鶴谷邦弘さんの葬儀|全国高校駅伝3連覇の偉業を果たした名監督

公開日 : 2020/6/28

更新日 : 2020/9/10

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全高校駅伝の監督をされていた鶴谷邦弘さんが73歳で亡くなりました。3連覇など偉業を果たしてきた方です。陸上の監督として、まだまだ指導して陸上界を盛り上げてほしかった方も多かったです。そこで、鶴谷邦弘さんが亡くなるまでの人生についてまとめてみました。

公開日 : 2020/6/28

更新日 : 2020/9/10

目次

鶴谷邦弘さんのプロフィール

鶴谷邦弘さんは、全国高校駅伝3連覇などの偉業を果たしてきました。どのような指導を行い、監督の人柄についても詳しくまとめてみましたので、陸上界を盛り上げてくれた鶴谷邦弘さんのプロフィールをチェックしてみてください。

鶴谷邦弘さんの経歴

鶴谷邦弘さんは、日本体育大学を卒業後に1967年から母校である兵庫の報徳学園陸上部の監督に就任されました。1981年には全国高校駅伝で初優勝を果たします。そこから、3年連続優勝を果たし、長い歴史の中で3連覇を果たしたのは鶴谷邦弘さんが務めた高校と仙台育英の2校だけでした。

 

そのため、全国高校駅伝で同じ高校が3連覇を果たすということはとても偉業なことです。仙台育英も2000年に3連覇を果たしますが、それまで鶴谷邦弘さんが作った記録を超える高校はありませんでした。

 

1995年に阪神淡路大震災では神戸市灘区の自宅が全壊し被災者でしたが、その翌年には6回目7年ぶりに全国制覇を果たしています。被災地に復活優勝によって勇気を与えてくれました。それだけ、陸上のことをついに考え成果を出してきた方でした。

定年後の活動について

報徳学園高校を2010年に退職した後は、大阪経済大学の陸上部を率いていました。鶴谷邦弘さんは今まで全国高校駅伝に力を入れてきましたが、次の舞台は全日本大学駅伝の舞台でした。全日本大学駅伝でも4度の出場を果たしています。

 

高校から大学へと退職してからもまだまだ陸上のことを常に考えていた方で、4度の出場も常に勝ちについてこだわっていました。特に、毎回のミーティングでは「伊勢路」に行くと教え子たちにもくり返し伝えていました。

 

教え子たちも鶴谷邦弘さんを伊勢路に連れていく思いで頑張り続け、走り終えた後に選手が担架で運ばれるほど選手全員の思いは強く、死力を尽くして走り切っています。鶴谷邦弘さんが亡くなった年も伊勢路への切符を手に入れ、涙を流し近くには監督の写真がありました。

 

 

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鶴谷邦弘さんの人柄について

鶴谷邦弘さんには多くの教え子がおり、その人柄に惹かれる方が多いです。1995年に阪神淡路大震災で被災され、部活動が行うことが難しくても常に元気な姿を見せていたと教え子たちも悲しみより先生の姿に衝撃を受けていました。

 

他にも鶴谷邦弘さんの監督として残っているイメージは、声がとても大きく、豪快なのに陽気で様々な顔を見ていた教え子は多いです。陸上に関しては常に真剣ですから、大きい声で常に怒られているような感じもしますが、その中にも選手への愛がありました。

 

合宿では深夜に起こされた後に大声で合唱させられたり、10m高さからプールに飛び込んだりとユニークな訓練を常に取り入れてきたという思い出話をする教え子も多いです。お正月に寒中水泳と陸上以外に教え子の精神状態を強くさせる方法にも取り組んでいました。

超過酷な日程をこなしていた

長年に渡り駅伝に力を注いできた鶴谷邦弘さんのため、人脈も広く監督同士での付き合いもありました。豪快で懐が広い鶴谷邦弘さんの魅力に引き込まれる方も多く折り、一夜を飲み明かしてそのまま試合へ参加することも多かったです。

 

試合後は懇談会にも参加しており、過酷な日程をこなした時期もありました。教え子に指導するだけではなく、様々な方と交流を持ち多くの言葉を残していたのです。若い監督に対しても同じ目線で話してくれる鶴谷邦弘さんに、様々な方は影響を受けていました。

 

それだけ駅伝の監督として指導する以外に、様々な話を聞きたかった方は多かったです。それだけ感謝する方は多く、今まで教えていただいた言葉一つ一つを噛みしめながら先に進む方が多いです。とても影響力の強い監督だったことがわかります。

選手への食事も考えていた

鶴谷邦弘さんは、選手に対して常に結果ではなく過程を大切にすることを伝えてきました。練習は人一倍頑張ることを教えてきており、試合では常に先頭を走ることを指導してきました。後ろを見ないで、結果を考えずに思いっきり走るように教えてきました。

 

食事の面では、食べないと走れないためとにかく食べることを指導しています。とにかくお腹いっぱい食べることを伝えており、豪快な方だったためプロテインの代わりと言って生卵の牛乳割りはおいしいと言っていた時期もありました。

 

そして、にんにくは元気の源と考えていたので丸かじりと、本人が見本を見せたこともあったほど食事はとにかく走るためのエネルギー源と伝えました。駅伝は餅つきと同じと言っており、一人では完成しないと選手たちに教えてきました。

鶴谷邦弘さんの死因について

鶴谷邦弘さんが病気で亡くなりましたが、その死因についてご紹介します。詳しく知らない方は確認してみましょう。

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1年以上の闘病生活

鶴谷邦弘さんの死因は大腸がんで、1年以上闘病生活を続けていましたが、残念ながら2018年1月30日に亡くなりました。詳しいことは情報が公開されておらず、亡くなるまで闘病生活のことを知っていたのは家族だけでしょう。

 

大腸がんの治療は手術の他、薬物療法や放射線治療があり、年齢やがんの状態によって治療法を決めていきます。鶴谷邦弘さんのがんのステージはわかりませんので、どのような治療法を行ってきたかも不明です。

 

40代から増え始め高齢になるほど罹患率が上がり、発見しにくいがんのため血便や下血が見られたときは気を付けなければいけません。また、闘病生活が長くなると家族への負担も増えるため、定期的な大腸内視鏡検査をすることをおすすめします。

大腸がんとは

鶴谷邦弘さんが闘病生活を送った大腸がんは、大腸にできる悪性腫瘍で早期だと症状がありません。大腸がんは良性のポリープががんになる場合と、正常な大腸内部の粘膜から直接発生してしまう場合があります。

 

大腸がんと言っても、できる部位によって発生率が異なります。一番多い部位は、直腸がんとS状結腸がんです。次に上行結腸がんで、直腸S状部がん・横行結腸がんと大腸だけでも多くの場所にがんができる可能性があります。

 

大腸がんが発生する原因は、生活習慣と身体的特徴が関連しています。家族歴や遺伝子も関連があるため、必ずしもすべての人に生活習慣や身体的特徴が当てはまるというわけではありません。

鶴谷邦弘さんの葬儀について

鶴谷邦弘さんの葬儀について詳しくまとめました。一般葬で多くの方が参列した内容はどのようなものだったのか確認してみてください。

多くの教え子が葬儀に参列

鶴谷邦弘さんが2018年1月30日に亡くなり、お通夜は2月2日の午後6時・葬儀は3日の午前11時から神戸市灘区の「ベルコシティホールなだ」で行われました。教え子の男子100メートル前日本記録保持者の伊東浩司さんや箱根駅伝3年連続区間賞の竹沢健介さんも参列しました。

 

鶴谷邦弘さんには多くの教え子がいるため、参列者は約500人と多くの方々に見送られました。それだけ、鶴谷邦弘さんにお世話になった方が多く、本当に素晴らしい監督だったということがわかります。

 

鶴谷邦弘さんは陸上以外に、プライベートでも様々な言葉を残しており、鶴谷邦弘さんの優しさや人間味が感じられます。常に怒り続けていたわけではなく、教え子のために様々なアドバイスを的確にできる方でした。

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一般的な葬儀の流れ

近年、家族葬を行う方が増えてきていますが、葬儀の流れは一般的な葬儀と変わりません。流れとしては、お通夜から始まります。僧侶に読経をしてもらって、焼香を行います。その後、通夜振る舞いを行う方もおり夜も遅くなるため、行っても1時間程度で終わります。

 

次の日は葬儀・告別式を行い、弔辞・弔電を紹介し、焼香を行った後に閉会をして出棺します。一般参列者は、出棺の見送りをするために待機し、家族や親族は火葬場に移動し、最期のお別れのために僧侶に読経をしてもらい、焼香を行います。

 

火葬が終わったら骨上げをし、初七日法要を還骨法要と同時に行う方が近年、増えてきています。僧侶やお世話になった人たちへの会食を行う際は、精進落としが終われば葬儀が終了です。このように、葬儀は長い時間がかかるため午前中から行うことが多いです。

教え子から悲しみの声

鶴谷邦弘さんにお世話になった教え子たちは、一緒に過ごしてきた時間を振り返り、悲しみの声を上げています。練習になると「気のいいおじいちゃん」から、厳しい監督へと変わった思い出を語っている教え子もいました。

 

強く怒る指導ではなく、教え子たちに「勝つ」という気持ちを考えさせるやり方を常に取り入れていました。それだけ教え子たちに気合を常に入れ続けて始動されてきたということがわかります。

 

鶴谷語録も多く、たくさんの言葉を残してくれた素晴らしい監督です。やはり、鶴谷邦弘さんなしでは、大会で勝つことは難しいと感じていた方は多いでしょう。多くの教え子が鶴谷邦弘さんに感謝の気持ちを伝えていました。

鶴谷邦弘さんは指導者として素晴らしい方だった

陸上界を盛り上げてくれた鶴谷邦弘さんは、とても素晴らしい指導者でした。多くの教え子が鶴谷邦弘さんの言葉を今でも心に刻んでいる方が多いです。3連覇を成し遂げることは簡単なことではなく、それだけ常に陸上のことを考えていた鶴谷邦弘さんはすごい方です。

 

毎年、全高校駅伝や全日本大学駅伝など盛り上がりを見せてくれますが、そのきっかけを作ってくれたのが鶴谷邦弘さんとも言えます。まだまだ陸上の指導者として活躍されてほしいと思った方も多いです。ご冥福をお祈りいたします。