アントワーヌ・ユベールさんの葬儀|F1界の仲間が多数参列!

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/9

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将来を有望されていたレーシングドライバーのアントワーヌ・ユベールさん。2019年8月31日に行なわれたレース中に他界されました。アントワーヌ・ユベールさんのF1界での活躍や有望視されていたという事実、葬儀の模様についてご紹介します。

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/9

目次

アントワーヌ・ユベールさんのプロフィール

アントワーヌ・ユベールさんはレーシングドライバーでした。ですが、名前を聞いたことがないという人もいるかもしれません。そこで、まずはアントワーヌ・ユベールさんのプロフィールやレーシングドライバーとしての経歴についてご紹介しましょう。

フランス出身のレーシングドライバー

アントワーヌ・ユベールさんはフランスのリオン出身のレーシングドライバーでした。カタカナでは「アントワーヌ・ユベール」と表記されますが、アルファベットでは「Anthoine Hubert」と表記されるため、「アントニー・フーバー」などと表記されることもあります。

 

アントワーヌ・ユベールさんのレーシングドライバーとしてのスタートは、レーシングカートという競技用車両でした。2006年からレーシングカートに乗り始め、2010年には「カーティング・アカデミー・トロフィー」で準優勝を果たします。

 

その後、2010年に行なわれた18歳以下限定の「ワールド・カーティング・チャンピオンシップ」で総合3位を獲得。F1界の注目の的になったと言われています。

フォーミュラ・ルノーでポールトゥーウィン

アントワーヌ・ユベールさんは2013年に「フランス・F4選手権」の参戦が決定し、ここでフォーミュラ界でデビューを果たします。このデビューはF1界では大変劇的でした。アントワーヌ・ユベールさんは開幕戦でポールトゥーウィンを果たしたのです。

 

ポールトゥーウィンとは、ポールポジションを獲得し、そのレースで優勝を果たすことを指しています。デビュー戦でポールポジションを獲得することも難しいと言われていますが、アントワーヌ・ユベールさんは優勝も果たすという偉業を成し遂げます。

 

その後、全21戦中、半分にあたる11回の試合で優勝を果たしたアントワーヌ・ユベールさん。デビューしたその年に、初タイトルも獲得しました。F1界に有望な新生が現れたと大変評判になったそうです。

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GP3シリーズ最後のチャンピオン

デビューしたその年に初タイトルを獲得したという偉業を成し遂げたアントワーヌ・ユベールさん。これだけでも素晴らしい記録ですが、アントワーヌ・ユベールさんには更に注目すべき記録があります。

 

それはGP3シリーズ最後のチャンピオンであるということです。2017年からGP3シリーズの本選に参戦し、2年目の2018年にタイトルを獲得します。

 

実は「GP3シリーズ」という名称は、2019年から「フォーミュラ3選手権」へと名称が変更されます。そのため、2018年に行なわれた「GP3シリーズ」が最後の試合だったのです。

 

その最後の試合でアントワーヌ・ユベールさんはタイトルを獲得します。「GPシリーズ」という名前で試合が行なわれることはもうないため、アントワーヌ・ユベールさんはGP3シリーズ最後のチャンピオンという記録も得ることになったのです。

ルノー・スポール・アカデミーに選出される

数々の偉業を成し遂げ、多くの記録を作り続けたアントワーヌ・ユベールさん。彼にF1界の関係者からの視線が集まっていたことは当然と言えます。

 

アントワーヌ・ユベールさんをもっと育ててF1デビューをさせたいと名乗りを上げたのが、ルノー・スポール・アカデミーでした。ここはルノーのF1レーサーを育てる協会で、高い成績を残せば、ルノーの選手としてF1デビューすることができます。

 

毎年、ルノー・スポール・アカデミーでは有望な若いレーシングドライバーを発掘し、選出して育てています。アントワーヌ・ユベールさんは2018年5月に選出され、正式に契約を結びました。ここで高い成績を残せば、F1デビューも夢ではありませんでした。

 

ルノー・スポール・アカデミーもアントワーヌ・ユベールさんを高く評価していました。数々の偉業や記録を残していたため、必ずF1デビューできると期待していたのです。

アントワーヌ・ユベールさんの事故原因

将来を有望されていたアントワーヌ・ユベールさんでしたが、2019年8月31日に行なわれたフォーミュラ2選手権の第9戦で命を落としてしまいます。その事故原因について解説します。

現場はスパ・フランコルシャン

アントワーヌ・ユベールさんが命を落とした現場は、ベルギーのスパ・フランコルシャンでした。走行中にマシンがクラッシュして大破してしまいます。

 

スパ・フランコルシャンは現行のサーキットに比べて、総距離が大変長いという特徴があります。他のサーキットではどれだけ長くても5Km台です。ですが、スパ・フランコルシャンのサーキットは全長が約7Kmもあります。

 

また、コースの高低差が激しく、難易度の高いカーブが連続しているため、高いドライビングテクニックが要求されます。コース自体の難易度は高めですが、ドライバーの間での評価は高く、人気の高いサーキットでもあります。

 

ただ、難易度が高いということは、それだけ接触事故も起こしやすいということです。実際に、スパ・フランコルシャンでは数々の接触事故が起こっており、マシンが大破した事故も数多くあります。

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正式な原因が発表されたのは半年後

アントワーヌ・ユベールさんがベルギーのスパ・フランコルシャンで亡くなったのは2019年8月31日でした。ですが、正式な事故原因が発表されたのは、事故発生から半年後の2020年2月7日でした。

 

レース中の事故は原因究明が難しく、大変時間がかかるとされています。すべてのマシンが猛スピードでサーキット場を走っているため、事故も一瞬の出来事。それを詳しく徹底的に解明するにはかなりの時間を要するのです。

 

アントワーヌ・ユベールさんの事故の場合も、猛スピードですべてのマシンが走っていた間での出来事でした。ただ、解明に半年もかかったのはそれだけではありません。事故に関わったマシンの台数が多かったことも、時間がかかった原因の一つでした。

4台が関与した接触事故

FIAが公式発表として公表したアントワーヌ・ユベールさんの事故調査結果では、4台のマシンが関与した接触事故だったとのことでした。この4台すべてを細かく調査したため、事故発生から正式な発表まで半年もかかったのです。

 

事故の原因は1台のマシンがコントロールを失ったことでした。コントロールを失ったマシンはそのままコースの左側に飛び出してバリアに激突。この時、破損したパーツがコース上に散乱します。

 

コースに散乱したパーツを避けるため、一台のマシンが減速します。その後ろを走っていたアントワーヌ・ユベールさんも急いで減速しますが、間に合わず、先に減速したマシンに接触。

 

コントロールを失ったアントワーヌ・ユベールさんのマシンは時速216キロでコース右側のバリアに接触。その反動でアントワーヌ・ユベールさんのマシンはコースに戻ってしまい、後ろから来た1台に追突され、再びバリアに激突してしまいます。

 

その後、メディカルチームとレスキュー隊が到着します。ですが、2度の激突事故に遭遇してしまったアントワーヌ・ユベールさんは、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

葬儀には多数のF1関係者が参列

アントワーヌ・ユベールさんの葬儀には、多数のF1関係者が参列しました。まだF1デビューは果たしていませんでしたが、その葬儀は3時間にも及び、盛大に執り行なわれました。その葬儀の様子についてご紹介します。

葬儀はシャルトル大聖堂で執り行なわれた

アントワーヌ・ユベールさんの葬儀は、フランスのシャルトル大聖堂で執り行なわれました。シャルトル大聖堂はフランス国内の中で最も美しい大聖堂と言われています。

 

趣向を凝らしたゴシック様式で建てられており、1979年にはユネスコ世界遺産に登録されています。世界遺産に登録されてからはさらに注目されることが多くなり、多くの観光客も訪れる大聖堂です。

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肖像画やヘルメットなどを展示

シャルトル大聖堂で執り行なわれたアントワーヌ・ユベールさんの葬儀は、大変盛大に執り行なわれました。それだけ大変人気が高く、注目されていたレーサーだったということです。

 

シャルトル大聖堂の外壁には、アントワーヌ・ユベールさんの巨大な肖像画が飾られました。フランス国旗を背景にしたアントワーヌ・ユベールさんの肖像画は多くの人たちの目に留まり、別れを惜しむ人たちが時間を忘れて見つめていたと言われています。

 

また、シャルトル大聖堂の中には椅子が並べられ、その上にヘルメットのコレクションが並べられました。アントワーヌ・ユベールさんが使用していたヘルメットを一目見ようと、多くのファンが押し掛けました。

弔辞を述べたのはプロスト氏

アントワーヌ・ユベールさんの葬儀で弔辞を述べたのは、ルノー・スポール・アカデミーの取締役であり、4度のF1ワールドチャンピオンに輝いたアラン・プロスト氏でした。「明るい未来が待っているはずだった」と、弔辞で別れを惜しむ言葉を述べています。

 

また、アントワーヌ・ユベールさんの恋人も参列し、別れを悲しみました。彼女はF1というスポーツは危険が伴うため、大嫌いだったと述べています。大切な彼を出会わせてくれたスポーツであったと共に奪った原因ともなったため、そのように感じたのでしょう。

 

アントワーヌ・ユベールさんの葬儀での参列者は数百人にも上りました。その中には、旧友やライバルの姿もありました。突然の別れを惜しみ、多くの人たちが葬儀に駆けつけたのでした。

22歳という若さで亡くなったアントワーヌ・ユベールさん

22歳という若さでこの世を去ったアントワーヌ・ユベールさん。もし生きていたなら、有望なF1レーサーとしてデビューしていたことは間違いないでしょう。素晴らしい才能を持っていたレーサーの早すぎる死はF1界にも衝撃を与えました。 F1というスポーツはとても危険なスポーツでもあります。アントワーヌ・ユベールさんはそのことを改めて思い出させるきっかけにもなったようです。