礒山雅さんの葬儀|バッハの権威と言われた音楽学者が選んだ最後

公開日 : 2020/7/21

更新日 : 2020/9/9

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バッハの権威と言われ、日本の第一人者でもある音楽学者の礒山雅さんが、2018年2月22日に外傷性頭蓋内損傷により、71歳でお亡くなりになりました。今回こちらでは、礒山雅さんのプロフィールと葬儀について詳しくご紹介します。

公開日 : 2020/7/21

更新日 : 2020/9/9

目次

礒山雅さんのプロフィール

日本を代表するバッハ研究の権威である礒山雅(いそやまただし)さんの葬儀についてご紹介する前に、まずは礒山雅さんのプロフィールからご紹介をします。

音楽の道へ

礒山雅さんは、1946年4月30日に東京で生まれました。その後、長野県で育ち、長野県にある松本深志高等学校へ進学し音楽部に所属していました。高校を卒業後は、東京大学文学部美術科へ進学をしました。さらに東京大学大学院美術学藝術学博士課程を満期退学しています。

 

礒山雅さんは1977年には、国立音楽大学の専任教員に就任し、その後、教授となりました。図書館長や理事も歴任しました。国立音楽大学を2012年3月に定年で退官された後は、招聘教授として務めながら、大阪音楽大学客員教授も務められました。

 

1982年から1984年までの2年間、ミュンヘン大学へ留学をしています。礒山雅さんの専攻は、音楽美学と西洋音楽史です。特に日本ではバッハの研究の第一人者として、バッハの権威と言われています。

音楽との関り

1990年に開館した大阪府大阪市にあるコンサートホール「いずみホール」の音楽ディレクターを務めました。礒山雅さんは、いずみホールの開館に向けての準備段階から、主催事業の企画立案、広報など画期的な企画を次々に立て、27年という長きにわたって主導しました。

 

企画立案だけでなく、舞台の上で解説を行うことやホールの情報誌や公演プログラムの作成を通して、音楽に関する専門的な内容をわかりやすく伝え、音楽の魅力を広める活動をしてきました。NHK-FMの「バロックの森」や「古楽の楽しみ」では、パーソナリティを担当しました。

 

礒山雅さんは、2006年から2012までは日本音楽学会の会長を務め、2015年には藝術学関連学期連合の会長、サントリー芸術財団の理事や日本芸術文化振興会の評議員を務めました。さらに、住友生命健康財団の理事や日本ワーグナー協会の理事も務めました。

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音楽について発信

礒山雅さんは、「I教授の部屋」というホームページや、「I招聘教授の談話室」というブログを通して、音楽を専攻する学生や音楽愛好家に対してなど、サイトを訪れる人たちに音楽についての情報を常に発信し続けていました。

 

このように発信を続けることで、礒山雅さんはこれまでバッハを聴く機会が無かった人にも大きな影響を与えました。礒山雅さんの話を読んだり聞いたりしたことで、これまでバッハに興味が無かった人たちから、バッハを聴く機会ができたと感謝する人も多くいるほどです。

 

ブログには、音楽の話だけでなく、礒山雅さんの普段の生活がうかがえるような内容の投稿も見受けられます。例えば、パソコンを新しく購入した際の失敗談や蛇がたくさん湧いてきた夢を見た時には、このような夢の縁起というものはどうだろうかといった投稿もしていました。

著書と受賞歴

磯山雅さんは数々の著書を出版し、さらに受賞歴もあります。1985年に「バッハ・魂のエヴァンゲリスト」は、第1回辻荘一賞を授与されました。「マタイ受難曲」は、第9回京都音楽賞研究評論部門賞を受賞しました。2020年には、遺著となった「ヨハネ受難曲」が出版されました。

 

遺著となった「ヨハネ受難曲」は、博士論文を本にしたものです。2018年の年明けから作業に取り掛かっていました。本にするための編集作業は、2018年1月26日に行われる口述試験のための論文の完成形の提出に向けた作業と同時に進めていたそうです。

 

さらに、共編著として「バッハ辞典・全作品解説辞典」や「バッハ全集」にもたずさわり、「バッハ・カンタータの世界」などの数々の著書の翻訳も行っています。また、毎日新聞に音楽批評も執筆していました。毎日芸術賞の選考委員も務めました。

 

 

ツアーコーディネート

礒山雅さんは、旅行社の企画として、ツアーをコーディネートされていました。ツアーでは、古楽にまつわる歴史的施設やコンサート鑑賞、ホール見学、バッハのゆかりの地を巡るなどいった企画がありとても人気がありました。

 

ツアーには礒山雅さんが案内役として同行し、コンサートを鑑賞する前に解説を行うこともあったそうです。

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運命

2017年の秋に、礒山雅さんが運命を感じたと、3月21日生まれのマルチーズをペットとして飼うことになりました。なぜ運命を感じたのかというと、3月21日はバッハの誕生日だからです。バッハの権威と呼ばれた礒山雅さんにとって、まさしくこれは運命と言えるでしょう。

 

マルチーズの名前は、バッハの愛妻であるマグダレーナを略して「レーナ」と名付けたそうです。なんともバッハの権威である礒山雅さんらしい名づけ方です。

礒山雅さんの死生観

音楽を愛した礒山雅さんですが、死生観について2007年に出版された著書である「バロック音楽名曲鑑賞辞典」のハインリッヒ・シュッツの「音楽による葬儀Musikalische Exequien」を紹介する箇所の冒頭部分に音楽に関する死生観について書いています。

 

音楽学者である礒山雅さんは、好きな音楽を聞きながら死にたいと思うのかと思えばそうではないそうです。なぜなら、礒山雅さんは重病を何度か経験した中で、死ぬ時というのは到底、音楽を聴くどころではないということを知っているからだそうです。

 

また、死んでからは音楽は聴けないから、葬儀の音楽は遺族に任せたいとも考えていたそうです。音楽づくしの人生を送った礒山雅さんの死生観の中には、音楽に関するこだわりが無いというなんともドライなものでした。

希望通りの葬儀に

2011年に学術や文化の向上発展などに貢献し、顕著な功績のあった人や市民の模範となる優れた市民に贈られる大阪市市民表彰を受けた礒山雅さんですが、2018年2月22日に亡くなられました。

 

ここからは、礒山雅さんの死因や葬儀、追悼演奏会について詳しくご紹介します。

 

 

死因

71歳になった礒山雅さんは、なお現役であり、「ヨハネ受難曲」に関する論文を作成し、国際基督教大学で行われた口述試験を2018年1月26日に受け、翌1月27日に第29回埼玉ヴォーカルアンサンブルコンテストの審査員を務められました。

 

2018年1月27日、関東地方は大雪に見舞われました。大雪の影響で路面が凍結していたため、コンテストの審査員を務めたその帰路で礒山雅さんは足を滑らせて転倒した際に頭を強打してしまいました。礒山雅さんは、そのまま意識を失い、意識不明の状態が続きました。

 

礒山雅さんは、そのまま意識が回復することはなく、2018年2月22日午前5時14分、外傷性頭蓋内損傷のため、東京都立川市の病院で71歳の生涯を終えられました。

 

 

葬儀

礒山雅さんの通夜は3月4日午後6時から、葬儀は5日午後11時から東京都東大和市桜が丘にあるセレモニアガーデン会館玉川上水で行われました。喪主は妻である智子さんが務めました。祭壇に飾られた遺影には、ワインをたしなむ礒山雅さんの姿があったそうです。

 

礒山雅さんとのお別れの時には、マタイ受難曲が流れたそうです。遺族がお別れの曲として選んだ「マタイ受難曲」は、ドイツ・ルター派の受難曲としてバッハが残した作品で、宗教音楽の中でもキリストの受難をテーマに作られた曲です。

 

礒山雅さんの通夜・葬儀が行われたセレモニアガーデン会館玉川上水は、ピアノの調べで大切な方との最後のお別れができるようにと、スタインウェイやベヒシュタインと並ぶピアノ製造御三家のベーゼンドルファーのピアノが常設されている葬儀場です。

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博士号授与

礒山雅さんが意識不明となる前日に行われた国際基督教大学での博士論文の口述試験には見事合格し、博士号を授与されました。博士号は遺族が代理で受け取りました。

追悼演奏会

礒山雅さんが亡くなった後、多くの人たちによって各地で礒山雅さんの追悼演奏会が行われました。須坂市シルキーホールでは、すざかバッハの会が主催した「礒山雅先生追悼演奏会」が行われました。礒山雅さんへの感謝の気持ちを込めて「ヨハネ受難曲」が合唱されました。

 

礒山雅さんが30年以上続けてきた立川市錦学習館での「錦まつりコンサート」では、いつも礒山雅さんが座っていた席に礒山雅さんの遺影が飾られた状態で行われました。献奏として、バッハの「前奏曲」が演奏されました。

 

たましんRISURUホールでの楽しいクラシックの会が主催するピアノトリオの夕べ「礒山雅先生を偲んで」と題して行われた演奏会では、ヴァイオリン、チェロ、ピアノでモーツアルトやショスタコーヴィチなどが演奏されました。

 

 

きっとこれからもバッハの研究を

密度の濃い時間や感動する瞬間、新しい発見のある挑戦を大事にしていた礒山雅さんですが、最後は遺族が選んだ曲によって見送られ、音楽学者らしいものとなりました。礒山雅さんは天国でもバッハの研究を続けているかもしれません。