり、故人の偉大さが伝わりました。