岡部英男さんの葬儀|茨城県で実力をつちかった元衆議院議員

公開日 : 2020/7/18

更新日 : 2020/9/6

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元衆議院議員で茨城県議だった岡部英男さんがお亡くなりになりました。茨城県内で大きな影響力を持ち、茨城の市政に貢献しました。衆議院議員に当選したこともある岡部英男さんの葬儀について、それから経歴についてお話ししていきます。

公開日 : 2020/7/18

更新日 : 2020/9/6

目次

岡部英男さんの葬儀

2020年2月4日、元衆議院議員で茨城県議会の議員だった岡部英男さんがお亡くなりになりました。91歳でした。死因は肺炎です。ご家族によると、一月ごろから体調を崩されていたそうです。

 

岡部さんは茨城県ご出身です。葬儀、告別式は茨城県の日立市諏訪町の平和会館というところで行われました。

 

岡部さんは政界の中でも多大な影響力を持った人でした。葬儀には菅官房長官、梶山弘志経済産業相、田中和徳復興相など、茨城県議や国会の関係者ら三千人にもおやぶ方々が参列されました。

 

岡部英男さんの葬儀で弔辞を読んだのは、衆議院で同期に当選をされた菅官房長官です。菅さんは自民党総裁選に出馬経験のある故梶山静六さんを、岡部さんとともに応援した思い出を語りました。

 

「岡部先生から学び得た教訓は政治人生の糧になった。故郷茨城のために生涯尽くされた」と話しました。梶山氏も弔辞を読み上げ、茨城県で偉業を成し遂げたことを話しました。県議、市町村関係者などが皆で岡部英男さんの冥福をお祈りしました。

生まれから茨城県議になるまで

この項からは、岡部英男さんの経歴についてお話ししていきます。岡部英男さんは、1928年8月20日に生まれました。そして2020年2月4日、91年間に及ぶ生涯に幕を閉じられました。

 

生まれたのは1928年であり、ポツダム宣言よりも前ということになります。世界恐慌も、第二次世界大戦も、太平洋戦争も、生きて体験をされた方ということになります。

 

岡部英男さんは、茨城県日立市に生まれました。これからご説明していく通り、茨城県の姿勢に多大な影響を与え、尽力されました。

 

岡部さんは1928年に生まれた後、1951年に法政大学を卒業します。工学部という理系出身でした。大学を卒業した後、岡部さんはまず、岡部工務店を立ち上げます。

 

岡部工務店を軌道に乗せて、1955年には代表になります。商才のあった岡部さんは、その後も工務店をぐんぐん成長させ、1963年に代表取締役になりました。

 

建築に関連した職業は、政界や議員さんとの関係も生まれます。代表取締役になった当時岡部さんは35歳でしたが、その後七年間社長として工務店を続け、42歳になる1970年、茨城県議会の選挙に出馬し、見事当選を果たしました。

県議から衆議院議員へ

岡部さんは議会でも存在感を示し、その後当選7回をしました。議会の中でもかなりのベテランとなり、茨城県議会の議長にまで就任した経験もあります。

 

また、これらの経歴をもって、1994年からは自民県連幹事長も務めます。2001年まで七年間という長きにわたって要職を勤め上げました。

 

また、自民県連幹事長を務めるかたわら、1998年には自身も衆議院議員選挙に立候補して当選しました。茨城県の五区補選での当選でした。

 

岡部英男さん自身は中央の政界に重きを置くことはあまり考えていませんでしたが、欠員が出たことで行われた補選で、茨城県から選ぶなら岡部さんしかいないということで、立候補をし見事当選されました。

 

2001年に任期を終えて自民県連幹事長の座を退いた後は、2002年に茨城県建設業界の会長に就任します。岡部工務店を立ち上げ大きくした経験のある岡部さんに適任でした。

 

数々の要職を経験した岡部英男さんは、ついに2014年、旭日中綬章を受章されます。この章については次の項で詳しくご説明しますが、大変名誉ある褒章です。

 

80歳を超えてもなおまだまだ衰えを見なかった岡部さんでしたが、2020年に入ってから、体調を崩されます。肺炎にかかってしまい、2月4日に91年間の生涯を終えました。

 

死後、岡部英男さんの功績を称えて、死没日を以って、正五位に叙されました。正五位についても後述します。

旭日中褒章

旭日中綬章についてご説明します。旭日中綬章は、きょくじつちゅうじゅしょう。と読みます。日本の勲章の一つである、旭日章の中の一つです。

 

そもそも旭日章とは日本で最初の勲章で、1875年の明治時代から存在しています。旭日章とは、「国家又は公共に対し勲績あるものに授与すると定められています。内閣総理大臣などの職にあった人に贈られることが多いです。

 

そのデザインは、八方向へ伸びる旭光を持つ日章です。古くから日本の紋章に用いられてきた旭日の紋をイメージしています。

 

岡部英男さんが受章したのは、勲三等旭日中綬章です。くらいで見ると、上に勲一等旭日桐花大綬章、勲一等旭日大綬章、勲二等旭日重光章、があります。

 

岡部英男さんは、長年にわたり茨城県の市政に貢献し続け、また、衆議院議員に当選するなどの実績を残したため、受章されました。いうまでもないことですが誰しもがおいそれと受け取れるようなものではなく、岡部さんだからこそ受章できた大変名誉ある勲章です。

正五位

次にご説明するのは、正五位という位についてです。正五位とは、しょうごい、と読みますが、日本の位階及び神階における位の一つです。

 

聖徳太子が行った政治の中で、冠位十二階というものがあったことを覚えていらっしゃいますか。位によって政治を行う時代は過ぎましたが、今でもこうして位自体は残っています。

 

正五位は律令制のもとで上下に分かれていて、官位の中では主に次官などの位として充てられました。もちろん一位が上で数字が大きくなるほど下の位ということになります。正五位はまずまず重要なポストの人が与えられる位だったようです。

 

鎌倉時代においては、北条氏の一門の多くが正五位に叙せられました。まだまだくらいというものが機能していた時代です。江戸時代になると、幕藩体制で武士が政治を行なって、従四位下などの位を受ける人が多く、正五位はあまり存在しませんでした。

 

明治時代以後は、明治維新において功績を立てた人に贈られることが多かったようです。有名な人物で言えば、間宮林蔵がこの正五位に叙せられています。

 

現行の制度ではこの位が力を持つということはなく、亡くなった方に贈られる栄典として機能しています。岡部さんはこの中で、「旭日中綬章などを受けた功績ある人物」として、正五位に叙せられるに至りました。

息子 岡部英明

岡部英男さんには、息子がいます。岡部英明さんという方です。岡部英明さんは父である英男さんと同じく政治家で、自由民主党所属の元衆議院議員です。

 

岡部英明さんは父と同じ茨城県日立市で生まれた後、地元の日立第一高等学校を卒業します。大学は慶應義塾大学に進み、法学部の中の政治学を専攻します。また、デンバー大学の経営大学院に留学もしており、学びを深めた大学生活でした。

 

大学院を卒業した後は、茨城青年会議所会頭を務めます。青年会議所とはリーダーを志す青年経済人の社会活動を目的として設立されている組織です。

 

様々な業種の方々が所属されていますが、そのほとんどが代表取締役や管理職などで、リーダーとしての力をつけたい方、人脈を広げたい方が所属します。岡部さんはその組織の会頭であり、将来を嘱望されていたことがわかります。

 

英明さんはその後、父親の地盤を引き継ぎ、茨城五区から自由民主党の公認を得て出馬しましたが、民主党公認の候補者に敗れて落選しました。2003年、英明さんが44歳の時のことです。

 

次の衆議院議員選挙では、再び民主党側の候補者に敗れるも、比例で復活し初当選。見事に衆議院議員になりました。次の選挙では比例復活もならず、2010年に政界引退を発表しました。英明さんは現在、岡部工務店の代表取締役を務めています。

岡部工務店

岡部英男さんが立ち上げ、成長させ、今も大きな組織となっている岡部工務店についてお話しします。

 

そもそもの源を辿れば、岡部半兵衛が枕木建設を始めたところまで歴史を辿ることができますが、創業は昭和30年、英男さんによるものです。その後トントン拍子で資本金を増やしていき、昭和42年には、現在と同じ場所に本社ビルを建設することに成功します。

 

水戸や土浦にも営業所を開設し、手広い商いとなっていきます。昭和63年には本社ビルを新築に立て直しました。平成に入ってからもつくばに新たな営業所を開くなど、茨城県を中心に、大きな勢力となっています。

日立市

岡部英男さんが生まれ育った街が、茨城県日立市です。この市は総合電機メーカーの日立製作所の創業地として知られています。

 

そもそもは鉱山から成長しました。日立村の銅山を生かして久原鉱業所ができましたが、それが現在のJX金属であり、機械部門として独立したのが日立製作所です。日立市は衆議院議員選挙の茨城五区にあたり、岡部英男さんが立候補した地です。

岡部英男さん亡くなる

茨城県議を七期間務め、議長にまでなった岡部英男さんが、2020年2月4日お亡くなりになりました。岡部さんの葬儀には菅官房長官や梶山経済産業相が来られるなど、約三千人が参列しました。

 

岡部さんは旭日中綬章を贈られるなど、その功績は偉大です。91年の生涯で日本の国政に、茨城県の県政に、尽力されました。心からご冥福をお祈りいたします。