馬場有さんの葬儀|病と闘いながら浪江町の復興に全力を注いだ人生

公開日 : 2020/7/17

更新日 : 2020/9/7

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福島県浪江町の町長の馬場有さんが亡くなりました。病と闘いながらも、福島第一原子力発電所の事故で被害を受けた浪江町のために力を注いできた方です。馬場有さんがどのような活動を行ったのか浪江町の現状と一緒にお伝えしていきます。

公開日 : 2020/7/17

更新日 : 2020/9/7

目次

馬場有さんのプロフィール

馬場有さんは福島県浪江町の町長を務め、東日本大震災による福島第一原発事故によって自身も被災しながら、町の復興に務めてきました。そこで、馬場有さんの詳しいプロフィールをご紹介しますので、一緒にチェックしていきましょう。

県議員を経て町長へ

馬場有さんは福島県双葉郡浪江町の生まれで、福島県立原町高等学校を卒業後は、東北学院大学経済学部に進学します。卒業後は浪江町議会議員を4期の他、議長や福島県議会議員を1期務めてから2007年12月の浪江町長選挙で初当選を果たします。

 

初当選を果たしてから3期に渡り、浪江町のために全力を注いできました。任期中には東日本大震災によって、福島第一原発事故によって全町避難を余儀なくされる中、避難生活を送りながらも二本松市に役場機能を移転させるなど、町の復興のために力を注いできました。

 

「町のこし」の取り組みを進めていき、被災で被害にあった町内での小・中学校の開校を進めた他、産業団地の造成や災害公営住宅の整備などに尽力されていました。浪江町をいかに復興するのか常に考え続け、行動された方です。

福島第一原子力発電所の事故とは

福島第一原発事故は、2011年3月11日の東日本大震災の影響による津波によってメルトダウンが起き、放射性物質が放たれた事故のことです。深刻な事故が起きてしまい、レベル7に分類されました。そのため、全町避難を余儀なくされてしまいました。

 

福島第一原発事故が起きた当初は、町に事故を報告されず東京電力を厳しく批判しました。2013年には福島第一原発事故に伴う町民の慰謝料増額を求めています。町が代理人となって、原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決の手続きを行っています。

 

馬場有さんはこのような活動を行ってきたおり、避難指示が解除された町への帰還のために力を注ぎました。未曽有の難局を戦い続け、常に町民のことを考えて活動されています。町民の先頭に立ち町の復旧・復興に邁進し、全身全霊で復興に取り組んでいたことがわかります。

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浪江町の復旧・復興の対応

もともと福島県にある浪江町は海と山と川の自然に恵まれており、大堀相馬焼が代表されるように歴史と伝統がある町でした。資源を生かした町で、春は「大せとまつり」・秋は「さけ祭り」や「十日市祭り」などが行われていました。

 

しかし、東日本大震災により福島第一原発事故が起こったことで全町民が避難生活を強いられました。避難指示解除を目標に除染作業や生活基盤整備等、様々な難題と闘い続け馬場有さんは日々、取り組んでいました。

 

復興への歩みを一歩一歩着実に進めてきており、常に町民のために働いてきた方です。さらに、被災経験を次代や日本に生かしていけるような活動を行っていました。ふるさとの浪江町が元に戻れるように全力を尽くされた内容が多く残っています。

町民の想いを展示会で伝える

福島県には環境再生プラザという施設があり、東日本大震災による福島第一原発事故によって与えた影響からの環境回復の歩みや放射線の他、中間貯蔵などの環境再生に関する情報を伝えることができる場所があります。パネルや模型展示の他、専門スタッフによる解説や相談ができます。

 

企画展示はその時によって内容が異なりますが、馬場有さんが亡くなる前も浪江町についてのパネル展示がありました。環境再生プラザでは、浪江町の復興への取組みなどがパネルを見えてわかるような展示でした。被害や汚染状況などもパネル展示を見て学ぶことができる内容です。

 

浪江町の仮設住宅に住んでいる自治体や婦人部の皆さんが手作りした布巾着やティッシュケースなども販売され、婦人部の運営に当てたりと、企画展示を見ることで様々な貢献ができるような内容になっています。

馬場有さんの死因

馬場有さんは浪江町長を辞職するギリギリまで公務に務めていました。病によって入退院を繰り返しながらも最後まで町民のために力を注いだ方です。そこで、馬場有さんの死因について詳しくチェックしていきましょう。

入退院を繰り返しながら公務に当たる

馬場有さんは2014年に胃がんの手術を受けており、2017年12月からは入退院を繰り返し名がら公務に当たっていました。しかし、馬場有さんの体調も万全とは言えず、2018年6月13日に医師の診断によって日常生活を送るのも非常に困難と判断されました。

 

そのため、町議会では6月30日付けの辞職願を提出することを同意されていました。しかし、馬場有さんの6月27日に胃がんで亡くなりました。医師の診断を受けてからは、町規則によって、6月14日から次期町長が決まるまでの間、宮口副町長が職務代理者でした。

 

現職市町村長の死去に多くの町民も驚きました。自分の病と闘いながらも町民のためにここまで頑張れる力はすごいものがあります。入院先でも公務に当たるほど、浪江町の人のためにやらなければいけなかったことが多かったということがわかります。

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胃がんとは

日本人は肺がん・大腸がん・胃がんの死亡数が高いがんです。そもそも胃がんは、胃の壁の内側にある粘膜に悪性腫瘍ができます。男性に多く発症し、60代が発症のピークと言われています。早期胃がんであれば、無症状で胃がんに特有な症状はありません。

 

進行がんとなれば、消化管からの出血による吐血や下血などの症状がみられます。胃がんの腫瘍が全身に広がると、腹水がたまったりリンパ節が腫れることもあります。胃がんの発症リスクとしては、ピロリ菌感染の他、喫煙の習慣や塩分の過剰摂取と生活習慣が関わってきます。

 

ピロリ菌とは、胃の中で生きる悪玉菌で食べ物や水を介して感染します。除菌しないと胃の中で生き続けてしまうため、ピロリ菌の治療をするのがおすすめです。50代以上が保菌していることが多く、感染すると慢性的に胃の粘膜が荒れた状態が続いてしまいます。

馬場有さんの葬儀

福島県の浪江町の復旧・復興に多く携わってきた馬場有さんの葬儀についてまとめてみました。町長ということもあり、どのような葬儀が行われたのか詳しくご紹介します。

通夜と合わせて1500人が参列

馬場有さんの葬儀は、現職市町村長の死去ということもあり馬場家と町の合同葬でした。通夜は2018年7月2日の午後6時から行われ、葬儀は同3日午後1時から福島県相馬市にあるメモリアルホール原町で行われました。喪主は長男大輔で、葬儀委員長は副町長の宮口勝美さんでした。

 

通夜から葬儀まで町との合同葬ということもあり、参列者は全部で約1500人ほどが参列されました。告別式では、遺族や町関係者の他にも、内堀雅雄知事や吉野正芳復興相らが出席され、7人が弔辞を読むという大きな葬儀になったことがわかります。

 

近年、家族葬が増えてきていますが、町民のために全身全霊を尽くされていた結果が、葬儀にも表れています。これからも福島県の浪江町の復興を見届けてほしいと感じる人は多いことでしょう。

合同葬とは

葬儀には様々な形があり、一般葬の他、近年は家族葬と小さなお葬式が人気ですが、馬場有さんの葬儀は合同葬でした。合同葬とは、遺族と企業とが合同で執り行なう形式の葬儀であり、企業のトップなどが亡くなった時に行われることが多いです。

 

一般葬と合同葬の違いは、遺族の代表者が喪主として執り仕切るのではなく、企業とご遺族の双方が協力して行うのが特徴です。そのため、喪主を立ててから葬儀委員長を立てることが明確に決めます。合同葬の費用は、企業側と遺族側で分担するします。

 

参列者500人前後の規模での合同葬なら、約500~2,000万円程度の費用がかかり、馬場有さんの葬儀の合同葬は参列者が1500人ほどいましたから、それよりも費用がかかったことがわかります。社会的に重要な役割を担った馬場有さんにあった葬儀でした。

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偲ぶ会も開催

馬場有さんの葬儀は合同葬で、多くの方が参列されましたが、馬場有さんを偲ぶ会も後日開催されています。合同葬は2018年7月3日に行われ、偲ぶ会は8月12日に開催され浪江町地域スポーツセンターで行われました。

 

偲ぶ会に参列する方の服装は平服で、特に取決めはないとお知らせがありました。馬場有さんの偲ぶ会では、供花・供物・香典等は、辞退されています。参列された順に献花の時間を設けており、最期のお別れの場として提供されました。

 

偲ぶ会に参列する方のために、会場内では休憩・交流スペースを設け、ゆっくりと偲ぶ会で馬場有さんの話をできる環境が設定されていました。葬儀・告別式に参列できなかった方も、偲ぶ会に参列してしっかりとお別れをすることができました。

馬場有さんは戦い続けた人生だった

福島県の浪江町に生まれ、亡くなるまで町民のために様々な問題を解決されてきた馬場有さんの活躍は偉大です。東日本大震災による福島第一原発事故の被害にあった浪江町の復旧・復興を常に考え、行動されてきた姿は素晴らしいです。

 

誰もが経験したことがない課題に取り組み、自身の病と闘いながらも町民のために全身全霊を注いできた方はいません。改めてご冥福をお祈りいたします。