佐々部清さんの葬儀|日本アカデミー賞受賞した映画監督の最後とは

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/5

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陽はまた昇るや半落ち、ツレがうつになりましてなど、数々の名作を作り上げてきた佐々部清さん。半落ちでは日本アカデミー賞を受賞するほどの輝かしい経歴を持っていますが、その生涯は決して順風満帆ではありませんでした。佐々部清さんのプロフィールや生涯をまとめました。

公開日 : 2020/6/24

更新日 : 2020/9/5

目次

佐々部清さんのプロフィール

1958年、山口県下関市で生まれた佐々部清さん。さまざまな名作を生み出してきた映画監督ですが、監督としてのデビューは以外に遅かったのです。これから名作を作り続けていくと思われていましたが、突然の訃報に映画界には衝撃が走りました。

 

死因を知る前に、まず佐々部清さんの経歴について紹介を致します。

1983年に映画の現場デビュー

映画監督としてのデビューは遅いのですが、1983年から映画やテレビドラマの助監督として活躍をしていました。主に和泉聖治、降旗康男などの監督に師事しました。

 

映画の現場デビューをしたのは、戸塚ヨットスクールを描いた青春ドラマ「スパルタの海」です。しかし映画の公開前に、生徒役の死亡事故が発生し戸塚宏校長が逮捕される事態になったので、映画はあえなくお蔵入りになった経緯があります。

 

しかしその後も、助監督として様々な映画やドラマに携わっています。有名な作品でいうと「北の国から”95 秘密」「北の国から”98 時代」「鉄道員(ぽっぽや)」などに参加しています。

2002年に映画監督としてデビュー

佐々部清さんは明治大学文学部演劇科、横浜放送映画専門学院(言・日本映画大学)を卒業後にフリーの助監督を経て、2002年「陽はまた昇る」で監督デビューを果たしました。

 

主演は西田敏行さんで、キャストも渡辺謙さんや倍賞美津子さん、仲代達也さんなど豪華すぎるメンバーです。元の作品とされているのは、佐藤正明さんの「映像メディアの正規」です。

 

本作品は、VHSの開発プロジェクトの実話を脚色した物語で、ビクターやソニー、パナソニックなど会社名がそのまま出ていることで話題で、作品も日本アカデミー賞の優秀作品賞を受賞しました。

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信念を貫き通して映画と関わっていく

横浜放送映画専門学校を卒業した後にフリーの助監督になった佐々部清さん。特攻隊の生き残りの目を通して反戦を訴えた「ホタル」の助監督を務めました。

 

その際、主演の高倉健さんに「何を撮るかではなく、何のために撮るかが大事」という言葉を支えに2002年に映画監督としてデビューを果たすました。

2005年に半落ちで第28回日本アカデミー賞を受賞

2004年に、作家の横山秀夫さんが執筆したミステリー小説「半落ち」を寺尾聡さんが主演で映画が製作し大ヒット。第28回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しました。元の作品となる小説は2003年に、直木賞の最終選考過程まで残りましたが、落選しました。

 

選考後に、一部の選考委員から「現実ではありえない内容」と指摘を受け、議論を巻き起こしました。しかし読者からは好意的な評価を得てベストセラーという結果を残しました。

半落ち後の作品もさまざまな作品で受賞

日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した後も、さまざまな作品で輝かしい賞を受賞しました。「カーテンコールや「夕凪の街 桜の国」では日本映画批評家大賞、「ツレがうつになりまして」では中国金鶏百花映画祭最優秀作品賞を受賞しました。

 

映画以外にも、テレビドラマも制作しており読売テレビ開局60年スペシャルドラマも手掛けています。

佐々部清さんが亡くなった経緯

テレビドラマや映画監督として精力的に活動をしていた佐々部清さんですが、2020年3月31日の朝に、次回の作品準備のために山口県下関市内のホテルで宿泊をしていましたが、倒れているのが見つかり、その後死亡が確認されました。

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死因は心疾患だった

当初は、死因が不明だったということで自殺の可能性も噂されていましたが、新作映画の製作途中であったことや、SNSへの投稿も直前まで行っていたので、自殺の可能性は相当に低かったといえます。

 

また3月31日に亡くなったこともあり、新型コロナウイルスへの感染での死が疑われたこともあったようです。

 

心疾患の突然死として考えられるものとしては「心臓突然死」が考えられます。心臓の突然死は、健康だった人が予兆もなく突然発症し、脳に血液を送ることができず死に至ってしまう病気です。

 

映画の製作途中であったので、心身共にストレスや疲労が溜まっていた可能性もあるかもしれません。

佐々部清さんの次回新作は「大綱引きの恋」でした。プロデューサーの西田聖志郎さんによると、「大綱引きの恋」が10月30日に鹿児島で先行公開されることを非常に喜んでいたということです。

亡くなる前もSNSを更新していた

普段からツイッターの更新をマメに行っていた佐々部清さん。亡くなる2日前の3月29日にツイッターを更新していました。

 

また3月30日に、次回の作品を製作するために山口県下関市のホテルに現地入りをしました。しかし同日の夜にスタッフと食事をしたところ、顔色が悪く「ホテルで休む」と言い残し部屋に戻ったが、翌朝に姿を見せず、自室で倒れているのが見つかりました。

 

地元で製作をすることが決まっていた次回の作品なので、最後まで映画を完了できなかったのは無念だったのではないでしょうか。

告別式は近親者のみで執り行う

佐々部清さんの告別式は、近親者のみで執り行うことが決定しました。たくさんの著名人が、訃報を受けコメントを残しておりました。どのような葬儀だったのか見ていきましょう。

ご遺族の意向により供花・香典は拝辞

3月31日に佐々部清さんの告別式は、近親者のみで営むことが発表されました。喪主は妻の昭美さん。ご遺族の意向により供花・香典は拝辞したようです。

 

近親者のみで執り行う葬儀という形式ではありますが、近親者しか呼んではいけないという明確な決まりは一切ありません。

 

実際には、近親者と故人と親交が深かった友人や知人を、家族葬に呼んでも問題ないのですが、佐々部清さんの告別式にはどのような関係者が参列したまでかは、発表されていませんでした。

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近親者のみで告別式を行うデメリット

近親者のみで葬儀・家族葬を行う場合は、デメリットがあります。

 

それは、葬儀の参列者が限られてしまうので、生前にお世話になった方々に参列をして頂くことができません。本来であれば最も細切にするべき儀礼を欠いてしまうことが考えられます。

 

特に個人が高齢だった場合に、数十年前の交友関係までは把握が難しいです。かつての恩義や社会的な立場としてのお礼を欠いてしまうことは、デメリットといえるでしょう。

 

また近親者のみの葬儀や家族葬を実際に行った方は、最近は増えています。小さな規模で葬儀をしたいという旨をあらかじめ周囲に対し、理解を得る必要もあります。

 

佐々部清さんのように、著名人のお知り合いが多い方の場合は家族ぐるみでのお付き合いも多い可能性があります。そのことも考えると、ご遺族の方は思い切った判断をしたといっても過言ではありません。

近親者のみで告別式を行うメリット

近親者のみで執り行われた、佐々部清さんの告別式。家族葬のメリットは、何と言っても近親者のみで落ち着いた葬儀を執り行えるところです。

 

近親者のみでしたら気心の知れた人しかいないので、お互いに気を使わずに心を落ち着けて葬儀を執り行うことが可能です。大切な人を無くして間もないときに近親者ではない参列者に気を使わずに済むのは、大きなメリットです。

 

佐々部清さんが、亡くなったのは新型コロナウイルスが本格的に蔓延し始めていたころです。もしかすると、そのあたりのことも考えて近親者のみでの告別式を行ったのかもしれませんね。

たくさんの著名人がコメント

生前は映画を通じて、さまざまな著名人の方と良好な関係を築いていた佐々部清さん。訃報を受けて、たくさんの著名人の方がコメントを寄せました。

 

上野樹里さん土屋太鳳さん、EXILEのAKIRAさん、市川海老蔵さん、矢田亜希子さんらが驚きと悲しみの声を上げました。

 

穏やかで優しい性格だったと評判の佐々部清さんは、著名人だけではなくSNSでもファンから追悼のコメントが殺到したそうです。

 

またタッグを組んだ経験のある俳優の佐野史郎さんは、自身のツイッターで「1999年、私の初監督『カラオケ』ではチーフ助監督を務めてくれ、2012年テレビ朝日の松本清張ドラマのスペシャル『波の塔』では監督と俳優として密度の濃い時間を過ごした。

 

本当に優しい、人情に厚い方でした。安らかにお眠りください」と故人の死を悲しんでいます。佐々部清さんのお人柄が良かったからこそ、追悼のコメントがされているのが良く分かります。

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佐々部清さんの遺作が2020年公開!

2020年3月31日に、逝去された佐々部清さんの遺作となる「大綱引きの恋」が、2020年の11月に鹿児島で先行公開されます。

 

主演に三浦貴大さん、ヒロイン役に知英さんが抜擢され勇壮な祭りと切ない恋の物語を熱演します。次回の作品では、佐々部清さんの故郷である山口県で映画の製作を予定していたのですが、残念ながら実現することはありませんでした。

 

しかし、今回の映画も佐々部清さんらしさがしっかりと描かれているので、ぜひ見た方がよい作品といえるでしょう。

佐々部清さんは映画と共に生きた

佐々部清さんの人生を振り返るとともに、最後に選んだ葬儀の形を解説いたしました。佐々部清さんは、映画を製作するために地元山口県での撮影に取り掛かっていました。最後の最後まで映画に携わり使命を全うし映画と共に生きた人生だったのではないでしょうか。